予想をしていたのだが、報道は不発弾の「発見」と「処理」で終わった。
「どうして、そんな所に不発弾が?」と、いった問いに答える報道はなかった。
鹿児島空基地と鹿児島海軍航空隊が念頭にあれば、報道の仕方も違ったかもしれない。
おそらく、今回の不発弾の件は忘れられてしまうに違いない。一過性の報道である。
今回、不発弾が見つかった場所は鹿児島市真砂本町。鴨池小学校と鴨池中学校の平和学習にとって絶好の機会かもしれない。
不発弾がみつかった地に、戦時中、ノコギリ状の屋根をもつ建物群が建っていた。それについて、前回「鹿児島市真砂本町の不発弾について」でふれた。

その他に、滑走路や格納庫、掩体壕、戦闘指揮所、水上基地、滑走台などが戦時中にあった。それは、米軍作成地図や日本海軍の資料にあたると、分かるかと思う。
関心のある生徒さんは、チャレンジしてくだされ。
■南小学校・南中学校
真砂本町を流れる新川をわたり、産業道路をこえると鹿児島市立南小学校と南中学校が出てくる。こちらの生徒さんも、平和学習に取り組むに格好のロケーションにある。
両校ともに、「鹿児島海軍航空隊」をキーワードにして調べてください。両校の校舎は、鹿児島海軍航空隊跡に建っている。

1945年7月19日付米軍資料に「SPECIAL SUPPLPLEMENT to DAMAGE ASSESSMENT REPORT NO. 108」がある。「損害評価報告書の特別補足108号」と訳した。
文書に、「Navy Aviation School」と、記された文章がある。直訳すれば、海軍航空学校となるだろうか。戦時中の海軍に、「海軍飛行予科練習生」という言葉があった。予科練である。「Navy Aviation School」は、鹿児島海軍航空隊のことになる。
損害評価報告書は記す。
80 percent destroyed previous mission
先の作戦とは、昭和20年3月18日の攻撃を指していると考えられる。その攻撃で鹿児島海軍航空隊の建物は、80パーセントが破壊されたと記している。
南小学校と南中学校の生徒さんは、南鹿児島駅前にそびえる台地にも注目してもらいたい。直立した崖に、無数の横穴壕が戦時中に掘られていたようである。
また、五つの谷があって軍事利用目的の横穴壕があったようであるから、それらも調べてみるといい。
作家梅崎春夫が随筆で、この台地について触れている。参考にしてみてください。
昭和20年3月18日の空襲で、鹿児島空基地と鹿児島海軍航空隊は大きな打撃を受けた。アメリカ海軍機動部隊にとって、大規模な攻撃であった。この日の空襲を知るために、
先述の4校の校舎が建つ場所と周辺に、どのような施設があったのか。それを知る必要がある。
『鹿児島市史』と『鹿児島市戦災復興誌』が記すこの日の空襲は、深刻な攻撃だった印象を受けない。また、『戦後60年かごしま戦争遺跡記憶の証人』にも目を通した。
執筆した記者さんは、鹿児島海軍航空隊のことがよく分かっていないようである。また、死傷者数と行方不明者数が記されている。これらの数は、海軍関係の死傷者数という印象を受ける。読んでいて、腑に落ちぬ記述がある。
これから、さまざまな資料が発見されるだろう。そうして、空襲の実態がようやく分かってくるかもしれない。
最後に、先述の4校の校舎が建つ敷地は海軍の軍用地跡にあるよ。と、いえば少しは関心をもってもらえるだろうか。
■関連記事
「鹿児島市真砂本町の不発弾について」
「鹿児島市真砂本町の不発弾」
「昭和20年3月18日の空襲 鹿児島市」
■参考資料
『鹿児島市史2巻』(鹿児島市・昭和45年)
『鹿児島市戦災復興誌』(鹿児島市・昭和57年)
『戦後60年かごしま戦争遺跡記憶の証人』(南日本新聞社・2006年)