例えば、南日本新聞の「主戦場は大隅想定」(8月24日付)や同紙「本土決戦の主戦場は志布志湾」(8月26日付)、同紙「語り継ぐ戦争」(7月30日付)など。
記事を読み進めると、11月1日の上陸予定日に吹上浜と志布志は激戦が繰り広げられたといった印象を受ける。疑問がわく。日本軍の装備と人員で、米軍の攻撃にどれくらいの期間持ちこたえたろうかと。疑問に感じたため、手持ちの資料で調べてみた。
■昭和天皇独白録
『昭和天皇独白録』に、次のような記述がある。

昭和天皇独白録 (文春文庫) - 寺崎英成, マリコ・テラサキ・ミラー
終戦后元侍従武官の坪島[文雄]から聞いたことだが一番防備の出来ている筈の鹿児島半島の部隊でさへ、対戦車砲がない有様で、兵は毎日塹壕掘りに使役され、満足な訓練は出来て居らぬ有様だった相だ。
鹿児島県内に、数十万人もの兵員が集められたと聞いている。正規の訓練を受けた兵隊は、どれくらい居ただろうか。
作家の山本七平氏が著書に、「員数と実数」という言葉を使っている。
員数は、数だけ所定のものに要領よく合わせること。
実数は、実際に計算(算出)された数量。
昭和天皇に報告した侍従武官の言は、的確だったと思われる。鹿児島県内に動員された兵員数は、員数と呼んでよいかもしれない。
■アメリカ軍文書
1945年5月15日の日付が記された米軍文書を、参照してみる。
「AIRFIELDS AND DEFFENSES KYUSHU, JAPAN」と題された、図がある。
九州各地の飛行場や水上基地が記されている。また、対空火器やサーチライト、レーダーなどの種類や数まである。
もう一枚の地図を見る。1945年8月28日の日付が記される。
5月15日の地図より更に、対空火器やサーチライト、レーダーなどの関する情報がぎっしりと記されている。薩摩半島と大隅半島に目をやると、飛行場2カ所と陸上施設に関する記述が加えられている。
「KUSHIKINO」と「MINATO」との間に、「Costal Defense (possible)」とある。
直訳すれば、「湾岸防御(可能性)」。米軍は砲台か要塞に気付いたのだろうか。
日本側の資料で調べる必要がある。
■飛行場2カ所追加
1945年8月28日の日付が記入された地図である。大隅半島に飛行場が2カ所追加されている。ひとつは、「MAKINOHARA A/F (u/c)」。牧之原飛行場(建設中)。
昭和20年8月31日の日付が記された海軍の資料に、「牧ノ原航空基地」がある。
終戦時、小銃と軽機関銃、小銃弾が残されたらしい。同航空基地は、完成しなかったと思われる。
2カ所目は、「USHINE ASS」である。これは、「桜島航空基地」のこと。
現在の垂水市牛根麓は、道の駅たるみずに同航空基地があった。米軍は補助水上基地と評しているから、小規模な施設であったと思われる。
日本海軍の資料に、同基地に関する資料がある。終戦時、零式水上偵察機1機が残されていたらしい。金星発動機やシリンダー、燃料タンクなどと共に。
同基地の兵器施設配図に目をやると、滑走台は4本。機銃25ミリ12門、防御陣地に25ミリ6門、7.9ミリ機銃28門など防御施設は備えていたようである。
2枚の図を見くらべる。8月28日付の図は、5月15日のものより情報が格段に増えている。偵察や捕虜の証言などをもとに、informationをintelligenceに高めたのだろう。
米軍の情報分析力と情報の生かし方に脱帽である。それは文書からうかがえる。
オリンピック作戦の報道に接していて思う。もし、8月15日に終戦を迎えていなければ、鹿児島と宮崎は、8月から10月にかけて激しい空爆にさらされたと思われる。
大隅半島と薩摩半島に陣取った日本軍は、昭和20年11月1日のD-DAYにどれくらい持ちこたえだろうかと。
オリンピック作戦に関する報道に接して思う。
記者さんたちは、日本軍を評価し過ぎているのでは・・・と。
■参考文献
「主戦場は大隅想定」2025年8月24日付・南日本新聞
「本土決戦の主戦場は志布志湾」2025年月26日付・南日本新聞
「証言語り継ぐ戦争」2025年7月30日付・南日本新聞
「無差別爆撃 沖縄から九州へ」2025年2月11日付・毎日新聞
『昭和天皇独白録』(寺崎英成・文春文庫・2010年)

