2014年04月01日

昭和20年6月17日 未曽有の大空襲・鹿児島市

6月13日から雨が一週間も降り続いていました。
空襲にそなえ各家庭の衣類は、防空壕に入れてありました。
雨水は防空壕に流れ込み、底に20センチもたまるほどでした。
長梅雨で甲突川は、石垣が隠れるほど増水し、濁流の上になお雨足が立っていました。

6月17日午後11時5分、異様な爆音が響き始め、上荒田方面に真っ赤な火柱が立ちました。
次いで、大きな雨音のようなザーッという音が鹿児島市内を覆ったのでした。
雨音はおよそ13万個といわれる焼夷弾が投下されたときのもので、それは一時間にわたって降り注がれました。
同時に、多量の油の雨が降り注ぎ、鹿児島市内は火の海となりました。

鹿児島を襲った米軍機は百数十機の大編隊で、これまでの爆弾攻撃を変更して、深夜に全市を焼き払う焼夷弾作戦の第一弾でありました。
このとき、空襲警報は発令されていませんでした。

この空襲については、様々な書物が出版されていますが、今回は『勝目清回顧録』から抜粋しました。
当時、現天保山中学校にほど近いところに自宅がありました。

【 勝目清回顧録より 】
「昭和20年6月17日夜は、いつものとおり枕元に防空帽やゲートル、救急袋などを準備して就寝したが、ちょっと眠ったと思ったとき、異様な物音に目が覚めた。
屋外に出ると、武岡方面上空は昼のような明るさ、白銀色の光が無数に輝いている。
みるみる市内各所は火災だ。

風が海面から吹いていたので、海岸方面から市役所に行けると考えて、二人で天保山橋から城南小学校前まで来たが、中央市場方面から全面火の海。
とても行かれないので、引き返して再び八幡警防団で情報を聞いて電車通りを武之橋に出た。
甲突川の左岸を上がったり、右岸を行ったり両岸の火災逃げつつ辛うじて高見橋にたどりついた。

高見馬場方面の電車通りも一面の火の海で、これまた行かれない。
柿本寺(現加治屋町)交差点から新照院に抜け、持増石材店が焼けている火の下をくぐって、上の平を照国神社前に出た。
図書館(現県立博物館)には、当時警察隊が入っていて、署員多数で防火活動中であった。

二の丸を通り過ぎ、千歳旅館から御殿馬場に出たときは、二高女の焼ける火の粉で道は一杯だ。
やっと火の粉の下をくぐりくぐって、市役所に到達。
自宅を出てから約二時間ぐらいかかっていた。
市役所の塔上にのぼってみると、上町方面の一部を除いて全市火炎の下である。
手の打ちようもない始末。

夜は明けてもまだ火災はやまぬ。ことに山手、城山下などは、七時か八時ごろに焼けたようである。
再び市役所塔にのぼって市内を見る、昨日に引きかえ見るも無残な焼け跡ばかり。
まだ山形屋や無尽会社(現南日本銀行本店)などは窓から紅蓮の炎を吐いており、下方電車通りには電車の焼失残骸が軌道の上に転がっていた。」

翌6月18日も朝から小雨。
鹿児島市内は一面の焼野原、空襲の規模、被害も最大でありました。
被災人口66134人、被災戸数11,649戸、死者2,316人、負傷者3,500人に上りました。

【 市営造物の被害 】
市庁内付属建物、交通部、公会堂、中央卸売市場、歴史館、市立病院。
9つの国民学校(鹿児島、山下、松原、草牟田、西田、中洲、荒田、第二、八幡)
女子興業、女子商業。
青年学校7校(鹿児島、松原、荒田、紫原、洲崎、西田、交通)
水道においては配水池、配水管に被害はありませんでしたが、各戸引込線に多大な被害を受けたそうです。

【 山形屋炎上 】
当時、山形屋は地下一階、地上七階、延べ面積4200坪の鉄骨鉄筋コンクリートの建物でした。鹿児島県下最大の建物で、少々の爆撃ではビクともしないと考えられていました。
そのため、山形屋には軍の関係が乗り込み、占領されたような状態でした。

地階には土嚢を積み、市中心街の空襲避難所として四六時中開放されていました。
3階は鹿児島県の第二経済部、4階は航空兵器製作所、5階以上は海軍武官府、屋上は陸軍監視所で高射砲陣地がつくられていました。
山形屋本館を戦火から守るため、半径200mに強制疎開命令が出され周辺の商店は次々に壊されたそうです。

1階と2階が百貨店本来の売り場でしたが、統制経済下の営業だけに商品は足袋やシャツ、石鹸などわずかばかりのものが陳列されているだけで、百貨店としての機能は、まったく失われていました。

山形屋本館の隣りには、昭和7年に建てられた木造三階建ての山形屋卸部(現バスセンター)がありました。
就職禁止令によって、21歳〜40歳までの男子は、卸・小売業への就職を禁じられ、戦線へと送り出されていたのでした。
卸部は閉店されることになり、その後に陸軍被服支廠鹿児島出張所が入ることになりました。

6月17日、雨のように降り注ぐ焼夷弾によって、辺り一面火の海となっていました。
山形屋本館に隣接した陸軍被服支廠鹿児島出張所倉庫が燃え出しました。
凄まじい熱風と煙がシャッターを越えて、本館に猛烈な勢いで入ってきました。
地下室に避難していた市民たちは、急いで市役所の公衆防空壕に移動。
陸軍被服支廠倉庫の炎は本館に延焼し、山形屋百貨店は全館炎上してしまったそうです。

【 18日午前10時、西部軍管区司令部発表 】
マリアナ基地の敵B29約100機は6月17日23時頃より18日4時20分頃までの間、一部をもって関門地区ならびに鹿児島付近に、主力をもって大牟田市付近に侵入、関門地区には機雷を投下、鹿児島市、大牟田市付近には主として焼夷弾による攻撃を実施せり。
大牟田市、鹿児島市およびその付近に火災発生するも、軍官民の敢闘により18日6時頃までにおおむね鎮火せり。重要施設の被害軽微なり。

市民たちに、真実が知らされることはありませんでした。
posted by ぶらかご.com at 21:58| Comment(0) | 鹿児島城下周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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