2025年02月07日

維新ふるさと館

 先日、地元紙で面白い記事を目にした。
2025年1月31日付南日本新聞「維新ふるさと館刷新へ 26年度、展示物や動線工夫 西郷生誕200年に向け」である。

 鹿児島市加治屋町の維新ふるさと館は、2026年度に館内をリニューアルする。展示物や動線を工夫し、幕末維新期の薩摩の偉人の功績をより分かりやすく紹介。28年に迎える西郷隆盛生誕200年に向けて機運を盛り上げる。

 情報を整理し、偉人の個性や功績を分かりやすく示すことで、「薩摩の人のチカラ」を再発信する。


 記事を一通り読んで、鹿児島の典型的な歴史観を描写した記事である。おそらく、行政もメディアも同じであろう。「明治維新150周年」の際、筆者は痛感した。
幕末・維新を絶対化する態度に辟易する。この時代を相対化する姿勢が見られない。
『昭和という国家』で、司馬遼太郎は幕末・維新を次のように評している。

「昭和」という国家 - 司馬 遼太郎
「昭和」という国家 - 司馬 遼太郎

 明治維新はいろいろ素晴らしいものを持っていました。幕末のひとびとも素晴らしいものを持っていました。しかし、思想は貧困なものでした。尊王攘夷だけでした。
明治維新は立派な革命なのに、尊王攘夷という思想しか持っていなかった。

 昭和期になって明治のひからびた思想を利用した。
そのひからびた尊王攘夷を持ち込み、統帥権という変な憲法解釈の上にのっけたのではないかと。


 作家、永井荷風も『断腸亭日乗』で戦中期に記している。
 
 昭和18年6月3日付
 鎖国攘夷の弊風いつまで続くにや。

 以前、鹿児島の歴史観は「島津に暗君なし」と「維新の大業」であると記した。
これらが答えであって、別な視点からの考察はない。出版物や報道を目にした際の感想である。

 筆者は15年戦争時の歴史に関心を寄せている。大日本帝国の始まりとして幕末・維新期を見れば、先述の新聞記事と異なる感想をいだく。
司馬遼太郎氏も『昭和という国家』で述べる。

 やっぱり明治憲法はまずかったのでしょうね。その理由を探すと、明治維新そのものにあったのではないかと思うのです。

 幕末・維新の歴史を絶対化する態度の裏側に、どのような考えがあるのか掘り下げてみたい。観光用だろうか、エンタメ用だろうか。
南日本新聞の記事を読んで思う。行政とメディアは、連続した歴史として捉えていないと思われる。個別の歴史事象を取り上げているだけのようだ。

 そろそろ、幕末・維新の歴史を相対化して描いてもらいたい。

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 「子どもたちの問い」
 http://burakago.seesaa.net/article/507779380.html

参考資料
「維新ふるさと館刷新へ」2025年1月31日付南日本新聞
『昭和という国家』(司馬遼太郎・NHK出版・1998年)
posted by 山川かんきつ at 12:40| Comment(0) | 作家と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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