2014年09月02日

昭和51年6月に発生した災害

昭和52年6月22日、大雨洪水警報が発令された鹿児島地方は同日夜から23日朝にかけて、激しい雨が降りました。
えびので231ミリ、紫尾山118ミリ、溝辺114ミリなど各地で100ミリを超す激しいものでした。
この雨で、伊佐郡菱刈町湯之尾で床下浸水47戸、床上浸水26戸の被害が発生しました。
また、国鉄肥薩線・山野線など4ヶ所が不通、桜島を始めとして各地で土石流が発生、吉松町では3戸が床下浸水するという被害が起こりました。

鹿児島地方気象台は、23日夜から24日にかけて梅雨前線が再び停滞・活発化するおそれが出てきたため、23日午後10時に「大雨警報」と「洪水雷雨波浪注意報」を発令して、警戒を呼びかけました。

雨は24日深夜から25日早朝にかけて最もひどく降ってきました。
ちょうどそのとき、大隅半島北部から錦江湾奥、鹿児島上空にかけて帯状の高さ9〜11qの厚い雨雲が広がり、活発に活動し大雨を降らせたのでした。
鹿児島市では24日午後11時半〜25日午前0時半頃にかけて、時間雨量47ミリのどしゃ降りに見舞われ、各地で下水が溢れ、浸水やガケ崩れなどが相次ぎました。

■ 鹿児島市の被害
1.ガケ崩れ
24日から降り始めた大雨は25日も鹿児島市を襲い、大きな被害を出してしまいました。
被害の多くがガケ地に集中、住家は土砂に押しつぶされ、死者・負傷者が続出しました。

24日午後1時38分頃、山田農協近くでガケが高さ10m、幅10mにわたって崩れました。
また、午後2時半頃には慈眼寺公園近くで高さ10m、幅10mが崩れ、車2台が埋没。
運よく、人的被害はなかったそうです。
この日、94ヶ所でガケ崩れが発生し、9ヶ所が通行不能になりました。

2.河川氾濫
時間雨量40ミリ近くの雨が降った午前0時過ぎ、新川はあっという間に増水。
新川中流右岸の住宅地に濁流が流れ出し、瞬く間に126棟(床上32棟・床下94棟)が浸水してしまいました。
新川が氾濫した時間は、人々が寝入った頃であっという間に腰まで水があがってきたそうです。

また同じごろ、荒田川と天保山の中間の水がはけ切らず、下水が道路に溢れ出しました。
附近にあった70棟が床下浸水したそうです。
そのほか、鹿児島市内の中小河川は各所で決壊、浸水騒ぎが相次いだのでした。
甲突川も堤防すれすれまで増水し、流域に住む人々は不安が募るばかりであったそうです。

■ 大雨による大きな被害
喜入上空にあった厚さ12qの濃い雨雲は、25日未明、鹿児島市上空から宮崎県南部に移動して停滞、鹿児島市を中心に姶良、大隅地方にも大雨をもたしました。
それによって、各地で死亡者を出す大きな被害が発生してしまいました。

1.旧曽於郡松山町
6月25日午前9時17分頃、松山町新橋川床の広域農免道片側が長さ約50mにわたって崩壊。鉄砲水となって、道路下にあった河床部落の民家3戸を押し流しました。
この災害で5人が生き埋めとなり死亡してしまいました。

2.大隅町月野
6月25日朝6時20分頃、曽於郡大隅町月野持留の国道269号線で、道路脇のガケが高さ20m、幅10mにわたって崩壊。
土砂は路面を乗りこえ、反対側のガケ下にあった住家2棟を押しつぶしました。
この一帯は、昭和42年に路幅を8mに改良したところで、芝の活着もよく、これまで崩落事故は発生していませんでした。
400ミリを超す異常な雨によって、崩落事故を発生したものであったそうです。

3.鹿児島市宇宿町
高さ約100mのシラス崖が、幅約50mにわたって崩落。住宅5棟が土砂に埋まり、避難の遅れた4世帯14人が生き埋めになりました。
5人は自力で脱出しましたが、9人は土砂の下敷きとなり帰らぬ人となってしまいました。
土砂崩れのあった場所は、鹿児島市消防局が毎年、巡回警備地域として雨期ごとにマークしていた危険個所でありました。ただし、県指定の急傾斜危険区域には入っていませんでした。

崖崩壊があったのは25日午前6時過ぎのこと。
ガケ崩れが発生する前に、小さな土砂崩れがあり、南消防員8人が避難指示を出している最中のことでした。
連続雨量は避難指示基準の150ミリをはるかに超えており、消防署では前夜から附近一帯に避難勧告を行っていたそうです。

4.鹿児島市鴨池町唐湊
裏山が崩れ、アパートに住む学生3人と管理人が生き埋めとなって死亡した事故でした。
現場は高さ40mの斜面に造られた段々畑状の果樹園。
果樹園では10年前から柑橘類が栽培され、直径10センチ以上にまで成長していました。
また、畑に沿って20センチはあるイヌマキマキも植えられていました。

事故発生の2年前、ガケの上に住宅が建てられ、道路が取り付けられなど環境変化の起こりました。
鹿児島大学の教授によると、「人間が手を加えない自然状態でもシラス台地の縁では、絶えずガケ崩れが起こっている。まして宅地造成時の大型建設機械や車の振動があれば、崩れるのは当然」と当時の南日本新聞紙上で述べています。

この集中豪雨によって、32人もの尊い命が犠牲となってしまいました。
災害発生後、南日本新聞では26日から29日まで、鹿児島市内でのガケ崩れの原因に関する記事を大きく掲載しています。

■ 雨やめば桜島降灰
昭和51年6月29日付、南日本新聞13面。
「桜島は28日午前11時19分爆発。噴煙を2300mまで上げた。21日から1週間ぶりの爆発で、今年に入り78回目。(中略)
降灰は鹿児島市内を襲い、雨があがった後は灰に悩まされ市民はうんざりした表情」

posted by ぶらかご.com at 22:51| Comment(0) | 鹿児島の災害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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