2012年06月18日

竪野馬場から冷水峠をぶら歩き

【 南風病院の辺り 】
佐藤小路から竪野馬場に出て、左折。道なりに進みますと左手に「南風病院」が出てきます。
南風病院の敷地一帯、藩制時代には「不断光院」という浄土宗のお寺がありました。
永禄5年(1562)、15代島津貴久公が建立したもので、後年には寺域も拡張されました。
裏手の小高い丘一帯まで、白塗りの壁を巡らせてあったそうです。

hiyamizu3.jpg

時は下って、文久3年(1863)薩英戦争のことです。
イギリス艦は、白壁をめぐらせた丘の建物をみるや、殿様の本陣と考え砲撃しました。
おかげで、寺は破壊され炎上焼失してしまいました。

【 光明寺 】
不断光院の西隣には、「光明寺」という真言宗のお寺がありました。
光明寺は、琉球の人々が本土で亡くなった際の墓所でもあったそうです。
俗に琉球寺とも呼ばれていました。

南風病院を冷水峠の方へ歩いていきまと、鹿児島市営バス停「びくに坂」が出てきます。
bikuni1.jpg

藩制時代、山手に興国寺という曹洞宗のお寺がありました。
第11代忠昌公の菩提寺でありました。
19代光久公は家久夫人、持明院様の霊牌を置いて寺を再興したものです。

ここに多くの尼僧(比丘尼)が仕えており、尼さんたちが往復した坂であったことから名づけられたようです。後年、それが訛って「ビックイ坂」となったようです。

まだまだ坂をのぼっていきます。
ようやく交差点にさしかかり、右手に木陰に隠れるように小さな公園がでてきます。
「水道発祥の地」の看板が立てられています。
hiyamizu2.jpg

この辺りは水が豊富に湧き出していました。水は夏冷たく、冬は暖かいものであったそうです。
ここの水は、鶴丸城へ石製の水道管で送られていました。
余った水は、町なかの高枡や箱水につながり、多くの住民に利用されていました。
高枡や箱水につきましては、広小路のところで触れたいと思います。

冷水には、河童にまとわりつかれた少年の話が「倭文麻環」に掲載されています。

次回は、冷水峠を下りまして大龍小学校の辺りを歩いてみます。




posted by ぶらかご.com at 22:43| Comment(0) | 鹿児島城下周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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