今月7日付讀賣新聞の編集手帳と今月9日付朝日新聞に目を通して考えた。
従来ならば、「1945年3月10日未明、米軍機による焼夷弾断の投下で・・・」と、報道されていたのだが、今回は具体的な日時を記した。
1.編集手帳
午前0時15分、空襲警報が発令された。だが、その7分前、深川ですでに火の手があがっていた。東京大空襲はこうして始まった。警報解除は午前2時37分。
2.朝日新聞「黒こげ遺体そこら中に」
空襲警報が鳴ったのは、B29が最初の焼夷弾を投下した7分後、1945年3月10日午前0時15分。
空襲警報発令時刻は、『東京大空襲戦災誌第3巻』の通りである。これらの時刻は、どのような記録をもとにして記事を書いたのだろうかと。記事に引用先を記されていない。
このような記事は、他紙でも見受けられる。字数制限もあって引用先を明記しないかのか、新聞記事の場合は記さなくても構わないのか。違和感をおぼえる。
■東京大空襲戦災誌第3巻
『東京大空襲戦災誌第3巻』に、昭和20年3月10日の空襲について日本側の記録を基にした記述がある。
3月10日
空襲 0時8分
空襲警報発令 0時15分
解除 2時35分
警戒警報解除 3時20分
警戒警報発令 10時10分
解除 10時50分
第21爆撃機集団の作戦任務報告書40番から少しばかり引用する。同文書の「集約統計表によると、初弾投弾時刻 0時7分 最終投弾時刻は午前3時。
空襲警報が2時35分で解除されている。違和感が残る。
平均爆撃高度
第73航空団 7,400フィート(約2,200メートル)
第313航空団 6,400フィート(約1900メートル)
第314航空団 5,400フィート(約1600メートル)
昭和20年3月10日は、これまでの高高度爆撃から低高度爆撃の開始日だった。
『Tactical Mission Report no.40』の前書きに、低空爆撃のメリットが記されている。
@気象上の条件がよくなる
Aレーダー装置が使いやすくなる
B爆弾搭載量が増える
C整備が一層簡単になり改善される
D爆撃精度がよくなる
前書きはつづける。
この計画の奇襲的な要素を生かすため、可能な限り低高度飛行に対する防御対策を施させないため、爆撃目標に4つの都市を選び一晩おきに空爆することにした。
選ばれた目標は、東京・名古屋・大阪・神戸の市街地である。
これらの都市が爆撃を受けた日は、3月10日から19日までの連続5回。夜間に行われている。これから、4都市の空襲を調べようとする方にとって参考になればと思う。
空襲被害を伝える報道が、具体的な数字を記すようになった。実証的に描こうとする兆しかもしれない。
■参考文献
2025年3月7日付讀賣新聞・編集手帳
2025年3月9日付朝日新聞・「黒こげ遺体そこら中に」「空襲消えない爪痕」
『東京大空襲戦災誌第3巻』(東京空襲を記録する会・1975年)

東京大空襲・戦災誌 全5巻セット - 『東京大空襲・戦災誌』編集委員会
『東京を爆撃せよ 米軍作戦任務報告書は語る』(奥住喜重・三省堂・2007年)

東京を爆撃せよ 新版: 米軍作戦任務報告書は語る - 奥住 喜重, 早乙女 勝元
『Tactical Mission Report no.40』(アメリカ第21爆撃機集団)