2024年03月07日

鹿児島市真砂本町の不発弾

 鹿児島市真砂本町の工事現場で、不発弾がみつかったらしい。今月2日付の南日本新聞が報じていた。地元放送局のホームページにも目を通してみる。NHK鹿児島NEWS WEB(3月1日付)に、爆弾に関する詳しい記事が掲載されていた。

 先月9日、鹿児島市真砂本町の再開発の工事現場で、戦時中にアメリカ軍が使用していた100ポンド普通爆弾とみられる不発弾1発が見つかりました。

 「100ポンド普通爆弾」の記述が気になる。どのような根拠によるのだろう?
ネットで検索すると、鹿児島市役所のホームページに詳細が記されていた。

 不発弾に関する情報について
1. 発見の概要
(1) 発見日時
令和6年2月9日(金)11:45頃
(2) 発見場所
鹿児島市真砂本町3‐59
(3) 発見及び確認に至る経緯
上記(2)の発見場所において、地中埋設物撤去工事中に工事作業員が不発弾らしきものを発見し、警察に通報したもの。
同日、19:10から陸上自衛隊第104不発弾処理隊による現場確認が行われ、不発弾であり処理が必要であると、22:10に報告を受けたもの。
(4) 不発弾の形状
米国製100ポンド普通爆弾


 なるほど、「100ポンド普通爆弾」の記述は、自衛隊の報告によるものであった。
アメリカ海軍の艦載機が搭載した爆弾に100ポンド普通爆弾があった。
「100−LB.GENERAL PURPOSE BOMB AN−M30」である。
工藤洋三先生の著書『アメリカ海軍艦載機の日本空襲』に、その爆弾に関する記述がある。

 艦載機空襲で最も多く使用されたのは通常爆弾で、飛行場に駐機する飛行機などを攻撃する場合は100ポンド爆弾が、格納庫などを攻撃する際には500ポンド爆弾が、艦船などに対しては1000ポンドや2000ポンドと通常爆弾を使い分けた。

 昭和20(1945)3月18日、鹿児島空基地と鹿児島海軍航空隊は、大規模な空襲を受けている。今回、不発弾が見つかった周辺に軍事施設があり、艦載機は執拗なまでに攻撃している。それは、米軍資料『AIRCRAFT ACTION REPORT』に記されている。

19450318 kagoshimaAF 1.jpg
 国会図書館デジタルコレクション

不発弾は、このときの空襲で投下されたかもしれない。ただし、アメリカ海軍の資料に依っているから、同陸軍の戦闘機についても考察する必要がある。
ちなみに、沖縄基地から米軍陸軍戦闘機が九州に初めて飛来するのは、昭和20(1945)年5月17日である。

 不発弾処理にあたって、鹿児島市はホームページ上に「警戒区域(避難対象区域)」と題された地図を掲載している。
アメリカ軍の偵察写真と同軍作成地図、元鹿児島海軍航空隊の隊員作成の図を参考にしながら、不発弾の「警戒区域(避難対象区域)」を眺めてみる。

 昭和20年3月18日の鹿児島飛行場攻撃で、米軍艦載機は100ポンド爆弾を投下している。しかも、今回不発弾が発見された周辺に・・・。
次回も引き続き、不発弾に関してふれてみる。

参考文献
 南日本新聞2024年3月2日付 「不発弾24日に処理」
『アメリカ海軍艦載機の日本空襲(工藤洋三・2018年)
「不発弾に関する情報について」(鹿児島市ホームページ 2024年3月6日閲覧)
posted by 山川かんきつ at 12:16| Comment(0) | 鹿児島と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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