
憲法講話 (岩波文庫) - 美濃部 達吉
惟(おも)うに我が国に憲政を施行せられて既に二十余年を経たりといえども、憲政の智識の未だ一般に普及せざることを殆んど意想の外にあり。
専門の学者にして憲政の事を論ずる者の間にも、なお言を国体に藉(か)りてひたすらに専制的の思想を鼓吹し、国民の権利を抑えてその絶対の服従を要求し、立憲政治の仮想の下にその実は専制政治を行わんとするの主張を聞くこと稀ならず。
(以下省略)
明治四十五年紀元節の日 美濃部達吉
大日本帝国憲法の解釈について、施行当初から様々だったようだ。
官職にあった人々のなかに、江戸期の教育を受けた者もあったであろう。封建時代の意識が抜け切れぬ人もあったかもしれない。
昭和21年に施行された日本国憲法は、どうだったろうか。
官職にあった人たちは、戦前・戦中の教育を受けたエリートたち。そう簡単に思考を変えられたであろうか。疑ってみるのも良いかもしれない。
もう一点。序文に「国民の権利を抑えてその絶対の服従を要求し、立憲政治の仮想の下に実は専制政治を行わんとするの主張を聞くこと稀ならず」とある。
某政党の改憲案に目を通していると、これと似ているのでは・・・。勘ぐりたくなる。
今月19日付朝日新聞で、慶応大学の駒村圭吾教授のインタビュー記事に注目した。
記事は冒頭で、こう述べる。
「度重なる危機にさらされながら、生き延びてきた憲法」
昭和21年の施行から何度も、改憲の動きがあったのかもしれない。筆者は分からぬ。
駒村先生によると、日本国憲法は生死の境をさまよっているらしい。これからの数年間は分岐点になるそうだ。
先生は、もうひとつ述べる。
明治憲法体制の宿痾が21世紀になっても完全に克服されていないことを意味する。
宿痾は、長く治らない病気のこと。
なるほど、戦前・戦中の思想が完全に抜け切れていないらしい。
これは、戦前・戦中と戦後をひと続きとする考え方につながる。どうやら、経済面や精神面だけでなく、法律の世界でも同じのようだ。
美濃部教授の『憲法講話』は、大正時代になって縮刷版がでた。同先生は、こう述べている。
初めて本書を公にした当時には、一部の人々から、本書があたかもわが国体の基礎を揺るがさんとする危険思想を含むものの如くに攻撃せられ、一時大いに世の視聴を惹いた。
(以下省略)大正七年九月 美濃部達吉
昭和10年に「天皇機関説事件」として国会で、美濃部教授は糾弾される。
著書である『憲法撮要』『逐条憲法精義』『日本憲法ノ基本主義』は、出版法違反として発禁処分となった。
昭和10年5月1日に各学校長と市町に対して、鹿児島県学務部長が指示を出している。
美濃部氏著書取扱ニ関スル件
美濃部達吉氏著書中左記ハ發買ヲ禁止セラレタルニ付之ヲ閲読セシメザル様御配慮煩度特ニ得貴意候也
追テ左記著書中貴校所蔵ノモノ有之候ハバ書名冊数御報告相成度
それ以後の展開を思えば、天皇機関説と国体明徴宣言は、昭和史で重要な出来事だったと思われる。
司法省判事局は、1940年に「所謂『天皇機関説』を契機とする国体明徴運動」と題する極秘の論文をまとめている。玉沢孝三郎検事が執筆し、次のように評している。
「合法無血のクーデター」と。
■参考文献
『憲法講話』美濃部達吉・岩波文庫・2018年
「戦後80年憲法生死の分かれ目」(2025年4月19日付朝日新聞)