2025年03月30日

鹿屋市街地は盆地で・・・

「空襲・戦災・戦争遺跡を考える九州・山口地区交流会」についてネットで検索していると、南九州新聞の記事がヒットした。
2023年11月25から26日にかけて、鹿屋市で同交流会が行われたそうだ。

慶應大学教授の安藤広道さんをはじめ、工藤洋三先生、八巻さん、織田さんなどそうそうたる研究者たちの発表があった。

 記事に目を通しながら、ひとつ思うところがあった。
「なぜ鹿屋市街地が空襲に遭わなかったのか? 基地を占領したあとに市街地を接収する予定で空襲を避けたという見解もある」

 鹿屋市の戦争体験談に目を通している際に、読んだおぼえがある。
戦時中から終戦後にかけて、正確な情報を得られない状態が続いただろう。鹿屋市の人々が疑問に思ったことが、風説となったのだろうと考えた。
交流会の質疑応答で、このことが取り上げられた。

「市街地は盆地になっていて、地形的に攻撃するには難しい場所でもあり、低空飛行をすると基地周辺の高射砲等に狙われる危険性もあり、周辺の爆撃となったのでは」との回答があったそうだ。

 記事を読み進めるうちに、米軍資料の記述を思い出した。1945年5月15日の日付が入った資料である。文書は、こう記す。

Due to the nature of the terrain, the airfield of southern KYUSHU, in general, are found in the regions. Notable exceptions occur in the vicinity of KANOYA and MIYAKONOJO.

 直訳してみる。
 南九州の飛行場は地形の性質上、概して沿岸地帯に見られる。鹿屋と都城の近郊で、注目すべき例外を見いだせる。

 同文書は、米軍設定の南九州に飛行場を22ヶ所見いだしている。

sothern kyushu AF table1.jpg

「SAKITA ASS(崎田水上基地)は、補助的な基地にして限定的適用のため、本文では21ヶ所としている。
これらの飛行場のうち、鹿屋航空基地は最も重要な攻撃目標と定めていたようである。
米軍文書はつづける。

The KANOYA airfield, target of recent carrier and B-29 raids, is the most important field in southern KYUSHU.

直訳する。
 艦載機とB29の最近の空爆目標である鹿屋飛行場は、南九州で最も重要な飛行場である。

 文書は、鹿屋航空基地に隣接する工場についても記す。

Situated at the airfield is the 22nd Naval Air Depot which provides extensive aircraft maintenance, repair, and possibly production facilities.

 航空機の整備や修理、生産など広範囲に提供する第22海軍航空廠が、鹿屋飛行場にある。

 同文書に目を通しつつ、米軍の分析力に驚かされる。気づいたことがある。
米軍は公開情報や捕虜の情報、偵察写真などを総合的に分析しながら各施設を特定しているようだ。
最近、新聞紙上で目にする情報分析のひとつ、「OSINT」を活用していたと思われる。
同文書の各所で、分析力のすごさを痛感する。
やはり、米軍やUSSBSなどの文書は、第一級資料である。


参考文献
「鹿屋市街地は盆地であり地形的に攻撃するには難しい場所」 2023年12月1日付南九州新聞
posted by 山川かんきつ at 00:13| Comment(0) | 鹿児島と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月27日

鹿屋空襲の講演会

先日、南日本新聞と南九州新聞の記事に目を通しつつ考えた。

 今月22日付南日本新聞「私の街 鹿屋に戦争があった」
 今月23日付南九州新聞「戦後80年に戦争の悲惨さや平和の大切さを語り継ぐ」である。

 記事によると、今月15日に鹿屋市新町にある東地区学習センターで「鹿屋空襲」を学ぶ講演会が開催されたそうだ。昭和20年3月18日の初空襲に合わせて行われ、今年で6回目とのこと。両新聞記事ともに、講演会の内容について触れている。

 南九州新聞は、慶応大学教授・安藤広道さんが手がけた「海軍笠ノ原航空基地アーカイブマップ」と「鹿屋・戦争アーカイブマップ」に触れていた。
そこで、同大学のホームページにアクセスしてみた。
「慶應義塾大学文学部 民族学考古研究室」。安藤先生のページに、アーカイブマップが掲載されている。

 海軍鹿屋航空基地アーカイブマップ
 海軍笠ノ原航空基地アーカイブマップ
 海軍串良航空基地アーカイブマップ

 鹿屋航空基地のマップは参考になった。第22海軍航空廠の平面図を見ながら、マップを閲覧。現在の地図の上に航空基地と施設などが表現されているため、参考になる。
「専用軌道引込線」が分かりやすい。また、同航空廠の建物などの名称も記入されており、「AIRCRAFT ACTION REPORT」に目を通しつつ、イメージしやすい。


 これらのアーカイブマップは、今後も更新されていくのだろう。高角砲陣地や機銃陣地、サーチライトなどの情報も入ってくると思われる。
鹿屋と笠之原、串良などの空襲を研究されている方にとって、すこぶる便利なマップであろう。

kanoya map1.jpg

 鹿児島航空基地と施設について、自力で資料を探したため時間を弄した。タイパどころではない。少しずつ他の航空基地について、ふれていくつもりである。


参考文献
「私の街 鹿屋に戦争があった」(2025年3月22日付南日本新聞)
「戦後80年に戦争の悲惨さや平和の大切さを語り継ぐ」(2025年3月23日付)
posted by 山川かんきつ at 23:45| Comment(0) | 鹿児島と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月22日

戦争経済に対する攻撃では?

 毎日新聞が報じた「無差別爆撃 沖縄から九州へ」を読みつつ、違和感をおぼえた。
記事は、沖縄を拠点にしたアメリカ第7航空軍と第5航空軍について記す。両航空軍は、極東航空軍とも呼ばれる。同軍についての記述であろう。
記事は次のように語る。

 沖縄戦の大勢が決すると、航空部隊は九州各地へ飛び、日本軍の飛行場や港湾施設といった軍事目標の他、駅や列車などを攻撃するようになった。日本を降伏に追い込むために45年11月に予定していた九州南部への上陸作戦(オリンピック作戦)に向け、日本軍の機能や輸送網を破壊するのが目的だったとみられる。さらに市街地にも無差別爆撃を加えるようになった。

 この記事で2点気になった。
ひとつは、記事前半の「航空部隊は九州各地へ飛び、日本軍の飛行場や港湾施設といった軍事目標の他、駅や列車などを攻撃するようになった」である。
米国戦略爆撃調査団文書に、これに関連する記述がある。
「Pacific War Report No.53, The Effect of Strategic Bombing on Japanese War Economy」である。

 直訳すれば、「太平洋戦争報告書53番、日本戦争経済に対する戦略爆撃の効果」。
同文書は「日本戦争経済の崩壊」と題されて、昭和25年に出版されている。
同書「極東空軍」に、「第五及び第七航空軍の投弾両の分布(1945年6月―終戦まで)と題された表がある。

 攻撃目標       トン数  百分比
 軍事目標        2,242   31.5%
 対船舶攻撃       1,287 18.1
  船舶629隻
  港湾640ヶ所
  海軍施設18ヶ所
 地上運輸施設      1,103 15.5
 都市区域     1,514 21.3
 雑(主として工業目標) 507 7.1
 その他     458 6.5

 同紙の記事でもっとも気になった箇所がある。
「日本を降伏に追い込むために45年11月に予定していた九州南部への上陸作戦(オリンピック作戦)に向け、日本軍の機能や輸送を破壊するのが目的だったとみられる。

オリンピック作戦との関係性
 米国戦略爆撃調査団文書に、「Summary Report」がある。国会図書館は、「太平洋戦争総合報告書」と訳している。「要旨報告書」ではないかと思うが、同図書館の訳に従う。
同書は、「日本本土に対する空襲」で次のように記す。

 米国の基本戦略は、対日戦の最終目標は日本本土への侵攻によって達成できると考えられていた。
 戦略爆撃行動の成否を判定する主要な標準は、上陸時において味方の水陸両用部隊への反抗能力と戦意をいかに弱められるかにあった。
はじめから攻撃の重点は、日本の社会的、経済的および政治的構造の破壊よりも、航空機工場や陸海軍工廠、エレクトロニクス工場、製油工場などを破壊するようにしていた。
それらの破壊は、後々1945年11月の九州上陸の際、日本軍の抵抗力を弱めるためだった。


 ちなみに、「九州侵攻作戦(オリンピック作戦)」の決定は、1945年6月29日。統合幕僚会議は九州侵攻作戦の期日を1945年11月1日と決定。

 もうひとつ考えることがある。船舶輸送の件である。
 日本は石油やボーキサイト、食料などを輸入しなければ経済が立ち行かない構造をもっている。これは現代も変わらない。
戦争経済を考慮すると、海外からの船舶輸送は生命線である。アメリカ軍は、日本経済のアキレス腱への攻撃を重視していた。対馬丸や富山丸などの悲劇は、船舶攻撃のさなかに生まれた。

 これらを踏まえつつ、先述の新聞記事を読み返す。極東航空軍の攻撃が、オリンピック作戦と直接つながるとする内容に懐疑的になる。米軍資料でオリンピック作戦に関する文書に目を通す必要がある。
鹿児島県の空襲に関する言説に目を通していると、「オリンピック作戦」と繋げた記事が見られる。
そのたびに、違和感をおぼえる。
今回は、良い機会であったと思う。
戦争経済に対する知識不足を痛感しつつ、記事を書いた。

参考文献
「無差別爆撃 沖縄から九州へ」(2025年2月11日付毎日新聞)
『日本戦争経済の崩壊』(正木千冬・日本評論社・昭和25年)
posted by 山川かんきつ at 10:35| Comment(0) | 各都市への空襲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする