2019年08月11日

嫁さまの憂うつ

 昨年の秋のことである。古い友人からメールが来た。
「おそらく、“西郷どん”を見ていまい。されば、UMAの出てくるMUを見たまへ」

 この御仁、昔から妙に勘がいい。だが、癇に障るところもある。
貰ったメール、何を言いたいのかさっぱり分からん。そのうえ、古風な文体が気にかかる。
「図星なり。何を言いたいのか分からぬが、今さらジョッキーや馬の名前を覚えるは、甚だ面倒なり。
 それゆえ、競馬はやらぬ。“無”とは何ぞや?」と返した。

 奴さん、相当暇を持て余しているらしい。すぐに返信が来た。
「相変わらずの御仁なり。馬ではない。ユーマなり。“無”に非ず、ムーなり」
「ユーマとは何ぞや?」
「よもや忘れたか。未確認生物なり。超ムーの世界Rを見たまへ」
「テレビで放送しているのか? ならば見るべし」
「御意」

 以来、わが家の日曜夜8時のテレビは、「超ムーの世界R」である。

 すっかり忘れていた月刊ムー。喜々として見始めたのだが、感動はそれほどでもない。
素粒子や遺伝など科学用語が頻出し、理系番組のようだ。もっと突飛さや不思議さだけでいいのではないか。ネタ明かしは、NHKBSの「超常ファイル」に任せたらよかろうに。
にもかかわらず、見てしまっている。

 月刊ムー、何十年も前によく読んでいた。カルトな話題ばかりだったが、あながち捨てたものではない。というのも、安倍清明や出口ナオ、出口王仁三郎の名前を覚えたのは、この雑誌である。

 ところで、嫁さまはというと。毎回、浮かない顔で番組を見ている。同僚から「西郷どん」を見ているかと聞かれるのが怖いらしい。
とても、「ムー」を見ていると言えないという。
だが、筆者は知っている。手相のコーナーのために、傍らに大きな虫眼鏡を準備していることを。

追伸
 今月十三日、「マツコの知らない世界」に、月刊ムーを熱く語る人物が出演するらしい。
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2019年08月05日

上町空襲の新聞記事を読んで・・・

 先月28日付の朝日新聞「上町空襲74年 記憶をつなぐ」と、同月31日付21面毎日新聞の「不戦の思い新たに 鹿児島駅空襲74年語り継ぐ集い」と題する記事を読んだ。
両紙ともに、昭和20年7月27日の鹿児島駅を中心とする空襲に関する記事である。
戦争体験の継承に取り組むグループの方々が、体験記の朗読や殉職者慰霊などに取り組む活動を紹介している。

朝日新聞は次のように記す。

 「鹿児島市を標的にした空襲は1945(昭和20)年3〜8月に計8回あり、全体で3329人が犠牲になった、とされる。
  7月27日の空襲では同駅職員12人を含む420人が亡くなった。」

 筆者は大正から昭和にかけての歴史に興味がある。NHKの大河ドラマ「いだてん」はかかせない。
ドラマの内容はどうあれ、歴史的背景をどのように描いているか興味がつきないのだ。
とくに戦争のあった時代については、少しばかりこだわっている。
だが、一次史料が極端に少ないうえ、二次史料もあまり当てにならない状態で、かなり苦労している。

 前述の朝日新聞と毎日新聞の記事には、腑に落ちぬ点が二つある。

鹿児島市の空襲の回数
 ひとつ目は、空襲の回数である。
『鹿児島市史U』や『鹿児島市戦災復興誌』によると、鹿児島市は昭和20年3月18日、4月8日、4月21日、5月12日、6月17−18日、7月21日、7月31日、8月6日の8回だという。
8回の空襲というのは、初めての空襲と戦災規模の大きなものを取り上げただけであって、それで済んだということではない。

筆者の手もとに「鹿児島駅」に関する米国戦略爆撃調査団のコピー資料がいくつかある。そのなかに、『空襲被害資料(長崎及鹿児島)』がある。表紙に54K(5)(c)や英訳が入っているので、米国側に提出された資料と思われる。

kagoshima station1.jpg

 表紙をめくると運輸通信省と印字された用紙に、昭和20年8月9日の長崎駅と浦上駅の被災状況が問答形式で掲載されている。
3ページ以降が鹿児島駅と西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)に関する鉄道被害の状況である。

 それによると、昭和20年4月8日、6月7日、6月18日(鹿児島大空襲のこと)、7月17日、7月27日、7月31日に空襲のあったことが分かる。
それぞれの空襲で車両や線路、死傷者に関する記述もある。
この史料から見ても、鹿児島市の空襲を単に8回と記述するのには、違和感がある。
アメリカ艦載機や沖縄基地の戦闘機の報告書などを精査すれば、空襲の回数は増えると思われる。

 ふたつ目は、7月27日の空襲に関する記事についてである。『空襲被害資料(長崎及鹿児島)』から考えてみる。

食い違う死者数
 記事を読んで違和感があったのは、「7月27日の空襲では同駅職員12人を含む420人が亡くなった」の部分である。
“駅職員12人死亡”と記事にあるが、『空襲被害資料(長崎及鹿児島)』と記述が異なる。

 同資料は、昭和20年7月27日の空襲被害について次のように記す。
 一、線路関係
 (1)鹿児島驛構内西方面線路2/3爆破
 (2)鹿児島竜ヶ水間線路破壊
一、建物関係
 鹿児島驛構内建物(全機関区、診療室、官舎)全部倒壊又ハ焼失
一、死傷関係
 職員 死四〇、重傷一二、軽傷一〇、公衆約五〇 


kagosima station2.jpg

 鹿児島駅は7月31日にも空襲を受けている。線路、車両、建物の被害状況について記されているが、ここでは職員の死傷関係を記述する。
一、死傷関係
「職員即死八、重傷一二、軽傷一五、行方不明六」

 ご覧のとおり、死傷者数が新聞記事と異なる。
 朝日新聞や毎日新聞が報じる、死者12名の根拠を探してみた。
そこで、『鹿児島駅被爆の日』(初版昭和31年)と『鹿鉄10年のあゆみ』(昭和33年刊)、総務省のホームページ「一般戦災死没者の追悼」を参考にした。

 三者ともに昭和20年7月27日の空襲被害者を12名としている。なぜか7月31日について死傷者の記述はない。
『鹿児島駅被爆の日』に気になることが書いてある。

「私の当時のメモとしては、古い手帳の一部に、七月二十七日に爆死した人の名前がわずかに記録していたので、ここにその氏名を列挙して、この小著についてせめてもの招魂のよすがとしたい」
 

12名の名前、役職、年齢が記述されている。これは鹿児島駅に建てられた慰霊碑と『鹿鉄10年のあゆみ』に書かれているものと同じである。
古い手帳の一部に書かれたものを基にしてはいないと思う。国鉄時代の書籍であるから、しっかりした一次史料に基づいていると思う。
しかし、米国戦略爆撃調査団の資料と中身がことなる。どちらが事実なのか、今の筆者にはわからない。
できれば、『鹿鉄10年のあゆみ』が参照した一次史料を閲覧させてもらい。

■参考文献
『鹿児島駅被爆の日』白石虎信著(『鹿児島県の空襲・戦災の記録』所収・昭和60年刊)
『鹿鉄10年のあゆみ』(昭和35年刊)
『空襲被害資料(長崎及鹿児島)』(kagoshima division Record of damage due to air raids,report no.54k(5)(c)
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2019年07月25日

七夕への願い

 稼ぎは悪いのだが、仕事量だけは多い。
年じゅう、仕事に追い立てられているためか、はたまた何もかもにうんざりしているためか、季節を感じることが少ない。

 先週土曜日のことである。どうかすると、「ダイエー」と言ってしまう、イオン鹿児島鴨池店に立ち寄った。
喫煙所で一服していると、七夕飾りが目に入った。
そういえば、東谷山を歩いた折、住宅ごとに七夕が飾ってあった。町内会の名前も書かれている。
昔からの年中行事を残しているのかもしれない。素朴な七夕飾りに感心しつつ、通りを歩いた。
 
 イオンの店先に立てられた飾られた七夕飾りには、子どもたちの願い事が書かれた短冊が下がっている。
まず目に入ったのは、「いちのみやじんじゃ(一之宮神社)にいきたい」である。六月灯に行きたいのだろう。
筆者が短冊を見たときは、一之宮神社の六月灯が終わっている。
行けているといいなあと思っていると、「テストで百点をたくさんとりたい」という願い事が目に入ってきた。
幼稚園生が書いたと思われるのだが、進学塾にでも通っているのかもしれない。

 次に目に止まった短冊には、「あたらしいゲームのできる タブレットがほしい」とある。
さすがは、デジタルネイティブ世代である。筆者の親戚に3歳と4歳の子どもがいる。
スマホでゲームをするかと思えば、ユーチューブまで見ている。先だっては、「アプリ」という言葉まで使っていた。
デジタル難民の一員である筆者、できれば、デジタル機器を触りたくない。

 外に飾られた七夕飾りをひとしきり見て、館内に入った。
入口からいくらか歩くと、幼稚園生の願い事を書いた短冊が飾られていた。
「おいしゃさんになりたい」という願い事があるかと思えば、「ドクターになりたい」というのまである。
しっかりした幼稚園生である。筆者が子どもの頃は、どうだったろうと考えながらほかの短冊を見る。
「ゴルフがじょうずになりたい」というのもあった。筆者の子ども時代とは大違いである。
なんだか、レベルが違うなあと思っていると、ようやく筆者と合致する願いごとが出てきた。

「にんじゃになりたい」「ゲゲゲの鬼太郎のように強くなりたい」「プリキュアになりたい」
こういう願い事を目にすると、ホッとする。
なかには、「おかねもちになりたい」というのもある。筆者も、子どもの頃、そう書いたような気がする。

 それにしても、鬼太郎を知っているとは思わなかった。テレビ番組でやっているようではない。
DVDか何かで見ているのだろうかと思っていると、どうしても分からぬ願い事に出くわした。
「ポムポムプリンになりたい」。こればっかりは、降参である。分からぬ。

 子どもたちの願いごとに癒されつつ、イオンから市民球場側へ出た。球場から高校生たちの歓声が聞こえてくる。
 
 ぼやぼやしているうちに、世間はすっかり夏である。
ラベル:鹿児島
posted by ぶらかご.com at 22:18| Comment(0) | 市井だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする