2013年08月17日

玉里庭園から伊敷方面へ

玉里庭園を後にして、玉江橋東口交差点の方に向かいます。
右手に、国家公務員合同宿舎や市営下伊敷団地などが見えてきます。
終戦まで、ここには陸軍歩兵第45連隊の広大な敷地の練兵場がありました。

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練兵場につづいて、山崎川のほんの近くまで兵営もありました。
現在の下伊敷1丁目の大部分が、45連隊に関する敷地であったようです。

歩兵第45連隊は、明治29年(1896)に創設され、同30年3月に新築の伊敷兵営に移ってきました。
広大な敷地のため、地元農民は田畑を手放すことになりましたが、お国のためということで協力したそうです。

45連隊は、日本一強いといわれた熊本第6師団に所属していました。
この連隊は日露戦争や満州事変後の熱河作戦、長城作戦などに従軍し、最後はソロモン諸島のブーゲンビルでありました。
この島での戦闘は、1943年から終戦の1945年まで続きました。

■ ブーゲンビル島
もともとブーゲンビル島は、オーストラリアの委任統治領でありましたが、日本軍は米豪遮断作戦の一環としてソロモン諸島の一部であるこの島を占領し、飛行場建設を開始しました。
ガダルカナル島の戦いが始まると、ラバウルからガダルカナル島を攻撃するための中間基地として重視されて飛行場建設が急がれ、北端に付属するブカ島と南端のブインに飛行場が完成した。
このほか東岸のキエタにも小規模な飛行場が整備された。


ルンガ泊地を出撃した米上陸部隊の主力である第3海兵師団は11月1日、ブーゲンビル島西岸のタロキナ岬に上陸を開始しました。
守備する歩兵第23連隊堀之内中隊を全滅させたアメリカ軍は、橋頭堡の建設を開始しました。

この戦場でもニューギニア島やガダルカナル島と同様、弾薬や食料の補給を行うことが出来ませんでした。
出来なかったというより、行わなかったと言ったほうが良いかもしれません。
NHKスペシャル『玉砕』という番組で、海軍上層部に物資補給よりも戦争遂行が優先し、部隊が作戦から切り捨てられていったことが描かれています。
NHK鹿児島放送局の一階にて、視聴できるかとおもいますので、機会があればご覧になってみてください。

ガダルカナル島が「餓島(餓死の島」と呼ばれるのに対して、ブーゲンビル島は「墓島」と呼ばれることになります。

■ 歩兵第145連隊
歩兵第46師団の歩兵連隊のひとつとして、1943年5月、鹿児島で編成され歩兵第145連隊の連隊旗が下賜されました。
46師団はジャワ方面へ向けられましたが、145連隊はサイパンに行くことになりました。
サイパンの戦況悪化のため、硫黄島に変更され1944年7月に上陸しました。

硫黄島では、第109師団長の栗林中将の指揮下に入りました。
栗林中将は、映画『硫黄島からの手紙』で渡辺謙が演じた人物です。

歩兵第145連隊は佐賀・鹿児島編成の現役歩兵部隊で、出身地は大部分が鹿児島県であった。
総員2,727名、戦死2,565名、生還162名である。
NHKの『戦争証言アーカイブス」で、「硫黄島の戦い・鹿児島」で視聴できます。
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210044_00000

証言者が「腕がしっちぎれっせー」と鹿児島弁で話していますので、一度ご覧になってみてください。






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2013年08月15日

鹿児島地名の話 その2

前回、地名の話で、迫や宇都、久保などについて書いてみました。
今回まで、小字地図などでよく目にする地名を挙げてみます。

■ ダン
「段」と書かれていることが多いようです。
「段」は、火山灰が降り積もってできた高い台地の平面を意味していると言われています。
また、その周辺は水に浸食されたシラスの崖になっていることが多かったようです。

旧大根占町に「段」という地名のところがあり、むかし、平家の落人が壇ノ浦から落ちてきて、住み着いたから名付けられたと言われていたそうです。
「段」はやはり、高い台地上の地形から名付けられたと思われます。


■ ヲ(尾)
「ヲ(尾)」は、同じくらいの高さの山の頂が長く続いて、動物の尻尾のように伸びているものを言うようです。
例として、長尾・登尾・折尾・尾廻・尾曲・尾下など。

これらの地名の「尾」は、山の尾を表しているようです。
尾曲は、尾が曲がった場所の名前で、折尾もそれに近いと思われます。
また、「尾下」は山から平地に下っていることから、名付けられたもののようです。


■ ツル
「ツル」も、小字地図などでよく目にする地名です。
「鶴」や「津留」、「水流」などの文字で書かれています。

「ツル」は、川のほとりに堆積して出来た土地を表しているようです。
大水で流されてしまうこともありますが、土も肥え、水の利もあるため耕作地として適した所であったようです。

「鶴」という文字をあてている所もありますが、これは当て字のようです。
川のほとりに堆積して出来た土地である、「ツル」の意味を忘れてしまったためと言われています。


■ コウチ(コチ)
「コウチ(コチ)」は、川を取り囲んだ土地をいう地名を言うようです。
「ツル」が川のすぐ傍を言うのに対して、「コウチ」は川を囲む谷のなだれも含めた広い一帯を意味しているようです。

「川内」や「河内」と書いて「カワウチ」から「コウチ」、「コチ」と変化していったもののようです。
集落の名前に、荒川内・牛川内・観音川内・大川内など多くの川内があるのは、人が住むのに適した場所であったためのようです。

薩摩川内市の川内は、「センダイ」と呼んでいますが、古くは「コウチ」と呼ばれていたようです。
川内川の広い一帯は、大きな「コウチ」であったようです。


■ ヤチ
旧宮之城町に、「屋地」という地名があります。
屋地は、低湿地を意味しているようです。

「ヤチ」に似た地名で、「ムタ(牟田)」というものがあります。
「ムタ」は、”泥”を意味しているそうです。
旧祁答院町の藺牟田池のように、泥地を「ムタ」というのだそうです。


地名については、まだまだあるのですが、追々ふれて行きたいと思っています。
地図などによく出て来る地名について、少しだけ触れてみました。
地名の解釈については、研究者によって違いがあり、断定できるものではないようです。
ここでは、雑駁に記述してみました。
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2013年08月13日

地名の話し

各地の郷土史に、小字を記載した地図が掲載されているかと思います。
地名に関する資料などによると、地名にはその土地の特徴を示しているものが多いそうです。
宅地の造成や言葉の変化などによって、小字などの地名が無くなったり、言葉の意味が分からなくなってしまったものがあるようです。
今回は小字地図や古い文献などに、よく出て来る地名について調べてみました。

■ 迫(さこ)
鹿児島市常磐町や原良町の小字に、「迫」の付いた地名があります。
枯木迫、楠迫、新迫、三之迫、二之迫など。

「迫」は両側に山が迫り、その間にできた狭い平地のことを指しているようです。
イメージとしては、谷よりやや広く、切り拓いて狭い田にできるほどの土地でありました。
古い田の多くが、「迫」を利用して作られたとも言われています。


■ クボ
久保や窪と記述されていることが多いようです。
「クボ」は窪む、窪めるなどのイメージからすると、「周囲から窪んだ凹形の場所」で、広く浅く窪んだ土地のことをいうようです。

クボは、丸みをおびた低地が多いため、田や畑を作るのに適していたと考えられています。
人が山の中に住みつく場合に、利用された土地であったようです。


■ ウト
ウトは、「宇都」と書く場合が多いようです。
他に宇土・宇戸・大戸・鵜戸など色々あるようですが、土地の特徴は同じもののようです。

「ウト」と呼ばれる所は、「土地が深く窪んでいる場所」を言うようです。
「クボ」が広く浅く窪んだ土地であるのに対し、「ウト」は狭く深く落ち込んでいることが特徴のようです。

前回まで、草牟田周辺を歩いてみましたが、ここにも宇都と呼ばれる地名があります。
萬助ヶ宇都・後ヶ宇都・堤宇都・夏蔭宇都・宇都など。

ちなみに「鍋ヶ宇都」というのは、鍋底形に落ち込んだ地名をいうそうです。
また土地が落ち込むのは、下の方ばかりでなく、洞穴のように横にえぐられたものも「ウト」であるようです。
鵜戸神宮の「ウト」が、それに当たるそうです。


■ セト
瀬戸と書かれたものが多いようです。
ほかに、瀬戸口・瀬戸山などの地名も小字地図などでよく目にします。

「セト」は、両側が切り立った崖に挟まれた狭い土地を言うようです。
辞書には「狭い海峡」として記述されているます。
もともと、間に海が入っていようと、土地が挟まっていようと、両方から迫っている所を「セト」と呼んでいたようです。

長島町の「黒ノ瀬戸」は、中に海が挟まっているものです。
塞ン瀬戸(サヤンセト)は、セトを道が通っている所なので、塞の神(さいのかみ)という道の神を祀ってあることから名付けられてようです。

また瀬戸は人工的に作ることができ、山を切り拓き道を造るときは「瀬戸」ができます。
瀬戸口、瀬戸山などは、人工的に作られた瀬戸であるようです。
これらの名前がついた集落は、山を背にした古いところが多いようです。


■ ヒラ
「平」または「比良」など、書かれることが多いようです。
「ヒラ」は屋根のヒラと同様、「傾いている平面のことで、坂に近い傾いた地形」を言うようです。

「平田」は、山の傾斜面に作った田のことを指すようです。
また指宿市の「鬼門平」は、岩が垂直に切り立っていますが、その反対側は傾斜面になっています。
それで地名に、平の名がつけられているようです。

※今回は、大雑把にいくつかの地名について書いてみました。
詳しく知りたい方は、『地名が語る鹿児島の歴史』や『南日本の地名』(小川亥三郎著)など「地名」に関する書物をご覧になってみてください。




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