2025年10月13日

原爆投下後の廣島刑務所に関する報道

今月6日付南日本新聞で、「原爆投下後 広島刑務所記録」を読んだ。
1945年8月6日の原爆投下直後に、広島刑務所の受刑者たちが遺体の収容作業に従事したとする内容である。
2冊の文書が見つかった。『昭和五十年起 広刑開設100年記念事業 原爆投下前後の広刑記録綴』と『昭和四十年 原爆戦災記録綴 廣島刑務所』。

終戦から20年、30年経って作られた文書であるが、証言をもとにした内容は貴重である。同紙の記事で受刑者数と死傷者数を読んでいて、アメリカ戦略爆撃調査団文書を思い出した。
『㊙防第九一號 昭和二十年八月二十一日 廣島縣知事』である。

 同文書に、「四、刑務所囚人並ニ留置人ノ措置」と題する記述がある。
廣島空襲必至下市内警察署ニ於ケル留置人等ナク 廣島刑務所ニハ當時囚人六百名アリ
死者四二名 重傷一五二名 行衛不明一名ノ人的被害發生セルモ現在損壊建物ヲ修理シ収容ナシ居レリ。

 南日本新聞の記事によると、死者は職員5人と収容者12人。負傷者は職員100人と収容者500人とある。死傷者数に違いがある。
『㊙防第九一號 昭和二十年八月二十一日 廣島縣知事』は、昭和20年8月20日現在の状況を記す。
広島県知事から内務省防空総本部長官や中国地方総監などに宛てた文書。混乱のなかで急ぎ作成と思われる。そのため、同文書の数字は実際と異なっているかもしれない。

 今回発見された2冊の文書と㊙防第九一號の内容を検証する必要がある。少しずつ、被害の実態に迫れると思う。
また、これらの文書をどのように評価し、活用していくのか専門家の意見を聞きたい。

ちなみに、『㊙防第九一號 昭和二十年八月二十一日 廣島縣知事』は、アメリカ戦略爆撃調査団も入手して英訳されている。

Management of Prisoners and Persons In Custody.
At the time of the air attack on Hiroshima there were no persons in custody in the police stations within the city. However, there ware 600 prisoners in HIROSHIMA prison.
Of these 42 died, 152 were severely injured, and 1 missing. At the present time the damaged buildings have been repaired and prisoners are being admitted.

■参考文献
『㊙防第九一號 昭和二十年八月二十一日 廣島縣知事』(国立国会図書館デジタルコレクション)
「原爆投下後 広島刑務所記録」(2025年10月6日付南日本新聞)
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posted by 山川かんきつ at 10:52| Comment(0) | 各都市への空襲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月11日

記録の焼却 米国戦略爆撃調査団文書から

 アメリカ戦略爆撃調査団の文書「Summary Report」に、目を通している。

ussbs summary report1.jpg
 国会図書館デジタルコレクション

 日本語訳されているのだが、意味をつかめない文章もある。元軍人さんが訳出したらしく、表現が堅い。大きな要因は、筆者の読解力の無さである。
原文が手に入ったため、筆者が理解できるような文章で訳出してみた。

 「Summary Report」に目を通していると、訳出していない一文がある。
The Survey secured the principal surviving Japanese records and interrogated top Army and Navy officers, Government officials, industrialists, political leaders, and many hundreds of their subordinates throughout Japan.

 直訳してみる。
調査団は、現存する主要な日本側の記録を確保し、陸海軍高官、政府高官、実業家、政治指導者、およびその部下数百名を尋問した。

国立国会図書館のホームページに、同文書に関する記述がある。

陸軍省軍務局員の燃料担当者として、USSBS(米国戦略爆撃調査団)の調査に対応した高橋健夫は、その回想記で、敗戦時の資料焼却のため、記録が残っておらず、USBBSからの資料要求に対し、「多くの人たちから記憶による数字を出してもらい、いちおうの体裁を整えたがのが実情であった。そういうわけで、戦後に記録として残っている統計の多くは、この種類の作った資料なのだ」。

 資料の焼却は大きな罪であろう。米国戦略爆撃調査団文書を翻訳した『日本戦争経済の崩壊』でも、資料焼却を嘆いている。
また、統計の多くが体裁を整えたものとする点に及んでは、信頼に疑問符がつく。
また、歴史の隙間が生じる原因のひとつになる。
公式文書や行政文書などの管理と運用は、現代にも繋がる問題に映る。

 文書が無いこと、統計は体裁を整えたものに過ぎないこと。
これらの点は、従来の歴史観を変えようとする人たちにとって格好の的になりそうだ。

 USSBSは1945年9月から12月にかけて、日本各地を実地で調査している。鹿児島でも調査し、門鉄鹿児島管理部から書類を提出されている。同調査団が鹿児島市に来訪した記事が、鹿児島日報に小さく報じられている。
 米国調査団は、終戦後の早い段階で調査を行っている。同文書は、第一級の一次資料である。統計に問題があるとしても。

NHKドキュメント太平洋戦争
 米国戦略爆撃調査団の職員名に目を通していると、二人の名前に目がとまった。
 Paul H. Nitze(ポール・H・ニッチェ)。
『太平洋戦争日本の敗因 日米開戦勝算なし』に、ニッチェさんが登場する。

NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争
NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争

太平洋戦争 日本の敗因1 日米開戦 勝算なし (角川文庫 ん 3-12) - NHK取材班
太平洋戦争 日本の敗因1 日米開戦 勝算なし (角川文庫 ん 3-12) - NHK取材班

同書はNHKスペシャルを書籍化しているのだが、番組でニッチェ氏はインタビューに応えている。
ニッチェ氏は経済の専門家として、同調査団で分析に当たっている。今では、貴重なインタビュー記事である。

 もうひとり、注目した人物の名が記されている。J. Keneth Galbraith. (J・ケニス・ガルブレイス)である。やはり、経済学者。
どれくらい前になるだろうか。『不確実性の時代』がベストセラーだったと思う。
いちおう目を通している。はるかな昔のことだから、理解したか否かは分からない。
名前だけは記憶にあった。

 同調査団の「Summary Report」は、戦時期日本の流れを大雑把につかめる内容である。
また、同文書は客観性を重視し、主観を排した内容になっている。そのため、信用できる内容の文書と思う。
同文書は、最後にこう綴る。ただし、直訳である。

 民間人として、調査で収集した事実資料の分析と将来に関する一般的な評価を示すに過ぎない。

参考文献
『太平洋戦争日本の敗因 日米開戦勝算なし』(NHK取材班・角川文庫・平成11年)
posted by 山川かんきつ at 11:26| Comment(0) | 各都市への空襲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月04日

九州の主要港と工業地帯 1945年8月28日付文書から

「九州の主要港と工業地帯」で、1945年5月15日の日付が記された米軍文書を紹介した。「PRINCIPAL PORTS AND INDUSTRIAL AREAS KYUSHU, JAPAN」である。

 およそ3カ月後に作られた同じタイトルの文書があった。日付は1945年8月28日。
工業地帯の説明が、6カ所追加されている。

principal port and industrial area 19450826.jpg
 国立国会図書館デジタルコレクション


1.KARATSU(唐津)
  Among 6 Largest Machine Tool Plants in Japan.
  六大工作機械工場の一つ。

2.OMUTA(大牟田)
 @Largest high grade Zinc Plant in Japan.
  日本最大の高品位亜鉛工場

 A3rd Largest Alumina Producer in Japan; A Primary Producer of Dyestuffs.
  日本第3位のアルミナ生産。染料の一次生産者。

3.KOKURA(小倉)
  Rank 1st in Japan in Artillery Vehicles, Small Arms, Optical Instruments.
  砲兵車輛、小火器、光学機械で日本第一。

4.SAGANOSEKI(佐賀関・大分県)
  One of the Largest Copper and Lead Refineries in Japan.
  日本の銅と亜鉛の精錬所のひとつ。

5.NOBEOKA(延岡)
  Important Concentration of Explosives.
  爆薬の重要な集中地

6.MINAMATA(水俣)
  Largest Peacetime Producer of Nitric and Acetic Acid in Japan.
  平時日本で、窒素と酢酸最大の生産者

 米軍は、九州の工業地帯に関する知識を増やしている。公開情報や偵察、捕虜などの情報を元に、検証を重ねたのだろう。

 米軍は、九州各県の産業の集中度について、次のような評価をしている。

FUKUOKA PREFECTURE(High industrial concentration)
Pig iron and steel, coal and coke, petroleum, non-ferrous metals, chemicals, machinery, ordnance and ammunition, rubber products, cement, glass.
 福岡県(高度な産業集中地)
 銑鉄、鋼鉄、石炭、コークス、石油、非鉄金属、化学、機械、兵器及び弾薬、ゴム生産、セメント、ガラス

SAGA PREFECTURE(Low industrial concentration)
Coal, coke.
佐賀県(低い産業集中地)
石炭、コークス

NAGASAKI PREFECTURE (Moderately high industrial concentration)
Coal, coke, shipbuilding, railroad equipment, ordnance and ammunition.
長崎県(中程度の産業集中地)
 石炭、コークス、造船、鉄道車両、兵器及び弾薬。

KUMAMOTO PREFECTURE (Low industrial concentration)
Silk
熊本県(低い産業集中地)
 絹織物

OITA PREFECTURE (Low industrial concentration)
Non-ferrous metals, cement, glass.
大分県(低い産業集中地)
 非鉄金属、セメント、ガラス。

MIYAZAKI PREFECTURE (Low industrial concentration)
Chemicals
宮崎県(低い産業集中地)
 化学

KAGOSHIMA PREFECTURE (Low industrial concentration)
鹿児島県(低い産業集中地)

 重要な工業は、福岡県に集中していたらしい。同県と長崎県に思いを馳せると、軍の需要が地域経済を担っていたとする見方もできる。
大分県や宮崎県、佐賀県、鹿児島県は低い産業集中地と、米軍は評している。
鹿児島県以外は、非鉄金属や絹織物、化学などの産業名が記されている。

だが、鹿児島県は記述がない。
このことは、現代も変わらないと考えてもよさそうだ。
ただし、当時の米軍の評価である。
posted by 山川かんきつ at 08:54| Comment(0) | 各都市への空襲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする