2013年08月24日

梅ヶ渕橋と観音

国道3号線を北上、伊敷ニュータウン入口交差点を左折し、梅ヶ渕橋を渡ります。
梅ヶ渕橋、もとは木橋でありましたが、昭和7年伊敷・伊集院間の県道開通に伴って、コンクリート端に付け替えられたものです。

むかしの甲突川は、今に比べかなり水量が多かったようです。
梅ヶ渕橋付近は、青々とよどみ深い渕になっていたそうです。
梅ヶ渕には、次のような話が言い伝えられています。

「むかし、殿様に仕えていたウメという女中がありました。あるとき、食事を運んでいると床板から軋む音がしました。他の女中から、ウメがおならをしたと間違えられ、たいへん叱られました。ウメは、身の潔白を市晴らすため、この渕に身を投げてしまいました。以来、この渕を”梅ヶ渕”と呼ぶようになったそうです。」

これと似た話が、鹿児島市喜入町に残っており、「香梅ヶ淵(こべがふち)」と言います。
香梅ヶ淵の話につきましては、さつまの国の言い伝えを参照ください。

■ 梅ヶ渕観音(名突観音・新村観音)
梅ヶ渕橋をわたり、突き当りを右折して道なりに一キロほど進むと、左手にこんもり茂った森が見えてきます。
看板をたよりに、集落の細い道を行くと緩やかな坂になります。この坂、「新村の名突坂」と言うそうです。
坂の途中に、観音堂の階段が出てきます。

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階段を上ると、梅ヶ渕観音堂が出てきます。
拝殿の奥に、岩に彫られた観音像が祭られています。

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この観音様、とても柔和な顔立ちで微笑んでいるような感じです。
ここの観音様には、言い伝えが残されていますが、それにつきましては「さつまの国の言い伝え」を参照ください。

観音様は、観世音菩薩が本来の名でで、衆生が救いを求める声を聞くと自在にこれを救う菩薩とされています。衆生に現世利益の救済を施すという、存在のようです。

この仏様、もともとは「オネッ(百日咳)」の神様として崇められていたそうです。
子をもつ親御さんたちが、火吹竹を献じてお参りしました。
その火吹竹で病人を吹くと、すぐに治ったそうです。

病気快癒の祈願だけでなく、戦前・戦中には武運長久をいのるための参拝者が跡を絶たなかったそうです。
現在は家内安全・交通安全・学業成就・商売繁盛まで、幅広い願い事にご利益があるようです。
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2013年08月22日

旧伊敷兵営周辺をぶらぶら

伊敷は農村集落であったためか、城下絵図や戦前の市街地図などのような古い地図は見当たりません。
鹿児島城下絵図散歩をみても、村全域の簡単な地図が掲載されているだけです。
また、明治以降の地図をみても伊敷兵営が大きく描かれているか、村境が記入されているだけです。
そのなかで、明治30年のものが他の地図より詳細に描かれているため、掲載してみました。

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■ 伊敷、地名の由来
伊敷は早くから開けた所だったらしく、貞観2年(860)、「正六位上伊爾色(いにしき)神を従五位下に昇し給う」と日本三代実録に記載されています。
伊爾色神は今の伊邇色神社のことで、伊敷という地名の由来も、伊爾色が転訛したものと言われることが多いようです。

三国名勝図会によると、伊爾色神は下伊敷の「年の宮」と呼ばれており、他に一敷・居敷・印敷など似たような地名も多いことから、転訛したとする説に懐疑的なものもあります。
伊敷地名の由来については、ハッキリしていないようです。
ただ、伊敷周辺は早くから人々が住み、農耕が行われた所であったようです。

すこし時代が下って、安和2(969)年に伴兼行が鹿児島郡神食(かんじき・かむしき)村に来て、伴掾館(ばんのたて)を建てて住んだという記述があります。
伴掾館が何処にあったかというと、三国名勝図会に「妙谷寺」の裏山の山の上に描かれています。

妙谷寺は、現在の伊敷病院一帯にあったようで、周辺を「門前」という地名が残っているようです。
この地名は、妙谷寺の門前という意味のようです。

■ 伊敷兵営と練兵場
玉里別邸の下から山崎川の辺りまでのとてつもなく広い敷地に、練兵場と兵営がありました。
兵営跡には、玉江小学校、県立短大、国家公務員宿舎などが建っています。
県立短大の正門は、兵営の衛門を転用したものだそうです。

戦前の市電伊敷線は、衛門前に「伊敷兵営前電停」があって、ここが終点でありました。
終戦後、「伊敷電停」と改称されましたが、伊敷線が延長されたことで昭和37年に「玉江小学校前電停」となりました。

旧練兵場は、玉里自動車学校や旧鹿児島西高校、伊敷中学校などに変わりました。


■ 日当平
下伊敷交差点から東へ進むと「日当平」で、終戦まで歩兵四十五連隊の射撃場があったようです。
実弾射撃用の高い土手が数ヶ所あり、「射的場(しゃてっば)」と呼んでいました。
ここの兵隊さんたちは、吉野の演習場に行くために日当平を通っていました。
隊列からは、汗と牛皮の臭い、硝煙など臭いが混ざった独特の臭いをさせていたそうです。

終戦後、射撃場跡に市営住宅ができ、市営バスが開通して便利になると、周辺の山を切り開いて団地造成が始まりました。
さつま団地は、昭和41年着工。
玉里団地は、昭和45年着工。
若葉台は、昭和49年着工。
伊敷ニュータウンは、昭和61年着工。

■ 残念山
『鹿児島開発事業団史二十八年の歩み』という本に、玉里団地着工にまつわるこぼれ話が掲載されていました。

夏の暑い日、姶良郡から来ていた中年の男性作業員が、地元で「残念山」と呼ばれる山中に竹を切りに行きました。
間もなくすると、その作業員、顔は蒼ざめよろめきながら竹やぶから出てきたそうです。
しかも、ガタガタ震えていました。

その作業員によると、「山中で人の形をした白いものが立っていた」ということでした。
山の近くには、旧歩兵四十五連隊の練兵場跡、傷病兵を収容した病院跡などがありました。

「猛訓練に耐えかねて、山中で自殺した兵隊がいたのではないか」という噂まで出る有様でした。
その作業員は怖がって、翌日から仕事に出てこなくなったそうです。

■ 県民総合保健センター
下伊敷交差点を国道3号線沿いに、北上すると右手に「県民総合保険センター」が出てきます。
戦前、ここには『鹿児島陸軍衛戌病院(鹿児島陸軍病院)」がありました。

鹿児島陸軍衛戌病院は、明治34年4月に建てられました。
昭和11年11月、鹿児島陸軍病院と名前を変えました。

終戦後の昭和20年12月、厚生省に移管されると同時に、国立鹿児島病院となりました。
昭和28年から10年間、国立療養所鹿児島病院となっていましたが、昭和38年4月国立鹿児島病院となりました。

のちに国立病院統合によって、国立鹿児島病院は廃止され、鶴丸城御厩跡に「国立南九州中央病院」ができました。
国立南九州中央病院は、その後、独立行政法人国立病院機構鹿児島医療センターへと改称されました。






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2013年08月19日

伊敷地区のおいたち

■ 伊敷村から伊敷町へ
藩政時代、鹿児島城下に近かった伊敷地区は、寛政年間(1789〜1800)の頃、「近在」と呼ばれ藩の直轄地となっていました。
宝暦年間(1751〜1763)の頃、上伊敷・下伊敷の二村に分かれました。
上伊敷・下伊敷の二村は、明治22年(1889)まで続きます。

明治22年になると市町村制が施行され、上伊敷村・下伊敷村・犬迫村・小山田村・比志島村・永吉村を併せて伊敷村となりました。
明治4年に下伊敷村は、草牟田村を合併しました。
また永吉村も同じ年に原良を合併していたので、当時の原良・草牟田から北の方はすべて伊敷村でありました。

明治44年には草牟田と永吉、玉里が鹿児島市に編入されました。
時代はくだり昭和9年には、中郡宇村と西武田村、吉野村が鹿児島市に合併されました。
そうして昭和25年10月1日、伊敷村と東桜島村が鹿児島市に合併されました。
伊敷村は、伊敷町となりました。

この合併によって、人口22万5千人、戸数5万5千戸となりました。
『鹿児島市政だより』昭和25年10月20日号では、一面で二村の合併記事を掲載しています。
伊敷・東桜島両村の編入は、10月1日に中央公民館で記念行事が盛大に行われたそうです。
伊敷村と東桜島村では、合併委員会だけでなく世論の要望も強かったらしく、急速に具体化し合併に至ったようです。
伊敷村ではは昭和16、17年頃には全村挙げて市編入の署名運動が行われていたほどであったそうです。

この市政だよりでは、伊敷小学校と改新小学校生徒の合併に関する作文を掲載しています。
当時の子供たちが、村が鹿児島市になることへの期待と希望を感じることのできる作文になっています。

「伊敷村から鹿児島市へ、急に明るい都会になったようだ。大きな希望の喜びが、みんなの胸にもえている。市になったら、僕たちの所にも、やがては電車やバスが来るだろう。まるで地ごくの道のような、土とほこりの伊敷街道も、今にきっとよくなる時が来るにちがいない。(以下省略)」

「旗行列の人の波、ずっーと並んだ大道路。みんなにこにこうれしそう。今日の私は気も軽い。
ごーっと走る花電車、乗ってる人が手をふって祝ってくれた天文館、ここも私の町なのだ。
ポンと上がった旗花火、ふと振り向けば桜島。旗の向こうにどっしりと、にっこり笑って座ってた。」

次回から下伊敷村を歩いてみます。







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