今月10日の新聞を読んでいて、腑に落ちない記事を目にした。2024年10月10日付朝日新聞「10・10空襲 那覇市街9割焼失」である。
記事は、次のように記す。
10・10空襲は、米軍による日本への初めての本格的無差別爆撃で、翌年の沖縄戦や日本本土空襲の先駆けとなった。「沖縄県史」によると、44年10月10日、艦載機や爆撃機など延1396機が奄美大島以南の南西諸島各地を攻撃。
この記事で腑に落ちぬ点が2つある。
ひとつは、「爆撃機」である。艦載機に関する記述は問題ない。この日の攻撃は、ハルゼー大将率いる第3艦隊が行っている。この空襲の特徴は、米軍艦載機が初めて日本国内の領土を攻撃したことである。
「爆撃機」が分からない。どこの基地から飛来したのであろうか。また、どのような機種であったろうか。可能性として、中国大陸は成都基地から飛来かもしれない。国会図書館デジタルレクションで、20爆撃機集団の報告書を探してみる。攻撃目標が「沖縄」と記された文書を見いだせない。
この日、覇市を攻撃した爆撃機について御存じの方がありましたら、一報くださるとありがたい。
この空襲、奄美大島や徳之島も攻撃されている。鹿児島県の空襲として考えるに、軽視できない。
ふたつ目は、「無差別爆撃」の記述である。
太平洋戦争中の空襲に関する新聞報道で、「無差別爆撃」の文字を目にするようになった。
「無差別爆撃」の定義をしっかり整えてから論じるべきであろう。この言葉を使う背景に、被害者」の視点が透けて見える。日本人にしか分からない、内向きの論理のひとつかもしれない。
無差別爆撃を論じる際は、海外の人々にも理解されるような内容にすべきと考える。
昭和19年は、とても忙しい歴史である。軍事史をはじめ、政治史、経済史など。ありとあらゆる戦闘や事件が発生しており、筆者はうまく整理できていない。
この年について少しばかり触れてみる。当時の新聞にめくると、外地からの物資が滞り始めた印象をうける。
軍需工場で物資が不足して、代用品を使い始めたとする記事が目立つ。船舶を集中的に攻撃した米軍の狙いは、昭和19年に成果が表れたようだ。
この年は自然災害も発生している。昭和東南海地震が最大の自然災害であろう。内田百閧竦エ沢洌が、日記に書き残している。
また、昭和19年後半から寒さが厳しかったらしい。徳川無声が、日記に書き残している。
とにかく、昭和19年は事件が目白押しである。その辺りも念頭に置きつつ、戦争のあった時代を見つめる必要があると思う。
■参考文献
「10・10空襲 那覇市街9割焼失」(2024年10月10日付朝日新聞)
2024年10月23日
この記事へのコメント
コメントを書く