2021年07月13日

終戦直後の一コマ 鹿児島市

「空襲によって焼かれ枯れたかと思った樹が美しい芽を吹き、灰燼の跡に青々と草が茂りはじめた。國破れて山河在り、城春にして草青みたり、と言ひけむ言葉そのままに」

 昭和20年9月12日付鹿児島日報のコラム、南風録の一節である。終戦からひと月が経とうとしている、鹿児島市内の様子を描いたものであろう。
戦争体験談や手記を読むと、終戦と当時に解放感をつづった文章が多い気がする。戦時中は、軍や行政からの抑圧だけでなく、隣近所の目も気にしなければならなかっただろうから、不自由であったろうと思われる。これについて、映画監督だった伊丹万作が「戦争責任者の問題」に記している。

 私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶって出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であったことを私は忘れない。

 しかるに我が同胞諸君は、服装をもって唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかったら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱っている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによって、自分の立場の保鞏(ほきょう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇ってくるのは、直ぐ近所の小商人であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といったように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であったということはいったい、何を意味するのであろうか。

 終戦によって、圧迫感から解放されたような心持ちになったのかもしれない。『鹿児島年鑑1976』は、終戦直後の様子をこう記している。

 戦時中の、男は国民服、女はモンペという没個性的な統一された衣生活に決別するときがやってきたのである。(途中省略)戦後の娯楽は映画から始まった。

 鹿児島市では、昭和20年8月19日に映画が上映されたそうである。終戦から4日目のことである。場所は騎射場で、焼け残った倉庫を改造した映画館だったらしい。観客の多くは若い人たちであった。職と食の問題を考えればうんざりさせられる時代にあって、映画館は、現実を忘れられる唯一の場所であったかもしれない。

 『鹿児島年鑑昭和23年版』に、昭和22年12月1日時点での映画館の名前が11軒しるされている。
高島映画劇場、山形屋映画劇場、第一映画劇場、セントラル映画劇場、日東映画劇場、銀座映画劇場、ギンザ屋映画劇場、銀河映画劇場、中座、南座、文化劇場。

 筆者の記憶がはっきりしだすのは、昭和50年代である。高島映画劇場は、おそらく松竹高島のことであろうと思う。残りの10軒の映画館に関しては、聞き覚えがない。同書には、谷山にも映画館があったらしい。「谷山座」と記されている。今のどこ辺りにあったろうか・・・。
同書によると、映画劇場は鹿児島市だけでなくその他の市町村にもあったらしい。
下に記した映画劇場は、鹿児島興行協会が調べた昭和22年12月1日時点での施設とのことである。

◇川内市:日南映画劇場、川内劇場
◇鹿屋市:國際館、鹿屋映画劇場
◇指宿郡:山川仮劇場、錦江会館、富士劇場、湊座、塩屋仮劇場
◇川辺郡:南都映画劇場、壽映画劇場、住吉座、加世田連合会館
◇薩摩郡:紫映館、川内座、副田温泉クラブ、嘉楽館、市比野クラブ
◇日置郡:喜楽館、市米湊仮劇場、串木野仮劇場
◇出水郡:出水座、高尾野座、共楽座、米ノ津座、あけぼの座、大丸座、千歳座、野田仮劇場
◇伊佐郡:嘉楽館、菱刈倶楽部、山野劇場
◇姶良郡:國分劇場、栗野映画劇場、加治木座、浜之市公会堂、横川倶楽部
◇囎唹郡:志布志座、大崎座、岩川劇場、野方仮劇場、末吉劇場
◇肝属郡:豊栄座、串良座、興注館、内ノ浦仮劇場、仮劇場、古江座、柏原公会堂、高須公会堂
◇熊毛郡:鹿島九洲男、西之表座、野間公会堂

 映画館についてもうひとつ。垂水市牛根境地区が、『境浜ふるさと本』(平成28年)に作成している。
昭和20年代から30年代の写真と同地区の商店地図が掲載されている。
商店地図は編集委員が聞き取り調査を行ない、作成したそうである。
けっして大きな町ではないが、かつては映画館と劇場があったようである。
同書の副題に、「鹿児島県垂水市牛根境地区を次世代につなげる地元教科書〔境浜/さけはま〕」とある。
こういった教科書ならば、大歓迎である。歴史学や民俗学をやっている学生さんにも、参考になるかもしれない。

■参考文献
『鹿児島日報』昭和20年9月12日付
「戦争責任者の問題」(『伊丹万作エッセイ集』所収・ちくま学芸文庫・2010年』
『鹿児島年鑑1976』(南日本新聞社1976年)
『鹿児島年鑑昭和23年版』(南日本新聞社・昭和23年)
『鹿児島年鑑昭和24年版』(南日本新聞社・昭和24年)
『境浜ふるさと本 永久保存版』(境地区公民館 平成28年3月25日)
ラベル:映画館 鹿児島市
posted by 山川かんきつ at 21:21| Comment(1) | 戦後の鹿児島市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
谷山座は、旧電子高校原田学園の付近にあったと思います。
Posted by 藤崎宏文 at 2025年05月03日 19:43
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