2014年05月05日

ルース台風

■ 台風の進路と規模
戦後の自然災害のなかで、ルース台風がもたらした被害は大きく、戦災復興事業にも甚大な影響を与えました。

昭和26年10月8日、グアム島南方洋上で発生した台風は、西北西に進んでいました。
台風はしだいに発達し、12日になるとルソン島沖で北東に向かい始めました。
台風の中心気圧は924ヘクトパスカル、非常に強い大型台風に成長。
14日午後7時頃、串木野市付近に上陸しました。

上陸後は時速80キロの早い速度で九州を縦断、山口県・島根県を経て日本海に出、北陸・東北地方を通って15日夕方には三陸沖に進みました。
この台風は勢力が強く、暴風半径も非常に広かったため、全国各地で暴風が吹き荒れました。九州、四国、中国地方の一部では大雨となり、山口県では土砂災害や河川の氾濫が相次ぎ、400名を超える死者・行方不明者が出てしまいました。

鹿児島県の雨量は100ミリ前後でしたが、大隅半島中部では300ミリを超えたところもありました。
この台風は、強風と高潮が鹿児島に甚大な被害をもたらしました。

■ ルース台風の被害
昭和26年10月14日は月齢14で大潮、薩摩半島の満潮は午後6時から7時でした。
ルース台風の接近は、ちょうど大潮の満潮時と重なったため、異常な高潮が発生したのでした。
鹿児島市、枕崎市、串木野市、野間池では高潮被害が甚大でした。

『鹿児島県史』によると、被害状況は次のとおりでした。
死者行方不明201人、重軽傷者2,566人、家畜の斃死952頭。
住家の浸水31,805戸、全半壊45,657戸、流出5706戸、公共建物215,838坪、堤防被害22,583メートル、橋梁26ヶ所、道路415ヶ所、がけ崩れ341ヶ所、港湾37ヶ所、漁港31ヶ所。
船舶沈没1,648隻、大小破2,925隻、水路545ヶ所、田畑冠水6,855町、流出・埋没726町。
農作物の被害は水稲566,075石、陸稲7万66石等で、被害総額332億1909万円余であった。

■ 鹿児島市の被害
鹿児島市の被害については、『鹿児島市政だより』1951年10月31日31に、被害状況図と写真が掲載されていますので、参考にしてみてください。
鹿児島市にあって、とくに被害の大きかったところは、旧塩屋町・郡元・下荒田でした。

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【 被害状況 】
死傷者56人、浸水家屋15,070戸、全半壊家屋4,091戸、その他堤防や橋梁、道路、護岸、農作物などが被害を受け、被害総額75億8707万円にのぼりました。
鹿児島市は災害救助法の適用を受け、学校などの公共施設12ヶ所に10日間、延べ94,760人が収容されました。
また、私有施設に20日間、15,860人が収容され、急ぎ仮設住宅236戸が造られました。

『鹿児島市政だより』冒頭に、市長の書簡が掲載されています。
鹿児島市は6年前の6月17日其他の爆撃によって、一望の焼野が原となりました。
それから6年、廃墟の中に立ち上がって敗戦に伴う、あらゆる悪条件と戦いながら困難な復興をなしとげてまいりました今日、再び此度の台風によりまして過去の戦災にも比すべき大きな打撃を蒙りました。

【 ルース台風被害状況図 】
被害状況図をみると、磯の海岸線から脇田の辺りまで床下・床上浸水の被害を受けています。
驚くことに、下荒田の辺りから新川、脇田の床上・床下浸水が市電のところまで及んでいます。
市電を越えた辺りは、床下浸水の被害を受けており、高潮がかなり内陸まで及んでいます。
上町に目を向ければ、稲荷川河口から柳町周辺は床下浸水を受けたことがわかります。

現在の海岸線は埋め立てが進み、当時にくらべると海が遠くなりました。
もし、防災施設が破壊されたならば、密集化の進んだ現在、はるかに大きな被害を受けるかもしれません。
高潮が海岸線から奥深くまで押し寄せたという事実は、知っておく必要があるかもしれません。

■ 各地の被害【 鹿児島市 】
その日の午後七時頃、鹿児島市新川沿いに住んでいた人が、押し寄せる高潮と重なって海面が4メートルも膨れ上がった様子を見た人があったそうです。
当時、真砂地区の人たちは、ちょうど夕食を摂っていたところでした。
気が付くと、畳に水が入ってきて、むっくり持ち上がり、高潮に気づいたそうです。
急いで外に飛び出すと、周囲は腰までつかるほどの海になっていました。
電車通りに向かって泳ぐように逃げたそうです。

郡元町にあった2000戸の住宅は、400戸が倒壊したり、流出しました。
また、南小付近にあった鉄道官舎一帯は海水で胸まで浸かったそうです。
騎射場電停辺りには、無人の舟が漂っていました。

高潮は海岸寄りの郡元、下荒田、鴨池、天保山、旧塩屋町、旧洲崎町一帯の住宅をほとんど全滅させてしまいました。
中央市場や市役所前の名山掘一帯は、船でなければ通れなかったそうです。

【 枕崎市・旧笠沙町 】
枕崎市では瞬間風速最大70メートルを超える強風と高潮によって、海岸一帯600戸が流されてしまいました。
100トン近くもある漁船が、水揚げ場の屋根を乗り越えるほどでした。
その周辺では、家屋と漁船が積み重なり、その下で29人が圧死していました。
このとき、港内では高潮が2.7メートルにも達していたそうです。

旧笠沙町野間池では、7メートルを超す津波となったといわれています。
トンボロ(陸繋島)の付け根に当たる苙元集落では、後浜から港に抜けた高波に17人がさらわれ、家屋85戸が流されてしまったそうです。
その他、指宿市や旧喜入町でも大きな被害を被っていますが、今回は一部の地域に限って触れてみました。

東日本大震災以後、鹿児島県でも津波対策が声高に叫ばれていますが、それは地震にともなうものばかりです。
地震に関する伝承や史実が少ない鹿児島にあって、台風と高潮に関する備えも必要かもしれません。

posted by ぶらかご.com at 20:43| Comment(0) | 戦後の鹿児島市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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