2014年09月24日

平成5年7月31日から8月2日の大雨

天気概況
7月31日、九州南部は太平洋高気圧周辺に当たっていました。そこに暖かく湿った空気が流れ込み、大気はとても不安定な状態になっていました。
そうして、31日未明から1時間降水量30〜50oの局地的な大雨が降りました。
雨は宵の内に小康状態となりましたが、8月1日朝には黄海から九州中部へ梅雨前線が伸びていました。
夜にかけて前線は停滞し、活動が活発となりました。
九州上空に停滞した前線に、南から暖かく湿った空気が入り込み、次々に厚い雨雲をつくったことで大雨となったようです。

8月1日未明から再び雨が強まり、午前5時から8時にかけて宮之城や入来峠、溝辺で1時間当たり50oを超す大雨を観測。
その後、県中部や県北部を中心に局地的な大雨は降り続き、夕方から夜にかけてさらに激しいものになりました。
とくに溝辺では17時40分までの1時間に104oの記録的な激しい雨を観測しました。
7月31日〜8月2日にかけての総降水量は200〜400o、多い所では溝辺の645oを最高に、鹿屋で622o、吉ヶ別府で557oを観測しました。

7月の降水量は各地で記録を更新するほどでした。
鹿児島市の7月の月間降水量は1545oを記録、月間降水量としては観測史上第1位の記録で、大正4年の994.5oを78年ぶりに更新しました。
また、阿久根879o、枕崎979o、種子島530oなどでも、観測史上第一位を記録しています。

各地の被害の様子
7月31日から8月2日にかけて、姶良地域を中心に豪雨となり大きな被害がもたらされました。
姶良方面の梅雨期間中の総雨量は、蒲生町の矢止岳で1837o、溝辺で2123oと平年の3倍前後の記録的なものになっていました。
そこに集中豪雨が襲い掛かり、緩んでいた地盤は持ちこたえらなかったようです。

@ 旧姶良町
姶良町平松を流れる思川の護岸が豪雨でえぐられ、県道麓重富停車場線に架かる城瀬橋(長さ25m・幅7m)が折れ、コンクリート橋脚などが流されてしまいました。
また、川岸にあった建設機器メンテナンス会社の建物がずり落ち、横倒しとなりました。
同じく姶良町の九州自動車道上り、桜島サービスエリアの裏山が1日夜から2日明け方にかけて断続的に崩壊。大量の土砂や立木が鉄筋コンクリートの建物に襲い掛かりました。
建物は崩壊し、駐車スペースも一面土砂の海となってしまいました。
山崩れは、高さ約70m・幅200mに及んだそうです。
『写真と年表でつづる かごしま戦後50年』に写真が掲載されていますので、参考にしてみてください。

A 孤立した鹿児島空港
大雨によって、各地でガケ崩れや道路の崩落が発生したため交通網のほとんどが寸断されてしまいました。
被災地は孤立状態におかれ、電話ケーブルが切断され市民生活に大きな影響をおよぼしました。まだ携帯電話が普及する前のことで、ポケットベルの時代でした。
とくに姶良・国分地区は道路冠水や土砂崩れによって通行不能となり、鹿児島空港では700人がビル内で一夜を明かしたそうです。

B 旧栗野・吉松町
栗野町の商店街一帯は水浸しとなり、91戸が床上浸水・約200戸が床下浸水の被害を受けました。水の高さは最高で、大人の胸の高さにまで達したそうです。
水が引き始めたのは、2日午前7時頃のことであったそうです。
吉松町を流れる桶寄川が氾濫、中津川地区や河添地区で16戸が床上浸水・71戸が床下浸水の被害を受けました。役場付近では、駐車中の車が流され、看板が倒れるなどで辺り一帯は泥だらけであったそうです。

C 旧薩摩町求名の鉄砲水
薩摩町求名では、高さ20m・幅20mにわたって土砂が崩れ国道267号を塞いでしまいました。坂の上から大量の水が、鉄砲水がナイアガラの滝のように激しく流れだし、国道下にあった人家に襲い掛かりました。
陣かは6,7m下の水田まで押し流されたそうです。
この鉄砲水で一人が亡くなったそうです。

E 鹿児島市の様子
31日未明から降り続いた大雨被害は、午後になると各地でさらに広がりました。
鹿児島市では増水した新川で堤防が決壊、そこから上流部では側溝が逆流。
床上浸水4棟・床下浸水109棟もの被害が発生しています。

■ 被害状況
この大雨によって死者23名、重傷者9名、住家全壊148棟、床上浸水1168棟、床下浸水4763棟などの被害が発生してしまいました。
死者は、旧吉田町で3人、旧姶良町1人、旧薩摩町1人、旧隼人町6人、旧霧島町1人、旧国分市7人であったそうです。

■ 南日本新聞社説より
1.8月3日付南日本新聞社説
この日の社説に、当時の天気の様子が記述されていました。
「梅雨に続いて台風5,6号が襲来した。それに追い打ちをかけたのが、八・一豪雨であった。今年の夏は強い太陽が照りつける日が少ない。梅雨入りいらい、雨の日が多く、しかも豪雨が何日もつづいた。日照時間は少ないうえ気温も低めに推移している。

梅雨明け直後の台風上陸が異例ならば、8月に入っての豪雨も珍しい。太平洋をはさんだ米国大陸でも大水害だ。いつもの夏の気象と違っているというのがみんなの実感だろう。
記録の面でもこれを裏付けている。鹿児島地方の7月の降水量は1000oを超えた。1915円の994.5oを破って気象台観測史上、最高の記録となった。」

2.8月3日付南日本新聞19面
『シラスのもろさ浮き彫り 防災工事には100年』と題した記事で、東日本大震災以降よく耳にする災害弱者に関する記述が出てきます。
記事には災害弱者という言葉は出てきません。
が、当時、すでに災害弱者のことを指摘している点は、記者の慧眼によるものと思われます。

「北姶良を中心に県内で同時多発的に発生した土砂崩れ災害は、県本土面積の半分を占める南九州特有のシラス台地のもろさを改めて浮き彫りにした。
シラス斜面の表層部分は地表を流れる水に弱いのが特徴。鹿児島大学農学部教授によると、1万年から数千年前に堆積、風化した火山灰層が乗った形で地盤が緩むと滑り落ちやすくなる。

県は土砂崩れ対策のひとつとして2800ヶ所を“急傾斜地崩壊危険個所”に指定。国庫補助に県単独事業を絡めて、危険度の高い場所から優先的に防災工事を進めている。今回被害に遭った国分名波、隼人町松永などの地域は同区域指定を受けていた。
ところが、指定箇所があまりにも多いため、県土木部の話では工事完了は年間20〜30ヶ所程度という。単純に計算すれば、全工事終了に約百年が必要だ。

先述の同教授によると、山の法面に排水用の防護壁を設置することで土砂崩れ防止は可能。だが都市部では宅地が不足しているため、郊外の危険地域に家を建てざるを得ない住宅事情が人的被害を大きくしていると指摘する。

一方、各市町で避難勧告が出されたが、過疎化に伴い独居のお年寄りや年配夫婦の家庭が増え、住み慣れたわが家から出たがらない。“消防団員が無理やり背負って連れ出したケースもあった”。シラス地域での避難の遅れは致命的だけに、高齢者の避難対策に課題を残した。」

■ 八・一豪雨 生活にも後遺症
豪雨による災害は、人々の生活に大きな影響を及ぼし始めていました。
各地の道路が寸断され配送が停滞、梅雨入り後の日照不足と大雨の影響で農作物も大きな被害を受けたため、価格の高騰を危惧するようになっていました。
もうひとつ心配なことが発生していました。ゴミのことです。
8月5日付南日本新聞23面に、「ゴミ収集ストップ」と題する記事が掲載されていました。

「国分市など1市8町 17万人困った 土砂、処理場も襲う。記録的な大雨に見舞われた国分・姶良地区では、2ヶ所のゴミ処理場が土砂崩れに巻き込まれて運転不能となり、鹿児島郡吉田町を含む1市8町の約17万人のゴミ処理ができない事態に陥っている。一部は天気の回復とともに悪臭もし始めており、衛生面への影響も心配される。」

その後、ゴミ問題はどうなったかと思う間もなく、八・六水害が鹿児島に襲い掛かってきました。
8月6日付南日本新聞23面に、「鹿児島地方に大雨警報」の記事が掲載し、注意を呼び掛けていました。

■ 鹿児島地方に大雨警報
九州南部地方は、6日夜にかけて雷を伴った強い雨が降る恐れがある。鹿児島地方気象台は5日午後10時過ぎ、鹿児島地方に大雨洪水警報を出した。災害への警戒を呼び掛けている。
同気象台によると、大陸には発達中の低気圧があり、九州南部附近に前線が延びている。
この前線に南から暖かい湿った空気が流れ込み、大気の状態が非常に不安定になっている。このため鹿児島地方は6日夜にかけて1時間50o以上の雷を伴った強い雨が降り、多い所では150から250oに達する見込み。
同気象台は、これまでの大雨で地盤が著しく緩み、がけ崩れ、河川のはんらん、浸水、土石流、突風など重大な災害の起きる恐れがあるという。
posted by ぶらかご.com at 23:28| Comment(0) | 鹿児島の災害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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