2025年07月19日

煙り立つ民の竈

むかし、むかし。
仁徳天皇がおわしました頃のことでございます。
即位されて4年目の春、天皇は高殿にのぼられ民の暮らしぶりをご覧になりました。
どの家からも、竈から煙が立たないのに気づかれました。

 天皇は思いました。
人々は貧しさのため、竈に火を入れられないのでは。
天皇は人々が生活に苦しむ様子に、たいそう心配されました。
これより3年間、税を取らぬ詔を出されました。

 天皇は民に負担を掛けぬよう、質素倹約に努めました。
そのため、宮殿の垣根は荒れ放題。茅の葺き替えもできず、雨漏りはいうにおよばず星の光を見るほどでした。
しばらくすると、民の暮らしぶりは明るさを取り戻してきました。
どこに行っても天皇の徳を讃えられ、家々の竈から煙が上るようになりました。

 後に、天皇は思いを語られました。
「民が富んでこそ自らも富むのである」。


 仁徳天皇は3年で民の暮らしを立て直したらしい。
現代の日本はどうか。失われた20年もしくは30年といわれる。
サプライサイドに立った経済政策のおかげで、家計部門はかなり痛んだ。
一時的に数万円を配ったところで、その効果は知れている。
家計部門をないがしろにしてきた政策の副作用が、現在の景気状況である。

 そこに、円安や物価高も襲っている。
鹿児島県に住んでいると、車が必需品である。鹿児島市中心部にいると、公共交通が充実している。郊外にでると、一気に移動難民化する。
車が欠かせないため、ガソリン価格に対して敏感になる。
「油の一滴は 血の一滴」。
戦前・戦中の国策スローガンが胸に滲みる。

 さて、明日は参議院議員選挙の投票日。
報道によると、かなり右寄りの政党が議席を伸ばしそうな予想である。
暮らしぶりが悪くなると、極端な考えに同調したくなるかもしれない。

戦時期日本の精神史 1931?1945 鶴見俊輔
戦時期日本の精神史 1931?1945 鶴見俊輔

 哲学者の鶴見俊輔が、『戦時期日本の精神史』でこう述べる。

 いまの日本を理解するために、その背景として1931年から45年までの、長い戦中の年月の日本を背景としておくことが大切であるように思います。

 この指摘は、戦前・戦中期と戦後は、連続していると捉えられる。
敗戦を機に、日本人はすっかり変わったような印象を受ける。だが、内面はそう変わっていないのかもしれない。


参考文献
歴代天皇総覧 増補版 皇位はどう継承されたか (中公新書) - 笠原英彦
歴代天皇総覧 増補版 皇位はどう継承されたか (中公新書) - 笠原英彦』笠原英彦・中央公論社・2021年



『戦時期日本の精神史1931〜1945年』鶴見俊輔・岩波書店・2015年
posted by 山川かんきつ at 07:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月14日

ニューノーマルになったポストトゥルース

 最近、新聞でとんと目にしなくなった言葉がある。「ポストトゥルース」。
現在は真実後の世界にあるため、それがニューノーマルな状態なのかもしれない。
ポストトゥルースの定義を新聞記事から拾ってみた。

政治的利益を優先させるために「真実」を軽視することを指す。(2020年10月10日付毎日新聞・今週の本棚)

事実より信条や感情へ訴えるウソの方が世論形成に大きく影響する状況。(2017年11月28日付朝日新聞・インタビュー)

真実は私が決める(2025年4月8日付毎日新聞・火論)

ジャーナリズムにおいて客観性はもはや存在しない。我々にとっての真実を伝える。
(2022年5月13日付朝日新聞・山腰修三のメディア私評)

 Copilotにも「ポストトゥルース」を尋ねた。
客観的な事実よりも、感情や個人的な心情によって表されたものが影響力をもつ状況。

 ポストトゥルースを調べている最中に、某参議院議員の「ひめゆりの塔」発言があった。
さまざまな歴史家が新聞紙上にコメントを寄せていた。「歴史修正主義」と指摘。
近現代史研究者の書籍に目を通しているが、歴史を修正した記述に出くわした覚えはない。
「歴史修正主義」に関する論考に目を通してみた。

「フェイクとどう闘うか」。2017年11月28日付朝日新聞。
歴史学者のデボラ・E・リップシュタット氏のインタビュー記事である。
彼女は、ホロコースト否定論者と法廷で闘った回想録を映画化したのを機に来日。
ポストトゥルースの時代にあって、彼女はこう指摘する。

 歴史的な出来事は体験者から直接話を聞けなくなると、遠い過去の昔話になり、否定や作り替えの入り込む隙間がおおきくなります。
彼らは証拠をねじまげ、記録や発言を文脈からはずして部分的に抜き出し、自分の主張と矛盾する証拠の山は切り捨てます。


SNSによって、客観的な事実とウソの違いがわからなくなり、それらを同列にしてしまいました。

 では、どうすれば良いのか? 彼女はつづける。

 私たちにはファクトチエック(事実を確認)してくれる存在が必要です。独立し、事実を追求し精査できる報道が必要なんです。

 私たちにできることは、根拠を要求すること。いまは善き人ほど沈黙してはいけない時代だと思います。

 『これは事実?』と考え、信頼できる情報源が言っていることか精査することが大切です。疑念をもって出典を精査することが重要です。
いま行動しなくては手遅れになります。


 鹿児島市の空襲に関する記事を読んでいると、どのような「根拠」をもとにしているのだろう? と疑問を抱くことが多々ある。常識化している言説に対して、根拠を問いただす必要があるだろう。
例えば、鹿児島市が受けた空襲や岩川航空基地などにかんする記述など。

 参議院議員選挙も後半戦に入った。各党党首の演説を聞いていると、外国人への規制を取り上げる党が多々見受けられた。確か、昨年の衆院選は外国人材の確保が争点のひとつだったと思う。1年経たずして、こんな感じである。
一見すると、排外主義の主張にもとれる。

とうとう、日本にもそうした風潮が到来したのだろうか。妙な21世紀になったものである。20世紀に少年だった筆者は、21世紀に憧れを抱いていたのだが―。
posted by 山川かんきつ at 23:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年06月08日

戦争体験者との面談

 先だって、戦争体験者と話をうかがう機会があった。御年98歳の女性。
彼女が体験した、鹿児島市の空襲について語っていただいた。
改まった席で空襲体験を聞く。筆者にとって、初めての体験である。
これまで、日常会話のなかで高齢者から話を聞いていた。

 事前に、彼女に関する情報を集めた。良家のご令嬢。
実際に話をうかがっていると、実家に家政婦さんがいるほどのご令嬢だった。
話しぶりや佇まいなどからも、それとなく分かる。
筆者がこれまで話をうかがった人たちは、尋常小学校を卒業後に就職していた。
また、近代史をあつかった図書で、当時の生活レベルや所得格差などの智識はあった。
今回の面談で、庶民と良家の間に大きな隔たりがあったのを感じた。

 彼女は空襲の話を始めた。昭和20年6月17日から18日にかけて行われた、いわゆる「鹿児島大空襲」である。
その際、昭和6年作成の地図とB29が撮影した写真とを手渡した。
地図に、彼女の自宅が記されている。

 空襲が始まると、港湾の方へ避難したらしい。地図をみながら指さす。自宅から港まで数百メートルの距離。風が海側から吹き始め、難を逃れたと言われた。

air raid kagoshima 19450617.jpg

米軍の写真は、海側から風が吹いていたのを捉えている。
また、照明弾についても話された。

 この日、B29が落とした照明弾は「撮影用照明弾(M46 Photoflash)」54個。
筆者の推測になる。彼女の見た照明弾は収束焼夷弾のリボンに着火した炎だったのではないか。照明弾について、多くの体験談が残されている。おそらく、収束焼夷弾だろう。

 次に、昭和20年11月頃に撮影された写真を見ていただいた。朝日通から鹿児島市役所方面をとらえた写真である。筆者が調べても分からない建物があったため、尋ねたのだ。
終戦直後に撮影された写真のため、コンクリート造の建物は崩れ、ガレキが散乱している。
はるか80年も前の記憶は、簡単に思い出せないでいるようだった。

 その他、町内会事務所の場所を尋ねた。事務所自体を存じ上げなかった。
町内事務所は、行政の末端組織。配給を始めとした行政手続きは、当事務所で行っていた。
存在を知らないと言うよりも、忘れてしまったのかもしれない。80年も前のことだから。

 鹿児島市が受けた空襲で、昭和20年4月8日について尋ねた。具体的な日付を示さずに、尋ね方を変えてみた。当時、彼女は谷山町にあった田辺航空工業に挺身隊として勤務していた。
tanabe1.jpg


「田辺から自宅まで、歩いて帰ったことがありませんか? 宇宿町から先は、どの道を通りましたか?」

 彼女は即答した。
 その日、仕事が終わると走って自宅まで鹿児島海軍航空隊を横目にして帰ったそうだ。
この日の空襲で、西千石町や平之町、加治屋町の一部、新照院町の一部、田上町、下荒田町、上荒田町、郡元町が被災している。

 指宿線は土砂崩れのため不通。鹿児島市電も二軒茶屋の辺りが被弾して不通だった。
彼女曰く。「家族を心配するあまり、周りの景色は目に入らなかった」。
当時、18歳。必死になって自宅を目指したのかもしれない。

 彼女の話は、戦中と戦後の食糧事情に関する話が主だった。着物と米を交換するのに、相当な苦労だったらしい。
また、終戦直後の預金封鎖や新円切り上げ、インフレなど経済に関する話は実感がこもっている。

作家・向田邦子もエッセーで触れている。戦中から戦後にかけての食料と経済事情は、当時を生きる人々にとって深刻な問題だったようだ。
終戦直後から始まったインフラ整備ばかりに注目されがちだが、彼女たちが伝える「暮らし向き」にも目を向ける必要がある。

 書店に足を運んだ折に、『台所に敗戦はなかった』と題する1冊を目にした。
彼女たちの話を思い出しながら、手にとった。


参考文献
『台所に敗戦はなかった』(魚柄仁之助・筑摩書房・2024年)
posted by 山川かんきつ at 11:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする