2013年07月09日

鹿児島市常磐町その1

■ 西田の丁門
西田本通りを山手に向かい、かごしま農協を過ぎると「常盤町入口交差点」が出てきます。
藩政時代、ここには「西田の丁門」と呼ばれる門が建ち、番所が置かれていました。
天保年間城下絵図をみると、木製の門扉が描かれています。
この門扉、火事が起こると閉門されたそうです。

■ ススケ橋(筋違橋)
常盤町に鎮座する日枝神社入口に、同町の史跡を案内する看板が立っています。
これによると、ススケ橋は常盤町入口交差点から50メートルほど進んだ交差点附近にあったようです。

susukehasi1.jpg

かつては、上に示した写真の左から右へ、石井手用水が流れ水上坂方面からも川の流れがあって、ここで合流していたそうです。

【 モイシンテ 】
昭和14年刊の『常盤町の史蹟』によると、「モイシンテ」と呼ばれるところがあったそうです。

「モイシンテというのは、筋違橋のすこし川下で蜷尻(または水尻、水上坂に対して)のほうへ水の分かれるところのことである。
むかしは小野村から永吉、原良両村を経て流れてきた水を此処で堰ひて武方面の田圃へ灌水をしておったので、大事な場所であったが、今は田がなくなって堰の必要もなく水もないが、其頃は水もかなり深く此辺子供たちの唯一の水泳場でもあった。」

「モイシンテの字も”守新樋”だとか、”門津樋”だとかなどの説があるが、確かには分からぬ。」
と『常磐町の史蹟』に記述されています。

また、ここには河童の伝説があったようです。
河童の祟りを防ぐための石碑が石垣の中にあったようですが、昭和14年には無くなってしまったようです。


■ 日枝神社
ススケ橋から山手に歩くと、ほどなく鹿児島市営バス停近くに、日枝神社の鳥居が出てきます。

hiejinja1.jpg

この神社は、滋賀県大津市坂本町の日吉大社を分霊して西田村(常盤・西田・薬師・鷹師・城西一帯)の総鎮守としたものだそうです。

神社前の道は、参勤交代出水筋の重要なものでありました。
そのため、代々の藩主が参勤交代で通る際は、海陸旅中安全の神楽を奉納するものだったそうです。
藩主や領民の篤い信仰にあった神社ですが、西南の役で焼けてしまいました。
翌年7月、氏子たちの協力で再興したそうです。

日枝神社の六月灯、むかしは相当な賑わいを見せたそうです。
祇園様、大中様、オ山王様と城下三大六月灯に数えられるほどであったそうです。

【 日枝神社の言い伝え 】
明治半ば頃までは、日枝神社の社殿を三度回ると、サルが出てくると伝えられていました。
日吉神社の神のお使いは、第一に猿、第二に鹿と言われていました。

『西田町のあゆみ』という本によると、大正時代に常盤町にサルが出たという当時の新聞記事を掲載しています。

「二十九日の朝露重く降りしきる市内常磐町の山王神社の森陰に時ならぬ奇声を発する者があるので、神社附近の人々が集まってみると一匹の古こけた大山猿が枝から枝に戯れて居る。小川弁護士宅などにも平気で這い入り作物を荒らしたりするので、附近の人々は猟犬などを連れてきて、その大山猿を生け捕らんとしたが、猿は赤いお尻を見せながら山深く逃げ込んだ。物知りの話に依れば、この山猿は山奥で余程歳を重ねたものらしく、鹿児島市内に現れたのは珍しいと」(大正13年7月1日鹿児島新聞)

当時にして、鹿児島市内に猿が出現することは珍しい事であったようです。
また、日枝神社の眷属である猿を生け捕ろうとすることは、むかしに比べ信仰が薄れていたとも言えるかもしれません。













posted by 山川かんきつ at 00:16| Comment(1) | 鹿児島城下周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お疲れ様です。
読ませていただきました。
お願いがあります。
常盤町が、正解です。
【常磐】
石になってるようです。
訂正よろしくお願いします。
Posted by 厚石博美 at 2025年08月18日 10:46
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