先日、毎日新聞で「伝承顔が見えてこそ 終戦直前西鉄電車銃撃犠牲者資料なく」を読んだ。
昭和20年8月8日、福岡念筑紫村(現・筑紫野市)を走行中の電車が米軍機から銃撃され、多くの乗客が亡くなったそうだ。
記事によると、被害をつづる当時の記録が見当たらないらしい。死傷者数についても明確にならないそうだ。同教委は、事実を掘り起こそうと、電車の乗客や遺族、目撃者の聞き取り調査に乗り出している。
そんなか、市教委は米国立公文書館で作戦報告書を入手。電車を攻撃したのが、沖縄県の伊江島から発進したP51戦闘機マスタングであったことがわかった。
こうやって、少しずつ空襲の実態がわかってくるのだろう。鹿児島市の空襲被害を聞き取り、犠牲者を明らかにした書物がある。『あゝ四月八日 田上の空襲の記録』。
同書は、昭和20年4月8日に発生した鹿児島市空襲を記している。
この日、鹿児島市田上町で爆撃があり100余名の死者が出ている。遺族の聞き取りをもとに、氏名や被弾場所などを一覧表にしている。貴重な記録である。
『鹿児島市史第2巻』と『鹿児島市戦災復興誌』は、この日の空襲を「米軍機数十機は・・・」と曖昧に記す。アメリカ陸軍第21爆撃機集団の文書『Tactical Mission Report』によれば、B29爆撃機が攻撃していた。
当日の天気は曇り。機影を見た者は、いなかったと思われる。鹿児島日報の記事は、「雲上より盲爆を・・・」と記す。
『あゝ四月八日 田上の空襲の記録』によると、当時の田上町は農村地帯。詳細な情報が市民に入らないため、さまざまな憶測が飛び交ったようである。
当時の市民たちが、情報をどのように得ていたか。流言飛語も含めて調べてみたいと考えている。
昭和20年8月8日に話を戻す。
筆者は、アメリカ陸軍第7航空軍、同第5航空軍の資料を持たない。そのため、沖縄基地を発進した米軍機の動きはわからない。そのため、艦載機とB29の動向をさぐっているところである。
筆者の持つアメリカ第5航空軍の資料に「Strafing mission」題された文書がある。
1945年8月8日に、次のような記述がある。
9 Sorties. Strafed U/I factory building at Takase RR junction 32°55’N-130°34’E.
Hit on factory at Yatsushiro, 32°30’N-130°37’E.
2 strafing passes on U/I factry at Marushima(32°12’N-130°24’E)
ご当地の方は、これらの空襲についても調べると良いかもしれない。
当時の米軍は九州をひとつの島と見ていたようである。1945年5月15日作成の文書に、「Kyushu Island」とある。
九州各地の空襲を調べる際は、九州への攻撃といった視点も必要かもしれない。
■参考資料
「伝承顔が見えてこそ 終戦直前西鉄電車銃撃犠牲者資料なく」(2025年2月11日付毎日新聞)
『あゝ四月八日 田上の空襲の記録』(田上の空襲を記録する会・1984年)
2025年02月19日
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