2025年04月17日

記憶にまつわるバイアス

 私たちの記憶は、非常にあいまいである。

大図鑑シリーズ バイアス大図鑑 (Newton大図鑑シリーズ) - 池田まさみ, 高比良美詠子, 森 津太子, 宮本康司
大図鑑シリーズ バイアス大図鑑 (Newton大図鑑シリーズ) - 池田まさみ, 高比良美詠子, 森 津太子, 宮本康司

『Newton バイアス大図鑑』が記す。
記憶にまつわるバイアスに、「事後情報効果」と「虚記憶」があるそうだ。

事後情報効果
 人間の記憶は、後から入ってきた情報によって変化する。
 質問の仕方によって記憶が変わってしまう。
 事件発生から時間が経つと、捜査が難しくなるのは記憶が薄れるだけでなく、事後情報効果の影響が出てくるため。

虚記憶(偽りの記憶)
 人間は経験していないことを、まるで経験したかのように思い出す可能性がある。
 たとえば、刑事事件で犯人でないにも拘わらず「自分が犯人かもしれない」と考えて、罪を認めてしまう「虚偽自白」が起こることがある。
これは、取調官が事件のストーリーを何回も話すことで、聞かされた人のなかで、偽りの記憶がつくられてしまう。

 「事後情報効果」と「虚記憶」を読んでいるうちに、空襲体験談をおもった。
鹿児島県内の体験談に接していると、「?」と違和感をおぼえる瞬間がある。
たとえば、旧国分市で昭和19年夏ごろ、1機のグラマンから機銃掃射に遭ったとする体験談を目にしたことがある。

 困りました。
事実とするなら、鹿児島県の初空襲の記述を変えなければならない。
薩摩半島と大隅半島にあった航空基地に対する初めての空襲は、昭和20年3月18日。
筆者はこの体験談を評価できないため、保留にしている。
おそらく、その他の空襲体験の記憶と混同しているのだろう。
なにせ、終戦から数十年経ってからの聞き取りのため、記憶が曖昧になるのも無理はない。

 貴重な証言もある。
南日本新聞で連載中の「語り継ぐ戦争」に、阿久根市在住の方が語る体験談は貴重である。
昭和20年5月13日に、阿久根町(当時の町名)で列車に対する機銃掃射を目撃。自身の足を機銃掃射で負傷したとする体験談である。

 「昭和20年5月13日」と「出水航空基地」に念頭に置くと、この体験談は貴重である。
これまで採録された体験談を検証し、評価する必要があると思う。

新聞記事の戦争体験談に目を通していると、話者の話をそのまま掲載している。それもひとつのやり方であろう。なかには違和感をおぼえる話もある。
体験談とともに、裏づけ資料や背景なども記す必要があるのでは、と感じている。

また、人間は無意識のうちに、「記憶のバイアス」の影響を受けていることも頭に入れておく必要があるように思う。
80年も前の体験を聞き取る作業は、簡単なものではない。

参考文献
『バイアス大図鑑』(Newton・大図鑑シリーズ・2024年)
posted by 山川かんきつ at 08:34| Comment(0) | 鹿児島と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月12日

宝の持ち腐れ

 先日、鹿児島県の空襲を研究されているK氏と話をする機会があった。
メディアが鹿児島の空襲を報道する際、体験談をそのまま伝えていること。鹿児島市は、戦時中の資料を収集しているが、倉庫に眠らせたままになっていること。
などなど、話題になった。
話をしているうちに、南日本新聞の記事を思い出した。
令和3(2021)年6月17日付、「記憶つなぐ鹿児島大空襲76年 実態即した把握急務」。

 記事は述べる。
 戦災復興誌は発行から約40年がたつ。内容の更新を求める声もあるが、鹿児島市には現在、先の戦争について関連する記録や記憶を検証し、周知広報するような専門の部署や施設がない。
 平和関連事業は各課にまたがり、「戦災と復興資料・写真展」をはじめとして、各種の取り組みは前年踏襲になりがちだ。


 市総務課は「戦争の記憶を周知・継承していくことの重要性は十分認識している。関係課とも連携し、変えていける部分は取り組んでいきたい」とする。

 官僚的な当たり障りのない答弁である。
この記事から4年が経つ。その後、どうなったのか記者さんは継続取材すべきと考える。
また、鹿児島市長にも取材を申し込まれたらいかがだろう。

 その記事に、写真が掲載されている。説明文は言う。
鹿児島市が収集する戦災資料。戦争関連の資料を扱う施設がなく、市立美術館に収蔵している」と、説明されている。

 写真をみると、職員が一枚の写真を手にしている。見覚えのある構図である。
記事をスキャンして、写真を拡大してみる。昨年、K氏さんから頂戴した写真と同じである。

 昭和20年8月6日に発生した「谷山空襲」の写真である。谷山国民学校と思われる上空をB25爆撃機ミッチェル4機とP51戦闘機ムスタング1機をとらえている。
貴重な写真である。

K氏によると、昨年、谷山空襲の写真を鹿児島市に寄贈したらしい。やはり、鹿児島市立美術館の倉庫行きだったろうか。
 『鹿児島市史第2巻』と『鹿児島市戦災復興誌』に記載された空襲の記事を、筆者は信用していない。根拠とした資料に疑義があるためである。死傷者の数だけは、取りあえず受け入れている。

 戦争体験者から話を伺う機会は、ほんの僅かであろう。これまで記録された体験談を、一次資料と擦り合わせながら検証する時期になっているだろう。
個人的な見解になる。鹿児島市の空襲は、一から書き直す必要がある。


関連記事
谷山空襲の写真
 http://burakago.seesaa.net/article/503200870.html

参考資料
「記憶つなぐ鹿児島大空襲76年 実態即した把握急務」
令和3(2021)年6月17日付南日本新聞
posted by 山川かんきつ at 21:19| Comment(0) | 鹿児島と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月30日

鹿屋市街地は盆地で・・・

「空襲・戦災・戦争遺跡を考える九州・山口地区交流会」についてネットで検索していると、南九州新聞の記事がヒットした。
2023年11月25から26日にかけて、鹿屋市で同交流会が行われたそうだ。

慶應大学教授の安藤広道さんをはじめ、工藤洋三先生、八巻さん、織田さんなどそうそうたる研究者たちの発表があった。

 記事に目を通しながら、ひとつ思うところがあった。
「なぜ鹿屋市街地が空襲に遭わなかったのか? 基地を占領したあとに市街地を接収する予定で空襲を避けたという見解もある」

 鹿屋市の戦争体験談に目を通している際に、読んだおぼえがある。
戦時中から終戦後にかけて、正確な情報を得られない状態が続いただろう。鹿屋市の人々が疑問に思ったことが、風説となったのだろうと考えた。
交流会の質疑応答で、このことが取り上げられた。

「市街地は盆地になっていて、地形的に攻撃するには難しい場所でもあり、低空飛行をすると基地周辺の高射砲等に狙われる危険性もあり、周辺の爆撃となったのでは」との回答があったそうだ。

 記事を読み進めるうちに、米軍資料の記述を思い出した。1945年5月15日の日付が入った資料である。文書は、こう記す。

Due to the nature of the terrain, the airfield of southern KYUSHU, in general, are found in the regions. Notable exceptions occur in the vicinity of KANOYA and MIYAKONOJO.

 直訳してみる。
 南九州の飛行場は地形の性質上、概して沿岸地帯に見られる。鹿屋と都城の近郊で、注目すべき例外を見いだせる。

 同文書は、米軍設定の南九州に飛行場を22ヶ所見いだしている。

sothern kyushu AF table1.jpg

「SAKITA ASS(崎田水上基地)は、補助的な基地にして限定的適用のため、本文では21ヶ所としている。
これらの飛行場のうち、鹿屋航空基地は最も重要な攻撃目標と定めていたようである。
米軍文書はつづける。

The KANOYA airfield, target of recent carrier and B-29 raids, is the most important field in southern KYUSHU.

直訳する。
 艦載機とB29の最近の空爆目標である鹿屋飛行場は、南九州で最も重要な飛行場である。

 文書は、鹿屋航空基地に隣接する工場についても記す。

Situated at the airfield is the 22nd Naval Air Depot which provides extensive aircraft maintenance, repair, and possibly production facilities.

 航空機の整備や修理、生産など広範囲に提供する第22海軍航空廠が、鹿屋飛行場にある。

 同文書に目を通しつつ、米軍の分析力に驚かされる。気づいたことがある。
米軍は公開情報や捕虜の情報、偵察写真などを総合的に分析しながら各施設を特定しているようだ。
最近、新聞紙上で目にする情報分析のひとつ、「OSINT」を活用していたと思われる。
同文書の各所で、分析力のすごさを痛感する。
やはり、米軍やUSSBSなどの文書は、第一級資料である。


参考文献
「鹿屋市街地は盆地であり地形的に攻撃するには難しい場所」 2023年12月1日付南九州新聞
posted by 山川かんきつ at 00:13| Comment(0) | 鹿児島と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする