2013年07月24日

六月灯発祥の地、新照院町

■ 六月灯発祥の地、新照院町
新上橋バス停を伊敷方面へ向かい、JRの高架橋を越えて、しばらく歩くと新照院交差点が出てきます。
そこから左手には甲突川が流れ、昭和橋が架かっています。
その交差点を右折すると、割と広い道路が出てきます。
この道路、古地図などを見ると「岩崎越」と呼ばれていたようです。

sinsyouin1.jpg
上に示した地図は、天保末頃のものを元に作ったものです。

その道路を山手に少し歩くと十字路になっていて、それを左に折れると「新照院町公民館」が出てきます。
sinsyouin2.jpg

入口に「六月灯発祥の地」と書かれた標識が立っており、建物の壁に「門前街新照院の歴史と由来」と書かれた案内板が掛けられています。
案内板によると、かつてこの地には大徳寺・上山寺・天永寺など3つのお寺があったそうです。
大徳寺跡は、現新照院町3〜4番附近。
上山寺跡は、現新照院町28〜31番附近。
天永寺跡は、現新照院町33番附近になるそうです。

この地の個人宅に、等身大の坐像石仏や仁王像、子授け観音、子育て観音像が祭られているとのこと。
なかでも等身大の坐像石仏は、上山寺の観音堂にあった仏像とのことです。
この観音堂、新照院の町の由来と深く関わっています。

■ 新照院町の由来と六月灯の始まり
六月灯の起源は、鹿児島市新照院町にあった上山寺にあるそうです。
上山寺はかつて城山を居城としていた、豪族上山氏の菩提寺でありました。
島津18代藩主島津家久公が、鹿児島に居城を構えたとき、上山氏は桜島に移住しました。

家久の子、19代藩主光久公は上山寺が壊された跡地に御堂を建立し、観音菩薩を祀って新照院観音堂と呼ぶようになりました。
以来光久公は、参詣するたびに多くの燈篭を寄進しました。
これにならって多くの檀家も参詣の際に、燈篭を寄進したことに始まると言われています。

もともと仏教で燈明は光明を意味していて、万燈または万燈を点じて供養をしていました。
のちに、鹿児島の寺でも燈を献ずる行事が盛んになって六月に縁日を定め、盛大に燈を献じて六月灯と言うようになったそうです。

三国名勝図会には、六月灯の起源について次のように記しています。
「鶴丸城下、新照院観音堂。西田村の内、新照院といえる地に在り。聖観音(坐像)、十一面観音(立像)の二体、並びに秘仏を安置す。東北側に上山寺あり、これを守る。」

「本府の俗、神社仏閣 毎歳六月 必ずその縁日の定夜ありて大いに燈を陳(ツラネ)ぬ。六月燈と呼ぶ。是、寛陽公の御時とかや。この上山寺観音に数多くの燈を点し給ひ、諸人も寄進し、参詣多かりし。
これに濫觴(らんしょう)して、あまねく行われたりとぞ。」


新照院町公民館裏手に、一体の立像の観音様が建っています。

sinsyouin3.jpg

この観音像について案内板に説明がなく、また像の裏や周りにも年代など分かるものがありませんでした。
地域誌などにあたって調べてみたいと思います。

新照院町の由来につきましては、こちらを参照ください。
http://burakago.seesaa.net/article/291670527.html








posted by ぶらかご.com at 22:34| Comment(1) | 鹿児島城下周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして
新照院町の役員しています。
この仏様は昭和30年代初めに建立された物です。上山寺等とは関連していません。
建立された経緯に関しては.当時を知る方がいずれも存命していないため正確な事は不明です。
Posted by 町内会関係者 at 2016年11月07日 13:59
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