2014年10月09日

平成5年9月の台風13号

9月3日午後4時頃、大型で非常に強い台風13号は枕崎付近に上陸。
台風はやや加速しながら北東に進み、鹿児島湾から大隅半島北部を経て、勢力を弱めながら宮崎県を縦断して北上していったそうです。
この台風13号、上陸時の中心気圧は930hPa、中心付近の最大風速50m/秒、暴風半径170km、強風半径500kmという非常に大きなものでした。
気象庁が記録を取りはじめた1951年以降の記録では、第3位の気圧の低さであったそうです。

鹿児島・枕崎・種子島・屋久島で最大瞬間風速50m/秒を超えました。
とくに種子島では南の風59.1m/秒を観測しています。
総降水量は各地で100〜200oを超え、枕崎では300oを超えたそうです。
枕崎を例にとると、9月3日午後3時40分までの1時間に85o、午後4時までの1時間に東鹿籠(枕崎市)で92oを記録しました。
また、国分市上之段で午後5時までの1時間で86oという記録的な大雨を観測するなど、各地で激しい雨が降りました。

【 被害状況 】
県内各地で豪雨災害からようやく落ち着きを取り戻しつつあった矢先、戦後最大級の台風13号が鹿児島に襲い掛かって来ました。
この台風、昭和26年10月のルース台風や昭和20年9月の枕崎台風と同じという最悪のコースをたどりました。

台風13号は県内全域に雨と強風をもたらし、各地で災害が多発してしまいました。
台風の通過によって、薩摩半島では9月3日夜から未明にかけ各地で土砂崩れや洪水被害が発生しました。
鹿児島市内を流れる甲突川午後4時40分頃氾濫、いたるところで浸水被害が発生しました。

なかでも金峰町大坂扇山地区と川辺町小野地区では、土石流と山崩れが発生し大きな被害を出してしまいました。
その他、金峰町白川・大口市・垂水市・知覧町郡でも土砂崩れなどによって死者がでてしまいました。
台風13号災害による死者は2市3町で33名にも上りました。
被害につきましては、下をクリックしてみて下さい。
taihu13gou.pdf

【 川辺町小野地区 】
9月3日22時50分過ぎ、小野谷川上流で土石流が発生。ふもとの住家20棟が流され、26人が生き埋めとなりました。
そのうち17人は救出されたものの、9人が帰らぬ人となりました。
今回の土石流によって21世帯65人が被災、死者9人・重傷者3人・軽傷者16人・全壊住家12棟の被害がでました。

山あいから流れ出た土石流は、約560m・幅約80mにわたりました。
調査報告などによると、被災地全体にわたって流出・堆積土砂は少ないものであったそうです。土石流というより、高速の洪水流に近いものであったと考えられているようです。

土石流発生の報が警察に入ったのが22時53分頃、9月3日夜から地元消防団員ら約200人のほかに、4日未明から国分自衛隊の応援約170人も加わって行方不明者の捜索が始まりました。

川部町では台風13号接近に備えて9月2日夜から3日昼にかけて、繰り返し避難を呼びかけていました。5ヶ所の公民館に避難したのは川沿いの住民だけで、小野地区の人たちの殆どは避難していなかったそうです。
3日21時頃には風雨が弱まり、河川の水位も下がったことから避難した住民も帰宅しました。
しかし、土石流は雨がおさまった数時間後に襲ってきたそうです。
土石流の発生は、降雨のピーク前後に多いといわれています。
小野地区の場合、降雨のピークから約7時間後ときわめて遅く、雨が止んでから約2時間後のことでした。

小野地区の土石流発生原因として、山腹の崩壊土砂が繋留に流れ込み、一時、渓流の流れをせき止め天然ダムを形成した後、ダムが破壊することによって土石流化したと考えられています。
小野地区の谷の出口付近に、旧南薩鉄道知覧線軌道跡の盛り土があったそうです。
排水管もあったようですが、土砂や流木などによって詰まっていたようです。
平成5年の長雨によって、盛り土より上流側には湛水池ができていたとも言われています。
豪雨によって流出してきた渓流の水は、盛り土で堰き止められていました。
しかし、水位上昇とともに盛り土が耐えられなくなり破壊したものと考えられています。
堰き止められた大量の水が、鉄砲水となって流れ下ったようです。


【 金峰町大坂扇山地区 】
9月3日20時過ぎ、金峰町大坂扇山地区で大規模な山崩れが発生、住宅6棟が全壊・20人の死者がでてしまいました。
この日、地区住民27世帯55人のうち10世帯20人が扇山公民館に避難していました。
しかし、公民館裏の斜面が崩れるおそれがあったため、再度公民館下にある民家に避難した所を崩壊土砂に襲われたのでした。

杉で覆われた標高150mの山が、幅約30〜80m・長さ約400mにわたって崩れ落ちました。
崩壊した土砂は谷底まで一直線に押し流されました。
斜面に遭った公民館や民家は、跡形もなくなっていました。

4日7時過ぎ、自衛隊や警察官ら約700人が救出に当たりました。
しかし被災地区は山間に入った集落のうえ、現場に通じる道路が土砂崩れで寸断されており、重機を持ち込めなかったため救出作業はすべて手作業で行われたそうです。

金峰町では小学校や中学校など8ヶ所が避難場所に指定されていました。
2日夕方〜3日午前までに屋外の防災無線で小学校と公民館に避難場所を確保したことを放送。住民に避難を促したそうです。
町が住民に避難を指示したのは、それが初めてのことでした。

被災に遭った人たちは、風雨が激しくなった9月3日午後、集落内の扇山公民館に避難しました。
しかし、この公民館は数年前、県の急傾斜地危険地域に建てたもので、避難場所に指定されていませんでした。
3日4時頃、巡回した消防団が移動を促しましたが、「近くの民家に移る」と返事したこと、風雨が激しく避難させることが困難と判断して、やむを得ず現場を離れたそうです。
町が避難場所として指定していた町立公民館は、現場から5q離れていたそうです。

川辺と金峰の土石流被害は、多くの教訓を残しているように思われます。
posted by ぶらかご.com at 23:50| Comment(0) | 鹿児島の災害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする