2014年09月21日

平成5年7月7日の豪雨

6月28日付南日本新聞 社説
平成5年6月の梅雨入り以降、鹿児島県は雨・大雨・曇りといった天気が続いていたようです。
6月28日付南日本新聞では、「大雨に一段の警戒を」と題した社説を掲載しています。
当時の雨の降り方と鹿児島ならではの危険性を呼びかけています。

「今年の梅雨は典型的な陽性型で、一度降り出したら必ず大雨となっている。入梅からの総雨量が既に1000ミリを超えた所があるほか、各地とも梅雨期間中の平年値を上回っている。姶良郡姶良町では、山崩れによる犠牲者が出てしまった。心配されていた人命への災害が現実になった。鹿児島県では過去4年間、梅雨時の土砂災害による死者はひとりもなく済んでいただけに気の毒である。
山やガケはたっぷり水を含んでおり、少しの雨でも大崩れする危険な状態だ。一段と警戒を強めなければならない。
ガケ崩れや地滑り、土石流はいつ、どこで、どれぐらいの規模で発生するかを予知するのは難しい。思わぬ所が崩れ、予想外の惨事を引き起こす。

災害から身を守るには、一人ひとりが注意する以外にはない。雨の降り方や自宅周辺の状況変化に絶えず気を配る。ちょっとでも危険な兆候を感じたら、迷わずに避難する。平凡だが、難を避けるにはこれしかない。

鹿児島県には傾斜が15度以上ある谷のうち、下流域で5戸以上の民家に被害の出る可能性がある土石流危険渓流が1,888ヶ所ある。ガケ崩れ危険個所も約2800ヶ所にのぼる。
これに対し、砂防ダム建設などの防災対策は約2割しか整備されていない。どこでも災害が起こる可能性があることを頭に入れ、雨期を安全に乗り切る手立てを考えておきたい。」

■ 7月2日の災害
月が変わった7月初旬、鹿児島県は各地で大雨による被害が出ていました。
3日付南日本新聞25面、「ガケ崩れ5棟全半壊、鹿県内各地で大雨被害23世帯65人避難」と題する記事が掲載されていました。

「梅雨前線が停滞する鹿児島地方は、2日午後も強い雨が降り、鹿児島市のほか出水市でガケ崩れが相次いだ。県内では同日だけでも住家など5棟が全半壊、3棟の一部が壊れ、被災世帯を含め23世帯65人が避難した。
指宿スカイラインをはじめ道路の全面通行止めも続いている。JR各線、鹿児島空港発着便のダイヤも大幅に乱れた。」
「鹿児島市皷川町では、同日午後4時40分頃、市道下のガケが高さ30m、幅20mにわたって崩れた。ケガ人や住家損壊などの被害はなかったが、付近の12世帯40人が親類宅などに避難した。
県内の河川も増水、鹿児島市の甲突川と新川が一時、警戒水位に達したほか、川内川や万之瀬川でも警戒水位を超えた。
鹿児島地方気象台は、これまで降り続いた雨の影響で河川が増水、地盤の緩みは一段と進んでおり、今後少しの雨でもガケ崩れ、地滑りなどが起こる恐れがあるとして、警戒を呼び掛けている。」

■ 7月4日の大雨被害
大雨は4日にも降り、このときは北薩を中心に強く降ったようです。
「特急など59本運休、鹿児島地方 大雨 川内では国道陥没」(南日本新聞7月5日付)

「鹿児島県警のまとめによると、宮之城町などで住家など10棟が浸水、ガケ崩れで3棟の一部が壊れた。
川内市西方町の国道3号では道路が陥没、全面通行止めになったほか、同日午後10時現在、県内の国道、県道各6ヶ所が全面通行止めになっている。
垂水市田神の県道垂水南之郷線では、道路わきの斜面が崩れ電柱をなぎ倒し、同市牛根地区などの約三千戸が一時停電、同市内の電話158回線が不通になっている。
鹿児島線の上川内―阿久根間で線路が冠水、特急、普通列車合わせて上下59本が全面運休したり部分運休した。」

「4日未明から北薩地方を中心に激しい雨が降った。降り始めからの雨量は多い所で200ミリ〜300ミリに達した。
各地の降り始めからの雨量は4日午後9時現在、紫尾山313ミリ、宮之城277ミリ、川内259ミリ、鹿屋71ミリ、鹿児島98ミリ、えびの234ミリ、宮崎63ミリとなっている。」

■ 7月6日付南日本新聞「かごしま都市圏」より
梅雨入り以降、晴れた日がほとんどない鹿児島市。長雨の影響は様々な商売にも影響を与えていました。
7月6日付南日本新聞の「鹿児島都市圏」欄に、次のような記事が掲載されていました。

【 うんざり大雨困った 】
梅雨前線の影響で連日、土砂降りに見舞われている鹿児島地方。鹿児島市の6月の総雨量は平年の約2倍の775ミリ。今月は5日午後3時現在ですでに396ミリを記録している。梅雨空を見上げる市民からは、いろんな声が聞かれる。

電器店
雨続きのなか、乾燥機は主婦の人気商品。
洗濯物に悩む主婦に、乾燥機が売れている。市内の大型店の6月売上は、前年同月より6割伸びた。主婦がひとりで買いに来るケースが多いという。「共働きの増加で主婦はお金を持っている。雨続きでうんざりしたのでは」と、売場の担当者
映画館
「恵みの雨どころか、これだけ降れば観客の足も遠のきがち。先週末の来館者数も前週より2〜3割は落ちた。」
農業
吉野町の農家の方が、こんな風にコメントしています。
「軟弱野菜は日照不足でまったくダメ」とため息。約100uあたりの収量は、例年なら80sが、今年は10s前後という。収量が持ち直すのは、7月下旬から8月下旬になりそう。
● 傘 店
修理依頼が増えている。山下町の傘店に持ち込まれる傘は、多い日で1日50本。「昨年より忙しい。晴れ間や小雨を見計らって持ち込む客が多い。車などのドアに挟んで傘の骨を折る人がほとんど。雨が強いから、慌てて傘をさすんでしょう」

■ 7月7日の豪雨
7月8日付南日本新聞・南風録に次のようなコラムが掲載されていました。

「来る日も来る日も雨ばかりだ。梅雨は陽性型と陰性型に分けられるが、今年は両方を併せもったような、ときには恐ろしく、ときにはうっとうしい降り方が続いている。
長雨で地盤がゆるんでいたところへ、追い打ちをかける豪雨。災害への恐怖、不安はしばらく消えそうにもない。
毎年そうだが、梅雨の末期には多数の死者を出す被害が起きている。7年前の昭和61年7月には鹿児島市で18人が死亡した。そのほとんどは、ガケ下に住む人たちだった。危険はわかっていても、住み慣れたところからは動けない。

梅雨に入ったのは五月下旬だった。県本土はすでに昨年を大きく上回る雨量を記録している。鹿児島市では1400ミリを突破して、観測史上3位の1262ミリ(昭和28年)を抜いた。市内を流れる川が、これからの雨を持ちこたえられるか不安がます。

山を削って団地を造り、土の上にコンクリートを重ねた。それまで樹木や土が吸い込んでいた雨は中小の川へどっと流れ込むようになってきている。
梅雨明け宣言が待ち遠しい。早く青空が見たい。
だがこんなときこそ、開発と災害、治山、治水について考えてみたい。天災で済ましているなかに、実は人災があるんだということを、自然は教えている。」

【 7日の災害 】
梅雨前線の停滞による激しい大雨で、鹿児島県内では7日午後も災害が続発しました。
この大雨によって、6ヶ所で7人の死者を出す災害が発生しました。
末吉町南之郷、鹿児島市吉野町磯、大隅町中之内、松山町新橋、頴娃町別府、山川町成川。
鹿児島市郡元町では、高さ60mのガケが上部から25m、幅30mにわたって崩れ、68歳の女性が生き埋めとなりました。2時間半後、奇跡的に女性は救出されたそうです。
郡元町の土砂崩れでは、5棟全壊・2棟半壊、7棟が一部損壊の被害を受けました。
鹿児島市吉野町の三船病院裏山で鉄砲水が発生しましたが、患者や施設に被害はありませんでした。
県道・国道などの道路も寸断、JRなど交通機関の乱れも終日つづきました。

この日、鹿児島県内は各地で日間雨量が150ミリを超えていました。
鹿児島地方気象台によると、枕崎では7日の半日だけで315ミリを記録。日間雨量としては、大正12年の観測所開設以来の最高であったそうです。

■ 7月18日の豪雨
大雨は、7月半ばにも鹿児島県に降り、各地に被害をもたらしていました。
7月19日付南日本新聞より、「九州道一時通行止め、豪雨で鹿県内各地に被害」

「活発な梅雨前線の南下に伴って、九州南部地方は18日午前にかけて強い雨が降り、ガケ崩れなどによる道路規制が相次いだ。
鹿児島地方気象台の観測によると、同日午前の各地の1時間雨量は、えびの53ミリ、宮之城42ミリ、霧島御池51ミリ、鹿児島28ミリなどを記録した。」

この大雨で、道路の陥没や土砂崩れの災害が発生しました。

午前8時過ぎ、九州自動車道栗野−えびのインター間で、中央分離帯が長さ3m、幅4mにわたって陥没、全面通行止めになった。応急措置によって、午後3時には車線規制によって開通しています。
また、垂水市の国道220号では、午前8時頃、小浜−牛根麓間でボラ流出のため全面通行止め。応急措置により、午後1時半に片側通行となりました。

7月19日以後、雨は小康状態となりました。
しかし、31日に鹿児島・宮崎は200ミリを超す大雨に襲われることになります。
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2014年09月18日

平成5年6月12日〜7月8日の長雨

平成5年の鹿児島県は、自然の猛威が次々と襲って来た年でした。
2月と4月の冷え込みと霜害。
6月から9月にかけて、九州南部を襲った集中豪雨と台風は、鹿児島県にかつてない被害をもたらしました。
3ヵ月間の降雨量は2500ミリを超えていました。
また、1時間に100ミリを記録するほどの豪雨は、各地にガケ崩れや地滑り、土石流などを発生させ多くの犠牲者が出てしまいました。
死者・行方不明者は121人に上り、被害総額3000億円を超えたとも言われています。

この頃の全国ニュースを少し拾ってみました。
伊敷台小学校開校、『かごしま市民の広場4月号311』より。
6月23日、雲仙普賢岳約2年ぶりに大規模な火砕流が発生。継続的な火砕流で南千本木町や上折橋町などで60棟以上の家屋が焼失・倒壊した。
6月29日、円また上昇、一時105円に、対マルク最高値の61円73銭。
7月12日、北海道南西沖地震が発生、奥尻島が壊滅状態になりました。
7月18日、第40回衆議院議員選挙
8月1日、磯庭園ロープウエイが最後の運航、34年の歴史に幕。
8月9日、細川内閣が誕生
9月1日、日本列島、冷夏で大凶作、コメを大量輸入。

平成5年鹿児島の空は、2月頃から少しずつ異変が生じつつありました。

2月23日〜25日の霜害
この年の2月23日から25日にかけて、九州南部に強い寒気が流れ込みました。
西高東低の冬型の気圧配置となり、各地で気温が下がりました。
とくに25日の大口は−5.8度、牧之原で−4.7度、宮之城で−3.5度の最低気温を観測しました。
2月25日は各地で冷え込み、鹿児島市で−0.4度、加世田市でも−1度となりました。
例年2月の冷え込みは普通のことなのですが、寒気が4月にもやって来ました。

平成5年4月9日〜11日の霜害
4月7日から日本付近の上空に寒気が流入、九州でも10日から11日にかけて気温が下がったのでした。
とくに、大口・宮之城・田代町で最低気温が氷点下まで低下。
大口市;9日0.4度、10日−3.2度、11日−1.8度
宮之城;9日2.5度、10日−0.7度、11日−1.8度
田代町;9日1.8度、10日−0.5度、11日1.6度
晩霜害によって、川辺・日置・姶良地域を中心に県本土全域で農作物に被害が出てしまいました。

6月12日〜7月8日の長雨
6月12日、大陸東岸で発生した低気圧が北東し、14日には日本海に進みました。
この低気圧に向かって南から暖かく湿った空気が流れ込み、大気の状態が不安定となり、13日、県北部を中心に大雨となった。
梅雨前線は南下することなく、19日にかけて九州付近に停滞、活動は活発化したため鹿児島地方で大雨となりました。

【 6月19日の被害 】6月20日付南日本新聞27面
「九州南部の大雨、12世帯27人が避難 鹿児島市鉄塔近くのがけ崩れる」
大雨の影響で鹿児島県内は19日午後も土砂崩れによる住家の損壊や通行止め、交通の乱れなど被害が広がった。
同日午後6時過ぎ、鹿児島市紫原変電所の鉄塔(高さ約26メートル)の基礎部分から2メートル脇のガケが幅8m、高さ2mにわたって崩れているのがわかり、鹿児島市消防局は念のために附近住民に避難勧告。
宇宿四丁目の12世帯、27人が知人宅に避難した。

6月21日付の同紙によると、土砂崩壊で鉄塔が傾いていたようです。住民が避難していた鹿児島市紫原3丁目の現場では、土嚢を積むなどの応急措置をしたため住民は公民館から自宅に戻ったそうです。

県警のまとめによると、坊津町栗野でガケ崩れのため住家2棟一部損壊。
高尾野町江内では鉄砲水が発生、農家一戸が床下浸水。
阿久根市波留で2戸、出水市住吉町でも1戸が浸水しました。

鹿児島地方気象台の大雨に関する情報によると、12日から八日連続で降り続いた雨は、19日午後7時までにえびの市で1272ミリを筆頭に、各地で500ミリ前後に達したそうです。
各地の総雨量は次の通り(12日の降り始め〜19日午後7時まで)
えびの市1272ミリ、小林市753ミリ、紫尾山620ミリ、溝辺594ミリ、矢止岳582ミリ、大口市557ミリ、鹿児島市365ミリ。

梅雨のひと休み
梅雨前線は、6月20日から21日にかけて南下したため鹿児島地方の天気は小康状態となりました。
6月21日付南日本新聞21面。「たんまり洗濯物一掃 九州南部9日ぶりの晴天」
梅雨の長雨に見舞われた九州南部地方は、20日朝から晴れ間が広がり、九日ぶりに夏の日差しが戻った。家庭の主婦らはたまった洗濯に追われ、梅雨の晴れ間に洗濯物がはためいた。鹿児島地方気象台の観測によると、梅雨前線が九州南海上まで南下、東シナ海の高気圧が覆ったため晴天になった。朝から気温はぐんぐん上がり、志布志で29.6度、大口28.8度、鹿児島28.5度を記録。湿度も鹿児島で54%と低く、連日の蒸し暑さから解放された。

22日と25日にはまたもや大雨となり、25日午前8時の降りはじめから26日午後1時までの総雨量は、えびの233ミリ、加世田202ミリ、鹿児島144ミリでした。
九州南部に大雨を降らせた雨雲は、26日昼過ぎ東に抜けましたが、湿った空気の流れ込みはつづき大気は不安定な状態にありました。
26日、姶良町寺師で裏山が崩れ民家が崩壊、ひとり暮らしの女性が生き埋めとなり死亡。
この事故は、平成5年夏、鹿児島を襲った一連の豪雨災害での最初の犠牲者となってしまいました。
鹿児島市でも幼児が増水の川に流されて死亡し、2人の死者を出してしまいました。
この他、ガケ崩れなどで県道5ヶ所が通行止め、JRなどの交通機関も大きく乱れました。

【 7月の状況 】
7月2日と4日は低気圧の通過、7日には太平洋高気圧の強まりに伴って、南から著しく暖かく湿った空気が梅雨前線に向かって流れ込んだため局地的な豪雨となりました。
この期間、県本土では紫尾山で1934ミリを最高に、ほとんどの観測所で1000ミリを超えたそうです。
7月8日になると太平洋高気圧が強まり、梅雨前線を北上させました。
鹿児島地方は太平洋高気圧に覆われるようになり、6月12日から続いた大雨も終わりとなりました。

【 被害状況 】
7月2日、鹿児島市の梅雨期間中の総雨量が22年ぶりに1000ミリ超えたそうです。
7月5日、佐多町の郡で生コン工場の裏山が崩れ、56歳の男性作業員が事務所ごと生き埋めとなり死亡。
7月7日、前夜からの激しい雨によって県内各地でガケ崩れ続出。
     鹿児島市竜ヶ水で79歳の女性がガケ崩れで死亡。
     頴娃町別府で5歳の男の子が生き埋めで死亡。
     山川町成川地区で母娘が、末吉町で66歳の男性、大隅町で72歳の女性、松山町で57歳の男性がいず     れもガケ崩れによって死亡。
道路や交通機関は寸断され、住宅被害や公共土木被害も甚大なものとなりました。
一連の大雨被害で、死者9人・重傷者4人・軽傷者10人。住家全壊29棟・半壊33棟。
住家床上浸水100棟・床下浸水819棟、公共土木関係3230ヶ所、学校施設16ヶ所という
被害をだしています。

7月9日、鹿児島地方気象台は九州南部地方の梅雨明けを発表しましたが、雨は継続的に降
り続いていました。梅雨明け発表は、8月31日に「梅雨明けの日は特定できない」と異例
の修正発表をすることになります。
鹿児島地方は、台風5号・6号が相次いで接近したうえ、7月31日〜8月2日にかけて豪
雨に見舞われることになります。
また、一連の長雨で山やガケは、たっぷり水を含んでいたと思われます。
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2014年09月15日

鹿児島市を襲った、昭和61年7月10日のゲリラ豪雨

■ 昭和61年7月頃の新聞記事
昭和61年7月1日の南日本新聞によると、「円、163円台に高騰」という見出しと共に、米経済の停滞懸念、1ヶ月半ぶり、ドル売りが殺到という記事を掲載しています。
円とドルの為替レートは160円台の頃で、円高は深刻な問題となりつつあったようです。
記事によると、「米国の貿易赤字増大や日本の経常収支黒字幅が依然高水準なことから、日米関係の悪化を懸念してドル売りが殺到、円相場は5月15日以来一ヶ月半ぶりに163円台に入った。」

また、この年はメキシコでサッカーのワールドカップが開催されていました。
決勝ではアルゼンチンと西ドイツが対戦し、3−2でアルゼンチンが優勝しています。
MVPはマラドーナ、「マラドーナのための大会」を締めくくるにふさわしいフィナーレだったと南日本新聞の記事は伝えています

この年の夏には衆参同日選挙も行われており、7月1日付『南風録』に「過熱しているのは陣営ばかりで、有権者は意外に冷めた目で見ている」「支持政党なしの無党派層が、今回は大幅に増えている」と伝えています。
7月10日、鹿児島市は局地的なゲリラ豪雨に見舞われたのでした。

■ 昭和61年7月10日、空の異変
九州南部は、亜熱帯高気圧周辺部から温暖な気流の流れ込みが続き、大気が不安定な状態になっていました。
10日早朝、雨雲は鹿児島県本土周辺の海上に散在していましたが、陸上では観測されず九州南部は晴れていました。

午前9時頃から海上にあった雨雲が陸上に移動し始め、鹿児島市周辺には高さ4キロメートル前後の雲が観測されていました。
その後、鹿児島市上空で雷雲がまとまるとともに、急速に発達、午前10時30分には高さ8〜11キロメートルに達していました。

この雷雲は夕方ごろまで鹿児島市上空に停滞しました。
鹿児島地方気象台では午前10時25分から23時10分の間に、192.5ミリの雨量を観測。
最大1時間降水量は、15時10分から16時10分までに75ミリを記録。
その他、国鉄武町観測所では、日雨量302ミリ(午前10時30分〜18時まで)、1時間雨量114ミリ(15時20分〜16時20分)の雨量を観測したそうです。

このゲリラ的な豪雨の最大の特徴は、鹿児島市だけに豪雨をもたらしたことでした。
鹿児島市以外の地域で、大雨は殆ど降らなかったそうです。

■ 豪雨による被害状況の時系列
この日の大雨は、局地性が極めて強く、短時間に多量の降水量を観測。
被災地も鹿児島市中央部の急傾斜地や山際の危険地域で、災害が発生しました。

12時50分 大雨洪水雷雨波浪注意報発令
13時46分 田上町で「道路冠水、敷地内に流入」の通報を皮切りに通報が相次ぐ。
13時50分 大雨洪水警報に切り替え
15時00分 消防局への通報、1時間に72本(15時〜16時)に達し、合計279本の通報があった
15時15分 郡元町唐湊、カクイわた前の新川が氾濫、住民に避難命令。
      新川の氾濫によって、住宅地は深い所で腰のあたりまで水に浸かる。
      同時刻、市内42両の全消防車、救急車が出動。ガケ崩れの通報が頻繁に入る。
15時57分 長田町城ヶ谷でガケ崩れ、5人生埋め2人死亡、3人救出。
      生後8ヶ月の男の子は、5時間後に救出。
16時10分 上竜尾町常安団地バス停付近で、高さ80m・幅50mにわたるガケが崩れ、5人が生き埋めとなり全員死亡。
16時15分 平之町城山観光ホテルビアガーデン下一帯の住民に避難命令。
      同時刻、市水防本部設置。
16時20分 1時間雨量74.5ミリを記録。
16時27分 平之町三育保育園裏でガケ崩れ、家屋倒壊。
16時30分 新照院町前の谷で3人生埋め、2人死亡・1人救出。
      武2丁目、武岡荘附近でガケ崩れ、1人生埋め・死亡。市災害対策本部設置。
17時40分 平之町三育保育園裏で再びガケ崩れ。6人生埋め、5人死亡・1人救出。
18時20分 西別府町海江田団地でガケ崩れ。5人生埋め、全員救出(1人重傷)。
18時26分 田上1丁目でガケ崩れ。1人生埋め・死亡。
20時30分 吉野町三船でガケ崩れ。3人生埋め、2人死亡・1人救出
22時00分 自衛隊の出動要請

■ 被害状況
鹿児島市内では午前10時半ごろから雨が降り出し、1時間降水量が46ミリ(12時40分〜13時40分)を記録した頃より床下浸水や道路冠水などの被害が発生し始めました。
14時半頃には、小さなガケ崩れも起き始めていました。
1時間降水量が50ミリを超えた(14時40分〜15時40分に57ミリ)頃から小河川が氾濫し、人的被害を含む大きなガケ崩れが次々に発生しました。
1時間降水量が75ミリ(15時10分〜16時10分)を記録した頃が災害のピークであったようです。

雨が降り止んだ17時過ぎに3件の大きなガケ崩れが発生。とくに吉野町三船の場合は、雨が降り止んだ3時間後に発生しています。

この大雨による死者は18人、重傷者5人、軽傷者10人。
また、住家全壊66棟・半壊28棟、床上浸水263棟・床下浸水694棟にものぼりました。

【 川と化した町通り 】
この大雨では甲突川が氾濫することはありませんでしたが、濁流によって通りという通りは川と化し、商店街や飲食店などは軒並み水びたしになったそうです。
朝日通りや天神馬場、文化通り、山之口本通、二官橋通り一帯などの繁華街では、深い所で膝上まで達しました。
軽石や木切れが濁流とともに流れてきたため、通行人は逃げ惑ったそうです。

昭和61年7月12日付南日本新聞19面には、「川と化したアーケード街。急造の橋が架けられた」と題する記事が写真と共に掲載されています。
写真は10日の午後4時20分頃、中町のアーケードを撮影したものです。
記事では“急造の橋”と記載していますが、よく見ると、いくつも並べられた長椅子の上を人々は歩いています。

■ 7月12日付南日本新聞社説
「シラス災害まざまざと」と題した社説に、当時の鹿児島市の都市開発のあり方と防災意識を高めようとする記事を掲載しています。

「県内では高度経済成長とともに鹿児島市への人口集中が始まり、いま総人口の3分の1が集まっている。旧市街地だけでは膨れる人口を九州できないので、周辺の丘陵地や郊外を造成して住宅を建ててきた。また地価が高いなどの理由からガケ下に住んでいる人も多く、市内の急傾斜地崩壊危険区域は300ヶ所以上にも及ぶ。」

「一連の開発で浮き彫りになったのは、災害にもろい都市の姿である。市周辺部の造成地では樹木を切り払い道路を舗装したため、降った雨は地下に浸透する割合が少なく、低い市街地へどっと流れていく。
今回の集中豪雨では、またたく間に市街地は水に浸かった。一時的に雨が多く降ったことのほか、周辺部から流入したことも大きい。さらには桜島の降灰などで肝心の側溝がつまっていて、水はけを悪くしたことも災いしたといえるだろう。」

「市内の幹線道路では増水で車が通れず、運転不能になった車が路上に放置されるなど、一時は交通がマヒ状態だった。ビルの地下で浸水したところがあったのも、水害にもろい都市の断面と言える。行政や商店街などは、今回の教訓を生かして集中豪雨に強い街づくりに努力してもらいたい。ガケ下などの一斉点検だけにとどまらず、市街地の防災もこの際、見直す好機である。」

「シラス土壌の多い鹿児島は、県全体が国の“特殊土壌災害地帯”に指定されている。これはシラスの性質に基づくもので、豪雨になれば山やガケ崩れが起きる危険度が極めて高いといことだ。言い換えれば、県民は常に災害の危険と隣り合わせに暮らしていることになる。
それだけに、防災への認識を怠ってはならない。
鹿児島では気象災害の大部分は、台風と前線活動によって占められている。つまり県民にとって、台風と集中豪雨の二つが最も要注意ということになる。
一般に台風に比べて豪雨に対する備えはおろそかにされがちであるだけに、今後は行政も豪雨対策に力を入れるべきだ」

■ その他の関連記事
以前、「危ないと気付きながら災害に遭う悲しさ」という記事を書きましたが、昭和61年7月10日の豪雨災害でも、九年前と同じことが起こっていました。
7月12日付南日本新聞20面によると、死者の出たガケ崩れ7ヶ所のうち、同危険区域や市の風水害危険個所に指定されていたのは2ヶ所だけであったそうです。
「指定しても防災の予算が追い付かない」(鹿児島市)
「いろいろ制約を受けるため、指定を拒む住民が多い」(鹿児島県)

危険個所指定によって土地の評価が下がることを危惧する地主さん、予算の問題を抱えた行政。
この辺の問題をクリアしない限り、悲劇は繰り返すのかもしれません。

当時、甲突川にかかる五石橋を撤去しようという声が上がっていたそうです。
「豪雨時には、洪水の危険があるから撤去すべし」というものであったらしい。
7月10日の豪雨では甲突川の氾濫は起こらず、石橋撤去論の根拠に疑問を抱かせる結果にもなったそうです。
また、7月15日付南日本新聞によると、昭和天皇・皇后両陛下が鹿児島県に見舞金を贈られたそうです。
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