清澤の論考は、アメリカ戦略爆撃調査団資料と相性が良い。また、鶴見俊輔や司馬遼太郎の論考などとも繋がる。
それだけでなく、清沢の指摘は現代にも通じるところがある。やはり、戦前・戦中と戦後は変わらぬ点が多々あるのかもしれない。
前回にひきつづき、清澤が昭和10(1935)年に著した「教育の国有化」をとり上げる。当時の雰囲気をうかがえる内容にして、現代にも通じそうな内容である。今回は、2つに絞って記す。

暗黒日記: 1942-1945 (岩波文庫 青 178-1) - 清沢 洌, 山本 義彦
■注入主義教育の結実
近頃どこに行っても、一番目につく現象は国家と社会を憂うる人士が非常に多くなったことだ。こんな人がと思う人まで口を開くと、国家の前途を如何とか、社会の改革を断行せねばならぬとかいってまわっている。
昭和10年の大きな事件といえば、天皇機関説と国体明徴宣言。前年に陸軍パンフレットが発行され、すこしずつ国家主義へと舵を切り始めた頃だろう。巷では、不安をあおる言説が目につくようになったのであろう。
寺田寅彦が『天災と国防』(昭和9年)で、こう記す。

天災と国防 (講談社学術文庫 2057) - 寺田 寅彦
「非常時」というなんとなく不気味なしかしはっきりした意味のわかりにくい言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが、ただ近来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳(ようえい)していることは事実である。
清澤はある役人から聞いた話をつづる。数人の大学生が、その役人のもとに訪れたそうである。当時の大学生といえば、知識階級である。
役人が学生たちに訪問の趣旨を尋ねると、日米間の経済問題についてだった。
日米間の貿易は近頃、日本にとって非常に入超になっている。それが毎年毎年増加して行っているのだ。昭和七年の入超は六千五百万円ばかりであったのが、八年は二億三千万ばかり、昨年は実に三億四千万円にもなっているのだ。
「日本はアメリカからこんなに買越しになっています。一体、外務省などは何をしているんですか」と、その学生代表者は卓をたたいていうのである。
役人は学生たちに聞き返す。
「それならお聞きするが、アメリカから輸入する何を止(よ)したらいいというんですか」
アメリカから来るものは、綿花と鉄と油と機械だ。日本が産業的発展を期するために、その内のどれを排斥出来るのだ。
役人は学生たちに答える。
「僕も学生時代があった。だがわれらの学生時代は諸君のように、上すべりではなくて、今少し内容も研究しましたね」。
日米両国の貿易が、日本側の不利になっている。その事実に気がつく事は、テンで気がつかないものよりどれだけいいか分らない。しかし既にこの事に気がつく以上は、更にその内容がどうなっているかを研究して、その事実の上に立脚して、真面目な建設的対策を研究すべきはずである。その心構えが、現在の学生にあるだろうか。
清澤は、こう結論づける。
注入主義教育の果実は、一つの問題を概念的に受け入れて、かつてこれを掘り下げることをしないことだ。国を憂うることは結構だが、その内容の検討と、それから生まれる対案がない。
清澤の結論は、現代にも通じるように思う。表面だけを取り上げて、深掘りしない。報道でも見受けられる。そうなると、自分で資料に当たるほかない。ネット上の情報は玉石混淆と言われるが、つぶさに見ていくと、玉のようなサイトはゴロゴロしている。情報流通業のメディアは、こうしたサイトにも目を向けるべきだろう。
「日米両国の貿易が、日本側の不利になっている」。これと似た発言をされる次期大統領がおられる。「deal」がお得意のようだが、彼も表面だけ取り上げて深掘りしないタイプの人物かもしれない。
清澤は、この論考でもうひとつ指摘する。
■学問に対する尊敬の問題
学問に対する侮辱が近頃ほど甚だしい時代はない。かつて学問というものが、法外に尊重されたこともあった。その反動かもしれないが、しかし最近は何十年間、学者が研究した学説などというものも、酒屋や八百屋の小僧さんたちの侮言を買う材料にしかならない程度である。
清澤の言う「軽侮される学問」は、社会科学や人文科学を指すようである。原因についてこう指摘する。
@科学はその結果が実験によって直ちに明らかになるからである。これに対して、広い意味の社会科学は、その結果がなかなか明白にならい。
Aかれらといえども憲法の問題や、政治の問題や、国際関係の問題について、その知識において、何十年もそれだけを研究している人々に比し
て、自分が優っていると考えない。だがそれにかかわらず、その意見だけは自身が絶対に正しいと考えるのである。
「理高文低」は、現代だけでなく昭和初期にまで遡れそうだ。日本学術会議任命
問題も、こうした意識が根底にあるかもしれない。
清澤が指摘する「その意見だけは自身が絶対に正しいと考える」は、現代でも見受けられる。とくに、太平洋戦争開戦に関してそうした考えを述べるサイトを見かける。
そこには、納得できる客観性が乏しい。一次資料を用いた説明がない。
すくなくとも、『杉山メモ』くらいは引用しつつ論を進めて欲しい。
■参考文献
『清沢洌評論集』(清沢洌・岩波文庫・2014年)
『現代日本論』(清澤洌・千倉書房・昭和10年)
『天災と国防』(寺田寅彦・講談社学術文庫・2011年)