昨年8月29日付毎日新聞の「開かれた新聞委員会2024」を読み返した。「戦後80年へ記憶共有」である。
記事冒頭、東京社会部長の談話に考えさせられた。
毎年8月15日を前に連載企画を展開していますが、なかなか読まれないのが課題です。戦後80年を迎えますが、新聞社の目的は、次世代に戦争の記憶をつなぎ、二度と戦争が起きないようにするにはどうするかであり、これは何年たっても変わらないところです。
当ブログは、十五年戦争を軸に記事を書いている。感心の低さを痛感している。
個人のブログではあるが、一次資料をもとに記事を書いている。少しばかり読まれてはいるようだが、反応はない。要因を少しばかり考えてみた。
ひとつは、十五年戦争に関する情報が圧倒的に少ない。
地元メディアの報道に接していると、特定の事象に偏っている。たとえば、特攻や鹿児島大空襲など。報道される空襲体験談に耳を傾けていると、体験者の話をそのまま伝えている。それも貴重な記録に変わりないが、検証した形跡がない。
終戦から80年近く経ってからの証言である。記憶違いもあるだろう。
何より、尋ねる側がその日の空襲について、どれだけ知っているかも問われると思う。
2024年8月31日付毎日新聞に、「8月ジャーナリズム」と題するコラムがある。
そうでなくてもメディアの8月報道は低調だった。
だが、嘆くまい。我々は戦争記憶の語り方、伝え方、受け取り方を見直す転機にいるからだ。(途中省略)
8月ジャーナリズムも、記憶の偏りと改変を免れない生存者の証言を「真正かつ神聖」とあがめすぎる惰性から、自覚的に脱却すべき時を迎えている。
記事のいう通りだろう。
戦争体験者の語る内容をそのまま伝えるのも、ひとつの方法だろう。そこから、検証できる。ここで、ひとつ困難にぶつかる。
それは、当時作成されたであろう記録を容易く見つけられないという現実である。「資料の発掘」という作業が必須である。
地元メディアの報道に接していると、この点を理解しているか否か疑わしくなる。
毎日新聞の記事を読んで思うに、同紙の記す戦争体験談は従来と少しずつ変わっていくかもしれない。
■参考文献
「開かれた新聞委員会2024」 2024年8月29日付毎日新聞
「8月ジャーナリズム」 2024年8月31日付毎日新聞・土記
2025年01月25日
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