2014年12月23日

観光地区条例と与次郎ヶ浜

開発と規制
かつて豊かな海辺であった与次郎ヶ浜は、昭和42年から始めった埋め立てによって109haもの土地へと変えられてしまいました。

埋立後の与次郎ヶ浜は、昭和45年に観光地区に指定され目的に沿わない建築物は建てられないことになっていました。
与次郎ヶ浜の中央部は県立野球場や陸上競技場など「スポーツ・教育ゾーン」、北側を「余暇・文化・業務ゾーン」、南側を「観光・余暇・文化ゾーン」の3つに分けられていました。

南日本新聞が平成13年に連載した「与次郎埋め立て新開地にかけた夢」によると、この地区では店舗1500u未満、生鮮3品(肉・野菜・鮮魚)は取り扱えないことになっていたそうです。
また住宅も自由に建てられず、建物を建てる際には道路から1.5m後退して建てなければならないなどの規制がかけられていました。

というのも、計画の際、「車から降りて家族連れがゆっくり散策できる空間」を目指していました。
車の乗り入れを排除した道路計画は、車社会の進展を想定していなかったようです。
そのため、与次郎ヶ浜には飲食店や量販店、自動車販売店など規模や業種も様々な店舗がバラバラに建つという状態でした。
そのうえ、各店舗の間には駐車場や空き店舗で分断されていたため、来客者の回遊性が生まれないという問題点が発生していたのでした。

鹿児島市は町内会の要望を受け、福岡から中小企業診断士を招いて診断を実施、報告書をまとめました。

生かされない提言書
報告書では、与次郎ヶ浜が目指す姿として「非日常性の訴求」ということでした。
単に観光地区条例を撤廃するだけなら、街の性格は定まらず周辺商業地との差異化もできないというものでした。
中途半端な街としてではなく、「本物の観光地区条例」を新しく打ち出すべきという提言でした。
例えば、屋内スキー場の誘致・長水路の活用など桜島と相対する立地を生かすための提言をまとめたそうです。
町内会では納得し受け止める声もあったようですが、すでに業者が根付いていたこともあり、再開発に臨もうとする機運は生まれなかったそうです。
提言は活かされないままとなってしまいました。
そうして、与次郎ヶ浜へは目的買いの客が大方となり、店から店へという人の流れは小さなものになっていました。

その後、与次郎ヶ浜にかけられていた規制は緩められ、今ではマンションや病院、大型商業店舗まで建つようになり、以前とは比べものにならないほど賑やかな街となりました。
もともとこの土地は、桜島と海の眺望に恵まれた立地を生かして観光・市民福祉に役立てようと開発され、海と引き換えにした所でもあります。
この開発が成功だったか失敗だったか、そのことは分かりません。
現在のように賑わうようになるまでには、相当長い期間が必要でありました。
posted by ぶらかご.com at 23:29| Comment(0) | 戦後の鹿児島市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする