2015年01月12日

長田町の高野山大乗院周辺

前回、長田中学校と県民交流センターとの間に、新堀と呼ばれる堀川が流れていたことを書いてみました。
新堀は埋め立て後に「新橋通り」と名付けられ、のちに高野山通りと呼ばれていたようです。
今回は、通りの名前となった長田町の高野山周辺をぶらぶらしてみました。

鹿児島医療センターの敷地、藩政時代は御厩が置かれ、戦前になると県立病院と連隊区司令部があったそうです。
連隊区司令部では、徴兵・召集等などの実務を行っていた機関であったそうです。

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高野山最大乗院
医療センターの石垣に沿って歩くと、長田中前交差点が出てきます。
そこを左折して進むと、右手に道路が出てきます。
その道路を進むと、左手に「獅子吼窟」と刻まれた石造のアーチ門が建っています。

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『近代化と鹿児島の建造物』によると、「本物の石を積んだアーチであり、極めてユニークな山門となっている」とあります。
鹿児島の石工の手によるものと思われますが、相当な技術力を持っていたようです。
その門をくぐると、高野山最大乗院になります。

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門をくぐると、参道の両側に数え切れぬほどの石像が置かれています。
石像のなかには首のないもの、顔を消されたものなどがあり、江戸時代の年号が刻まれています。
おそらく廃仏毀釈の被害を受けた石像かと思われます。

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さて、この高野山最大乗院。
現清水中学校の敷地にあった大乗院を、明治12,3年頃草家大仙という人が長田町に再興したものだそうです。
大乗院は、第15代藩主島津貴久公が藩の祈願所として建てた真言宗の大刹でありました。
しかし、廃仏毀釈によって廃寺となってしまいました。

『鹿児島史蹟めぐり』昭和4年刊
昭和4年に刊行された『鹿児島史蹟めぐり』に、長田町の高野山に関する記事が少し掲載されていました。

「南洲翁終焉之地の前方岩崎谷の電車停留所に行った。電車はなかなか来ない。
眼前に稍々寺造りの大きな建物が後を向けている。高野山別院だ。あの妙な山門が直ぐ頭に浮かんだ。池も。ずっと引き込んだ御堂も。
この寺は真言宗新義派に属して最大乗院という。もとあの島津貴久公が確か天文年間だったと記憶しているが、稲荷川畔(澱粉会社跡)に創建されたのが始まりで、其れを前住職草家大仙が明治12、3年頃今の地に再興され、それを更に大正13年新築されたのがあの建物で獅子吼窟がある。」

どうやら、かつて境内には池があったようです。
傷つけられた石像にばかり目が行って、池もしくは池跡には気づきませんでした。
昭和6年作成の地図によると、山門前の道路は「カタ馬場」と呼ばれていたようです。
カタ馬場は、旧鹿児島本線(現日豊線)の下をくぐり、滑川まで達していました。
滑川には「大橋」と呼ばれる橋が架かっていたようです。
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2015年01月08日

館の馬場から新堀まで

鶴丸城前を走る国道10号線。無味乾燥な名前がつけられています。
この道路、かつては「館の馬場(やかたんばば)」という風情ある名前で呼ばれていました。

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現在の博物館前から長田中前交差点までの通りを、「館の馬場」と呼んでいました。
藩政時代、今の県民交流センターと長田中の間には、「新堀(潮侵壕)」と呼ばれる堀が流れていました。

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■ 吉野橋と新橋
館の馬場と新堀には「吉野橋」が、堀の下流側には「新橋」が架けられていました。
一般人は館の馬場を往来することはできなかったため、吉野橋を渡ることはできませんでした。
新橋を使って、上町と下町を往来していたそうです。

『鹿児島市史(大正5年刊)』によると、旧藩政時代には深濠にして擬宝珠、欄干橋を架しこれを新橋と唱え、上・下方面交通の要路に当たる要所でありました。
また吉野橋にも擬宝珠、欄干が施されていました。
これらは西田橋にも施されており、吉野橋と新橋はとても大切な橋であったようです。

明治維新後、橋は撤去され堀は埋められ道路となり、「新橋通り」と呼ばれました。
岩崎谷から堀に流れていた水は、小さな溝と暗渠を流れていました。
しかし大雨のたびに溢れ出し、浸水の被害に悩まされるようになっていました。
明治45年2月21日、鹿児島市は暗渠の高さ三尺5寸・幅4尺、延長58間の工事を行ったそうです。

昭和6年の地図によると、「新橋通」は「高野山通」と呼ばれるようになったようです。
高野山通を海の方に下ると、市電「高野山通電停」があったそうです。
この通り、今では車の往来が激しくなっていますが、道路の下にはまだ暗渠が残っているかもしれません。
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