2013年07月26日

バンニョン坂 新照院町

新照院町公民館を出て、もと来た道に戻りまして「岩崎越え」を目指してみます。

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地図によると、現在の新照院交差点から入って山手に進む道のことをいっているようです。
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周りを見渡しながら進んでいくと、この町は北・東・南の三方は山に囲まれた谷で、西側だけが開けています。
『草牟田校区史蹟集』に、「新照院谷は、東南北は山で、西の一方が開け、連山に包まれて、風波の患いもなく、碇泊地として、恰好の港であったろう」と記述しています。
中世温暖期に内陸まで海が迫っていた頃、港のようなものがあったかもしれません。

道なりに進むと、T字路の突き当たりにでてきました。
地図を頼りにT字を右手に進むと、道幅がグッと狭くなり、勾配を感じるようになりました。

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すこし嫌な予感がしましたが、せっかくここまで来たのだからと思い進むと、予感的中。

■ バンニョン坂・般若王坂・無言坂
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道は階段となり、しかも「無言坂」と丁寧な標識までありました。
この階段、約200段もあるそうです。階段と急坂を登りきると城山の峠にいたります。

『草牟田校区史蹟集』によると、「この坂道は、往時有力な往還で、今の国道に該当する程の、有力な通路であったろうとの説を立てる者もある」とあります。
藩政時代のお侍さんたちは、武道などで体の鍛錬をしていましたから、現代人よりも平気な様子で行き来していたかもしれません。

階段と坂を登りきると、薮の間から町を新照院町と城西町辺りを見下ろすことができました。
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今は高い建物が林立していますが、大正初め頃までは広い田畑が続いていたことでしょう。
下に、明治30年ごろのものを載せてみました。

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地図の真ん中を縦に流れている川は、甲突川です。
甲突川の左手一帯、黄緑に塗った部分は田畑になります。

■ 市電新照院電停
国道3号線には、昭和60年まで伊敷線が走っていました。
この路線は、大正7年(1918)に柿本寺通電停(現加治屋町)〜草牟田間から始まり、大正9年には草牟田〜45連隊兵営前(玉江小学校附近)が開通しました。
当時は、すべて単線だったそうです。

戦前の市街地図によると、新照院電停は書かれていません。
電停ができたのは、終戦後のことかもしれません。
鹿児島市電が走る街今昔―花と緑あふれる南国の路面電車定点対比 (JTBキャンブックス)
』にも、新照院がいつ停留所に昇格したか定かではないと記述しています。

昭和28年の伊敷線複線化の後も、新上橋ガード下は単線だったようです。
また新上橋と新照院には信号があって、対向電車が到着するまで信号待ちをしているものだったそうです。

伊敷方面へ向かう電車は「新照院電停」を出ると、国道から外れて専用軌道となって草牟田に至っていました。

昭和31年の住宅地図によると、新照院電停は公民館から国道3号線に下りてきたところにあったようです。





posted by ぶらかご.com at 23:22| Comment(0) | 鹿児島城下周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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