昭和史に関する書物に目を通していると、違和感をおぼえ始めた。
太平洋戦争は、いつ終わったのだろうか?
8月15日 昭和天皇の玉音放送がラジオから流れる。
8月19日 降伏条件受取の使者を乗せた緑十字機が、木更津飛行場を出発。沖縄県の伊江島で米軍機に乗り換え、夕方にマニラに到着。
8月20日 連合軍最高指揮官要求第二号を交付。マニラを出発し伊江島に到着。
8月21日 東京に到着
9月2日 ミズーリ艦上で降伏文書調印式
京都大学名誉教授・佐藤卓己先生の論考が参考になった。2024年7月27日付朝日新聞である。先生は述べる。
1945年8月15日に終わった戦争は存在しないからです。
『終戦』は相手国のある外交事項です。降伏文書に調印した9月2日が国際法上の終戦日であり、翌3日をロシアも中国も対日戦勝日としています。交戦国ではなく、あくまでも『臣民』に向けた『玉音放送』があった日を節目としていること自体、極めて内向きの論理に基づいています。

『昭和日本史〈8〉終戦の秘録 (1978年)』に、元外交官の加瀬俊一さんが著した「ミズリイ艦上の降伏文書調印」と題する文書が掲載されている。同氏は、外務大臣重光葵とともに調印式に立ち会っている。式典にむかう心情をつづっている。
いまでこそ実感は湧かぬが、われわれ一行は、あるいは生きて帰れまい、という気持ちだったし、見送る人々も同じ思いだった。なにしろ、八月十五日の終戦決定から、まだ日が浅く、意気盛んな少壮軍人のなかには、なお抗戦を叫ぶ者もあったから、一行が途中で襲撃を受けることも十分にあり得ると考えられた。
8月15日は日本政府が終戦を決定した日であったと、外交官は記す。終戦を決め、日本臣民に広く知らしめたのが8月15日だったと言ってよいかもしれない。佐藤先生が述べるように、「内向き論理」に基づいているようだ。
先生は、内向きの論理がもたらす弊害について述べる。
8・15終戦記念日は、周辺国との歴史的対話を困難にしてきました。いくら私たちが平和憲法にコミットする姿勢を示しても、その前提となる内向きの『あしき戦前』と『良き戦後』の断絶史観は外国と共有されていない。他者に開かれていない空間で、いくら自己反省を繰り返しても、対話なきゲームです。
歴史戦や情報戦という不穏な言葉を使うのは適切ではないでしょうが、私たち自身が内向きな『記憶の55年体制』に閉じこもっている限り、こうした他国の歴史利用に対峙できません。
新聞紙上で、戦闘のつづく地域の記事に目を通していると「プロパガンダ」や「情報戦」といった言葉が目につく。しっかり反論するために、しっかりしたデータや記録を示すほかない。第二次大戦中の日本側の公的記録は、数が少ない。終戦前後に文書を焼却したといわれる。
当時の記録が少ないことが、情報戦にしっかり対応できていない要因のひとつかもしれない。また、歴史修正主義に対しても同様である。
先の戦争が終わった日は、いつだろうか?
筆者の場合、長く刷り込まれた影響だろう。終戦日は、昭和20年8月15日の意識が強い。9月2日の降伏調印式が頭にあっても。
先の戦争が終わった日はいつか? 考え直して良い時機かもしれない。
■参考文献
「戦争認識 抜け落ちたもの」(2024年7月27日付朝日新聞・耕論)
『昭和日本史8 終戦の秘録』(暁教育図書・昭和51年)