2025年05月08日

一番電車

 ポルノグラフィティーの「言伝−ことづて」は、いいね。とくに、歌詞が良い。

 なんでも、NHK広島放送局が企画する「被爆80年プロジェクト わたしが、つなぐ」のテーマソングの由。
同放送局のホームページに、歌詞が掲載されている。

一読していると、「一番電車」の言葉が目をひく。
作詞を担当した新藤晴一さんは、一番電車でストーリを紡いだようだ。

 広島の街へと響き渡ったのは 一番電車の発車のベル

 会いたい人がいるなら そこまで乗っていけばいい 切符はいらないから

 読んでいるうちに、NHKスペシャル「戦後70年 一番電車が走った」を思い出した。
新藤さんが作られた歌詞は、ドラマで描かれたシーンを彷彿とさせる。
放送から10年も経つというのに・・・。

 昨年は毎日新聞に、この電車に関する記事があった。
ご当地の中國新聞のサイトを訪れると、一番電車について断続的に報道されていた。
同社ヒロシマメディアセンターのコンテンツも充実している。

 やはり、原爆と戦争に関して関心度が高いようだ。
筆者の場合、活動する場所を間違えたかもしれない。

関連記事
一番電車が走った日 広島市」(2024年8月17日記)
 http://burakago.seesaa.net/article/504407816.html

参考文献
「戦後80年へ」毎日新聞(西部本社版) 2024年8月6日付
「戦後70年 一番電車が走った」NHKスペシャル 2015年8月10日放送
「㊙第九一號 昭和二十年八月二十一日 廣島縣知事 八月六日廣島市空襲被害並ニ措置ニ関スル件(詳報 八月二十日現在)」(国会図書館デジタルコレクション)
「中國新聞 ヒロシマメディアセンター」(https://hiroshimapeacemedia.jp)
posted by 山川かんきつ at 07:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月29日

抑圧の移譲と奉仕の献上

 今月19日付の朝日新聞。「戦後80年 憲法生死の分かれ目」は、考えさせられた。
憲法学者・駒村圭吾慶応大学教授のインタビュー記事である。

 先生によると、これまでの違憲判決は家族や婚姻、ジェンダー平等、政教分離などが多いそうだ。封建的家族制度の否定と国家神道解体に関する違憲判断となるらしい。
ここに、日本社会が抱える治らない病気が隠れているそうだ。先生は述べる。

 明治憲法体制の宿痾が、21世紀になっても完全に克服されていないことを意味する。近時の司法の挑戦は、この文脈でとらえる必要がある。
憲法によっても容易に克服しがたい宿痾が今なお残っています。


 先生は、日本社会が抱える不治の病について、丸山眞男(政治学者)の説を引用する。

 権力を持つ上位者が、道理に合わないことを順次下位の人たちに押しつけていくことによって秩序を維持するというゆがんだ精神構造を、丸山は『抑圧の移譲』と呼びました。
戦後もしっかりと残存している。

 丸山はまた、政事(まつりごと)という言葉に注目します。それは『まつらふ』こと。つまり下から上への『奉仕』という意味があり、上から下への支配と同時に、下から上への『奉仕の献上』が日本の政治の底層にあるというのです。
安倍政権下で上からの『抑圧の移譲』と下からの『奉仕の献上』という、日本の精神的権力構造が抱えている『宿痾』が『忖度政治』として現れたのです。

 『抑圧の移譲』の恐ろしいところは、下に行けば行くほど抑圧の度合いは大きくなる。一方で上は、『そんなつもりはなかった』という認識でいる。責任が雲散霧消するのではなく、弱い一点に集中的に注がれることになる。


 『抑圧の移譲』と『奉仕の献上』をつらつら考えていると、昔の家制度を思った。
そうして、清沢洌の評論を思い出した。昭和10年発刊『現代日本論』である。

 日本は維新當時の情勢と、それから賢明なる先覚者たちの指導によって『泰西文化』の前に扉をあけたけれども、しかしそれまでには三百年以上の成熟した文化があった。
われ等が警戒しなくてはならないことは、この他と合成しない固形文明が、何かといふと外皮をおかして、その古い形において、現はれることだ。それが内に現れると封建主義的反動となり、外に現はれると時代錯誤的外交政策となる。そしてそれは今、批判の白光をあびることなくして、わが日本を危険に追ひやらんとする兆候すらもあるのである。


 江戸期の精神構造が現代まで続いている、と解しても差し支えなさそうだ。
昭和初期、「日本主義」なる言葉が幅を利かせていたようでもある。そのころに、江戸期の思想を持ち出したとも考えられる。
永井荷風の『断腸亭日乗』に、こんな記述がある。昭和18年6月初2。

 鎖国攘夷の悪風いつまで続くにや。

 荷風先生の主観にもとづいて日記は書かれている。世間を冷静にして批判的に観察し、描写している。貴重な一次資料である。

 『抑圧の移譲』と『奉仕の献上』などの精神構造は、今もしっかり続いているのではないか。パワハラやセクハラ、やりがい搾取などは繋がっていそうだ。
現代と戦前・戦中の精神構造は、あまり変わっていないのかもしれない。
1946年に日本国憲法が発布され、「新しい日本」が生まれました、と学校の授業でならった。外面は変わっても、内面は変わっていない。

タモリさんが言われた「あたらしい戦前」は、日本人の精神で変わらない面が表面化したに過ぎないのかもしれない。

参考文献
『現代日本論』(清沢洌・千倉書房・昭和10年)
「戦後80年 憲法生死の分かれ目」(2025年19日付朝日新聞)
『断腸亭日乗」(永井荷風・岩波文庫・2014年)
posted by 山川かんきつ at 08:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月24日

美濃部達吉の憲法講話

 美濃部達吉著『憲法講話』の序文が気になった。

憲法講話 (岩波文庫) - 美濃部 達吉
憲法講話 (岩波文庫) - 美濃部 達吉


 惟(おも)うに我が国に憲政を施行せられて既に二十余年を経たりといえども、憲政の智識の未だ一般に普及せざることを殆んど意想の外にあり。
専門の学者にして憲政の事を論ずる者の間にも、なお言を国体に藉(か)りてひたすらに専制的の思想を鼓吹し、国民の権利を抑えてその絶対の服従を要求し、立憲政治の仮想の下にその実は専制政治を行わんとするの主張を聞くこと稀ならず。
(以下省略)
 明治四十五年紀元節の日 美濃部達吉


 大日本帝国憲法の解釈について、施行当初から様々だったようだ。
官職にあった人々のなかに、江戸期の教育を受けた者もあったであろう。封建時代の意識が抜け切れぬ人もあったかもしれない。

 昭和21年に施行された日本国憲法は、どうだったろうか。
官職にあった人たちは、戦前・戦中の教育を受けたエリートたち。そう簡単に思考を変えられたであろうか。疑ってみるのも良いかもしれない。

 もう一点。序文に「国民の権利を抑えてその絶対の服従を要求し、立憲政治の仮想の下に実は専制政治を行わんとするの主張を聞くこと稀ならず」とある。
某政党の改憲案に目を通していると、これと似ているのでは・・・。勘ぐりたくなる。

 今月19日付朝日新聞で、慶応大学の駒村圭吾教授のインタビュー記事に注目した。
記事は冒頭で、こう述べる。
度重なる危機にさらされながら、生き延びてきた憲法

 昭和21年の施行から何度も、改憲の動きがあったのかもしれない。筆者は分からぬ。
駒村先生によると、日本国憲法は生死の境をさまよっているらしい。これからの数年間は分岐点になるそうだ。
先生は、もうひとつ述べる。

 明治憲法体制の宿痾が21世紀になっても完全に克服されていないことを意味する。

 宿痾は、長く治らない病気のこと。
なるほど、戦前・戦中の思想が完全に抜け切れていないらしい。
これは、戦前・戦中と戦後をひと続きとする考え方につながる。どうやら、経済面や精神面だけでなく、法律の世界でも同じのようだ。

 美濃部教授の『憲法講話』は、大正時代になって縮刷版がでた。同先生は、こう述べている。

 初めて本書を公にした当時には、一部の人々から、本書があたかもわが国体の基礎を揺るがさんとする危険思想を含むものの如くに攻撃せられ、一時大いに世の視聴を惹いた。
(以下省略)大正七年九月 美濃部達吉


 昭和10年に「天皇機関説事件」として国会で、美濃部教授は糾弾される。
著書である『憲法撮要』『逐条憲法精義』『日本憲法ノ基本主義』は、出版法違反として発禁処分となった。
昭和10年5月1日に各学校長と市町に対して、鹿児島県学務部長が指示を出している。

 美濃部氏著書取扱ニ関スル件
 美濃部達吉氏著書中左記ハ發買ヲ禁止セラレタルニ付之ヲ閲読セシメザル様御配慮煩度特ニ得貴意候也
 追テ左記著書中貴校所蔵ノモノ有之候ハバ書名冊数御報告相成度


 それ以後の展開を思えば、天皇機関説と国体明徴宣言は、昭和史で重要な出来事だったと思われる。
司法省判事局は、1940年に「所謂『天皇機関説』を契機とする国体明徴運動」と題する極秘の論文をまとめている。玉沢孝三郎検事が執筆し、次のように評している。
「合法無血のクーデター」と。

参考文献
『憲法講話』美濃部達吉・岩波文庫・2018年
「戦後80年憲法生死の分かれ目」(2025年4月19日付朝日新聞)
posted by 山川かんきつ at 23:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする