2025年11月04日

無知学とは なんでせう?

 無知学と称する学問があるらしい。今年10月29日付朝日新聞「無知学から見える世界」に目を通した。話者は、鶴田想人氏(東北大DEI推進センター特任助教)。

現代思想2023年6月号 特集=無知学/アグノトロジーとは何か−−科学・権力・社会 - 隠岐さや香, 塚原東吾, 石井ゆかり, 石倉敏明, 小川眞里子, 鶴田想人, 納富信留, 野家啓一, 弓削尚子
現代思想2023年6月号 特集=無知学/アグノトロジーとは何か−−科学・権力・社会 - 隠岐さや香, 塚原東吾, 石井ゆかり, 石倉敏明, 小川眞里子, 鶴田想人, 納富信留, 野家啓一, 弓削尚子

ここ最近、Post-truthに注意しているのだが、うまく整理できないでいた。記事を読んでいるうちに、少しばかり整えられた気がする。

「無知」を広辞苑で引くと、@知識がないこと。A知恵のないこと。おろかなこと。
ネガティブな意味を持つ言葉である。「無知の恥」といったところだろうか。

 無知学は、「知らない」ことを、個人の問題ではなく、社会や集団の問題として捉えるそうだ。「私たちは何を知らないのか? なぜ知らないのか?」を基本に置き、その原因と意味を考える。同時に、社会や歴史事象をも分析していく学問であるそうだ。

 無知学は、「個人の知識の欠如」と「人為的に作られる無知」に分ける。
作られる無知は、「意図的に作られる無知」と「構造的に生み出される無知」に分けられる。意図的に作られる無知は、研究が進んでいるそうだ。

意図的に作られる無知
 特定の誰か、あるいは企業や国家などが情報を隠したり、攪乱してきたために生じてきた無知。また、不都合な科学論文に疑念を呈したり、独自のメディアで紛らわしい情報を発信する。本当に知られたくない事実を、あの手この手で注意をそらす。

 財務省の赤木ファイルの件は、これに当てはまりそうだ。当初、財務省は文書の不在を主張していた。裁判後、膨大な文書が赤木さん宛てに届いた。報道に接していて、なんだそれといった感想である。
 他にもある。日本学術会議や歴史修正主義、陰謀論、原発と活断層などは、意図的に作られる無知にカテゴライズできそうだ。

 注意をそらすやり方は、無知を作り出す典型的な手法のようだ。主流メディアを攻撃し、生きづらさや不安の原因を特定の集団に向けることで真の原因から人々の目をそらす。
「Scapegoat スケープゴート」を作り出すようだ。これは、関東大震災時の朝鮮人や中国人への虐殺、暴力を考えるうえで参考になるかもしれない。

構造的に生み出される無知
より複雑で構造的な要因が絡み合い、いつの間にか生まれてしまう無知。
ジェンダーや人種など不平等のある所では、知識の偏りが生じやすい。
誰かが意図的に隠蔽したわけではないが、小さな無視や後回し積み重ねで生じてしまう「構造的な無知」。

 これを読んでいると、鹿児島市の空襲に関する記述に思いが至った。
毎年6月17日になると、地元メディアは鹿児島大空襲を報じる。鹿児島市はつごう8回の空襲を受けたとする内容である。
昭和45年に刊行された『鹿児島市史第2巻』の記述を、今年も報道していた。

米軍資料や日本海軍の資料などに目を通すと、少なくとも10回の空襲を受けている。
当時書かれた個人の日記を読むと、20回近く空襲があったようだ。いま、その記述を検証するべく米軍資料に当たっているところである。

 戦後80年の節目とあって、地元メディアは戦争に関する報道が盛んだったように思う。
特攻、対馬丸、芙蓉部隊、鹿児島大空襲など。内容はいつも通りといったところであろうか。

 メディアに共通して報じる内容がある。「戦争の記憶の風化」である。
例えば、鹿児島市は空襲を8回と報ずるが、6月17日を伝えるだけである。残り7回を報じない。

無知学の定義を基にして考える。小さな無視や後回しの積み重ねで生じてしまう「構造的な無知」に当てはまりそうだ。
報道されないから、6月17日以外の空襲を知らない。鹿児島の歴史観は、薩摩藩時代中心である。幕末・明治維新を頂点にした歴史観である。
「明治維新150周年」で、それを強く感じた。大日本帝国の始まりと考えれば、明治維新の視点も変わってくると思うのだが、薩摩藩中心の歴史観に多様性はない。

 地元メディアの空襲に関する報道に接していて、首を傾げる瞬間がいくつもあった。
第一復員省作成の戦災地図を鵜のみにした記事。
鹿児島市史と鹿児島市戦災復興誌にある記述をそのまま報じる。
岩川航空基地に関する言説を従来通り報ずる。
悲劇のナラティブで展開する点は、従来通りである。そこに、冷静な視点はない。

認知のクセ
 人間の心理や認知のあり方にも、「無知」を生み出すメカニズムがあるそうだ。
 人間は見たいものを見て、信じたいものを信じやすい。
 個人が群集化して集団に埋没すると、冷静な判断を失う。

 この説明は、昭和初期の時代に当てはめると分かりやすい。明治維新150年の際、メディアは同のように報じ、市民はどう行動したか振り返るのも良いかもしれない。
また、認知バイアスに「権威バイアス」といった考え方がある。権威のある人に指示や説明をされると受け入れてしまう。

 鹿児島市の空襲に話を戻す。鹿児島市史と鹿児島市戦災復興誌に権威を感じているのだろう。なにせ、鹿児島市の公式記録だから。編集委員は大学教授といった人たちであっただろうと思われる。
また、第一復員省戦災地図をそのまま使用した記事は、同地図が公式記録としての権威を感じたからだと思われる。

 鹿児島の空襲に関する報道に接していると、行政誌を基にした内容であることに気付く。
様々な視点から検証した様子はない。やはり、公式記録という権威を鵜のみにする様子がうかがわれる。
鹿児島の空襲を描こうとすると、従来のやり方では描けないということが分かった。
やはり、米軍や日本軍、当時の日記など一次資料を使わなければ、客観性のある内容にならない。

 メディア論の学者が言われる通り、疑いつつ報道に接したほうが良いようだ。
無知学は新しい学問らしい。研究がすすむにつれて、色々な歴史事象を解明する糸口を見いだしてくれるかもしれない。
 

参考文献
「無知学から見える世界」(2025年10月29日付朝日新聞Re:Ron×インタビュー)
posted by 山川かんきつ at 16:55| Comment(0) | 鹿児島と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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