2013年06月07日

薬師町・鷹師町の由来

■ 薬師町
江戸時代、鹿児島城下のうちで「薬師馬場町」と呼んでいましたが、明治32年1月9日の町名改正によって「薬師町」と改名されました。
明治44年9月22日には、鹿児島郡西田村の一部を合併していましたが、昭和51年には薬師町の一部より城西一丁目から三丁目が設置されました。
また鷹師町、常盤町、西田町の各一部が薬師一丁目及び二丁目となったところもありました。

薬師町の町名について、『かごしま市史こぼればなし』に次のように記しています。
「昔は島津家の別殿の所在地で、現在の有川家附近に薬草苑があり、この苑内に薬師様が祭ってあった。今も薬師様奉祀の小堂、町内にあり、薬師町の町名はこれによる」
薬師町の町名は、薬師様から起こったもののようです。

『鹿児島のおいたち』では、明治22年ごろの西田方面の様子を次のように記しています。
「西田方面では西田本通に沿うて、山麓の常磐町まで街村的に家があった。また鷹師、原良、薬師町は広い田地が広がるだけで、西田町から玉里邸、玉江橋あたりまでは目を遮る一軒の農家もなかった」
当時、西田から玉江橋のあたりまでの大部分、見渡す限り田畑であったようです。

『三国名勝図会』に、鹿児島の名勝として「尾畔(おぐろ)」が絵入りで紹介されています。
広い田んぼは山際まで広がり、あぜ道には田んぼの検地を行っているような二人の役人風の者が描かれています。
また、その近くでは子供が凧揚げに興じ、田んぼでは牛に馬鍬を引かせて田起ししている風景が描かれています。

『鹿児島のおいたち』に記された田畑は、三国名勝図会の「尾畔」と同じような風景だったと思われます。


■ 鷹師町
鷹師町の町名も薬師町と同じように、明治32年1月9日の町名改正によって『鷹師馬場町』を『鷹師町』に改名したものでありました。

鷹師町の地名由来その1
『かごしま市史こぼればなし』では、鷹師町の地名由来として次のように記しています。

「このあたりは藩政時代、比較的低い階級の士(百石ないし五十石以下)、「御鷹匠師」たちが住んでいたから「鷹師町」の名が生まれたといわれ、またむかしこの附近は伝統的に獄了(監察)警官が多い所だったということです。」

鷹師町の地名由来その2
鷹師町の由来について、もうひとつありまして、『かごしま市史こぼればなし』では次のように記されています。
「明治11年、市出身の太政官修史局副総裁、伊地知定馨出版の地図によると、この地は高いところではあるが、大雨のときは甲突川の水が溢れるところで、高洲と呼ばれていた。この高洲町が訛って”鷹師町”となった・・・」

鷹師町の由来については、「御鷹匠師」と「高洲」の二つの説があるようです。
『かごしま市史こぼればなし』では、「いずれも根拠あることといえましょう」とありますが、筆者としては「御鷹匠師」の方かなと思っているところです。
posted by ぶらかご.com at 23:29| Comment(0) | 鹿児島城下周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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