独学で米軍文書に目を通しているのだが、専門家の意見は気づきを与えてもらえる。
記事の以下の部分が気になった。
基地は空襲被害を最小限に抑えるため、敵の偵察から存在や全貌を隠す「秘匿性」と、司令部や兵舎、弾薬庫といった重要施設を広範囲に配置する「分散化」が徹底された。
米軍は45年3月に基地を撮影し分析しているが、本格的な攻撃は受けなかった。
1945年5月15日の日付が記された米軍文書がある。九州南部にあった飛行場をまとめた文書である。飛行場と水上基地が、22ヶ所とある。岩川航空基地も含まれる。
文書は基地の位置をはじめ滑走路、設備、用途などについて記す。
そこに、「Dispersal」と記された項目がある。「分散(化)」と訳している。
Dispersal: Area under construction. South of the field seven revetments are completed.
Areas northwest of the runways could accommodate added dispersal areas.
分散
一帯は建設中。飛行場南側にある7基の掩体(もしくは防壁)は完成。
滑走路北西側の一帯は、分散地区を広げらる。
「revetments」は、掩体(壕)と思われる。それが分かる写真や地図、スケッチなどが見当たらないため、仮訳として「掩体(壕)」にしている。
文書は、こうも記す。
No aircraft present on 18 March 1945.
1945年3月18日時点で、航空機なし。
芙蓉部隊は、航空機を巧妙に隠したらしい。昭和20年3月18日時点で、航空機の秘匿に成功したといえる。
米軍文書は、次のように結ぶ。
Limited photo coverage precludes a more detailed interpretation of the airfield.
直訳する。写真からわかる範囲が限られているため、飛行場に関する詳述は難しい。
新聞記事は、後半にこう記す。
「戦争の歴史は立場によって多様化する。」
客観性を持たせるために、一次資料を探し出す。そして、様々な視点で検討して現時点での蓋然性を示すようにする姿勢が必要と思う。
歴史学は社会科学の一分野。科学だから新たに信用できる資料が発見されたならば、書き換えられる。
岩川航空基地に関して、「米軍にみつからないまま終戦を迎え、幻の飛行場と呼ばれる」といった言説を目にする。米軍資料に目を通していると、昭和20年5月15日時点で同飛行場を認識していたようである。
■関連記事
「岩川航空基地 米軍資料から」
http://burakago.seesaa.net/article/517689689.html
■参考文献
「戦跡は文化財 保存活用を」2025年8月15日付南日本新聞
ラベル:岩川航空基地

