2015年01月08日

館の馬場から新堀まで

鶴丸城前を走る国道10号線。無味乾燥な名前がつけられています。
この道路、かつては「館の馬場(やかたんばば)」という風情ある名前で呼ばれていました。

yakatanobaba1.jpg

現在の博物館前から長田中前交差点までの通りを、「館の馬場」と呼んでいました。
藩政時代、今の県民交流センターと長田中の間には、「新堀(潮侵壕)」と呼ばれる堀が流れていました。

tenpojoukaezu1.jpg

■ 吉野橋と新橋
館の馬場と新堀には「吉野橋」が、堀の下流側には「新橋」が架けられていました。
一般人は館の馬場を往来することはできなかったため、吉野橋を渡ることはできませんでした。
新橋を使って、上町と下町を往来していたそうです。

『鹿児島市史(大正5年刊)』によると、旧藩政時代には深濠にして擬宝珠、欄干橋を架しこれを新橋と唱え、上・下方面交通の要路に当たる要所でありました。
また吉野橋にも擬宝珠、欄干が施されていました。
これらは西田橋にも施されており、吉野橋と新橋はとても大切な橋であったようです。

明治維新後、橋は撤去され堀は埋められ道路となり、「新橋通り」と呼ばれました。
岩崎谷から堀に流れていた水は、小さな溝と暗渠を流れていました。
しかし大雨のたびに溢れ出し、浸水の被害に悩まされるようになっていました。
明治45年2月21日、鹿児島市は暗渠の高さ三尺5寸・幅4尺、延長58間の工事を行ったそうです。

昭和6年の地図によると、「新橋通」は「高野山通」と呼ばれるようになったようです。
高野山通を海の方に下ると、市電「高野山通電停」があったそうです。
この通り、今では車の往来が激しくなっていますが、道路の下にはまだ暗渠が残っているかもしれません。
posted by ぶらかご.com at 23:30| Comment(0) | 鹿児島城下周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする