アメリカ海軍資料の『AIRCRAFT ACTION REPORT』(艦載機戦闘報告書)によると、鹿児島県内でも列車に対する機銃掃射が行われていた。
今回は、昭和20(1945)年3月18日の鹿児島航空基地に対する攻撃を記した文書をもとに記してみる。

■昭和20年3月18日 鹿児島航空基地
午前5時30分、空母ハンコックから発艦したコルセア16機は、鹿児島航空基地を目指した。13機が機体組立工場を攻撃。この工場は、おそらく第22海軍航空廠鹿児島補給工場と思われる。
帰路、2ヶ所で汽車に対して攻撃をおこなっている。
@Uzaki
A locomotive at Uzaki, 9miles Southwest of Kagoshima, was strafed and rocketed. Damage was unassessed.
A locomotive was attacked in the station at Uzaki by a two plane section lead by lieut,(Jg)EBERLE.
直訳すれば、鹿児島市の南西9マイルのUzakiで、汽車に機銃掃射とロケット攻撃。損害は不明。
EBERLE中尉率いる2機が、Uzakiにある駅で汽車に機銃掃射。
おそらく、鉄道は南薩鉄道と思われる。米軍作成地図をみると、現在の南さつま市周辺に「Osaki」とある。「薩摩万世駅」と考えているのだが、同地は鹿児島市から14マイルから16マイル離れている。同駅でないかもしれない。

AZuka
A locomotive and freight train was rocketed and strafed at Zuka. The train stopped and clouds of steam was seen to envelope locomotive.
直訳してみる。Zukaで汽車と貨車にロケット攻撃と機銃掃射。汽車は停止し蒸気で覆われた。
文書のいう「Zuka」が、どの地域を指すのか不明である。この日、伊集院駅に向けて走行中の列車が攻撃を受けたとする体験談がある。それと関係があるかどうか、いまのところ不明である。
「Uzaki」と「Zuka」を確認するために、当時の記録が欲しいところである。
■加治木・国分間で機銃掃射
14時15分、空母バターンを発艦したヘルキャット8機は、鹿児島航空基地を目指した。同飛行場で戦闘機掃討を目的に飛来したのだが、敵機はなかった。出水航空基地攻撃へと向かった。その帰路のことである。
A train was strafed between Kokubu and Kajiki, Kyushu, with undetermined result.
直訳すると、国分・加治木間で列車に機銃掃射したが、戦果は未定。
機銃掃射は、午後4時から5時の間であろうと思われる。門司鉄道局鹿児島管理部が、記録を残していたであろうと推測するが、まだ文書を見いだせていない。
できれば、当時の記録が残されていればよいのですが…。
■鹿児島市で列車に機銃掃射
14時30分、空母フランクリンから発艦したヘルキャット2機とコルセア6機は、出水と鹿児島との両航空基地をめざした。これらの基地を撮影するためである。
出水基地を攻撃後、鹿児島市上空に差しかかった時のことである。
While returning to base two trains were sighted north and east of Kagoshima airfield.
All eight planes strafed and steam explosions of the locomotive resulted.
直訳する。
帰還途中、鹿児島飛行場の北と東で2本の列車が目撃。8機が機銃掃射を行い、機関車は蒸気爆発を起こした。
「鹿児島飛行場の東」は、分かりかねる。大隅半島を走る列車を指しているだろう。
今回は3例あげてみた。当時、鉄道被害を記録した文書が発見されるかもしれない。
米軍の資料と突き合わせることで、空襲の実態が分かってくるだろう。
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