今月9日付朝日新聞の「戦後80年 空襲消えない爪痕」に目を通して、違和感をおぼえる記事があった。
戦後、日本の空襲被害を詳細に記録したのは米国戦略爆撃調査団だった。空爆がどのように日本を敗戦に追い込んだのかを政治、経済、軍事などを多角的に調べたが、あくまで空襲の「戦果」をはかる目的だった。
記事を書いた記者さんは、調査団作成文書に対してネガティブな評価を下しているようだ。「あくまで空襲の戦果をはかる目的だった」に違和感をおぼえる。
■USSBS文書
米国戦略爆撃調査団は、「United States Strategic Bombing Survey」の日本語訳。
単語の頭文字をとって、「USSBS」と呼ぶ。
1945年9月から12月にかけて日本各地で調査をおこなっている。日本関係者への資料提出と尋問などで集めた膨大な資料をもとにして1946年7月にかけて報告書を作成している。その数108巻。
同調査団が作成した「Summary Report」と題する文書がある。
国会図書館は、「最終報告書」と訳しているが、「要約報告」または「概報」とした方が良いのではないかと筆者は考えている。
108巻の報告書のうち数巻に目を通したのだが、「Summary Report」は全文書の要約版といった印象を受ける。
「Summary Report」の緒言で、文書作成の目的を記す。抄訳してみる。
この調査団の使命は、ドイツに対する米軍の空爆効果を公正にして専門的に研究すること。それを対日空爆にも適用して、軍事戦略上空軍の重要性と可能性を評価すること。
米軍のこれからの進歩発展に役立てること。国防に関する将来の経済政策を決める上で、必要な基礎を作ることにあった。
同文書はつづける。
こうして調査団は、戦時日本の軍事計画と実施の多くを再現した。また、各産業や各工場に関して日本の戦争経済や戦時生産について、正確な統計を入手できた。
日本の国家戦略計画や戦争突入の背景、無条件降伏の受諾にいたるまで、国内の論議や交渉、民衆の健康と戦意の推移、民防空組織の効率性、原子爆弾の効果など各種の研究が行われた。
調査団は日本の武官、文官、産業人など700名以上に証言を求めた。多くの文書を接収し翻訳。これらは調査団にとって有益なだけでなく、他の研究にとって貴重な資料となるだろう。
緒言はこう結ぶ。
その企図は、民間人の職員として調査団の収集した事実の資料を分析し、将来のために全般的評価を下すだけである。
同調査団の報告書「Summary Report」は、読み応えがある。咀嚼するのに時間がかかっている状態である。108巻もあるのだから、めまいがしてくる。
また、同調査団が報告書を作成するために集めた文書(作成用資料)に貴重な資料がある。
たとえば、門司鉄道局鹿児島管理部が作成した文書である。
昭和20年4月8日から同年7月31日までの間に受けた、空爆被害を記した文書がある。
また、昭和20年9月・10月時点の列車運行状況を記した文書など。
鹿児島県内の図書館で目にすることのできない資料である。
USSBS文書は、同時性をもった貴重な一次資料である。
先述の朝日新聞の記事である。同紙は低い評価を下している。USSBS文書に劣らぬ報告書を日本側が作っていれば記事に納得するかもしれない。
残念ながら日本側に、こうした報告書を作成した様子はない。
朝日新聞の記事は、こう結ぶ。
戦後80年となり空襲を知る人が減る中、その実態や真実を伝えていく上で記録に基づいた調査はより大切になってくるだろう。
この文章は納得いく。
「記録に基づいた調査」をするため、USSBS文書は欠かせぬ第一級資料である。
■参考文献
「戦後80年 空襲消えない爪痕」2025年3月9日付朝日新聞