2025年01月07日

終戦へ奔走2人の鹿児島人

 新聞に目を通していると、「戦後80年」と題する連載が始まっている。
こうした報道に対して、「周年期報道」と指摘もある。今年は節目の年で、戦争に関する報道や出版物を目にする機会が多くなると思われる。

 1月1日付南日本新聞の「終戦へ奔走 2人の鹿児島人」に目がとまった。東郷茂徳と迫水久常に関する記事。両者ともに終戦内閣時に、外務大臣と内閣書記官長にあった人物。
終戦工作にむけて、重要な役割を果たしたことは確かである。

 同紙の記事で気になる点がある。
タイトルの「終戦へ奔走 2人の鹿児島人」。もうひとつは、「薩摩人同士、命をかけた仕事ぶりをたたえている」である。
地元メディアが鹿児島県ゆかりの人物を紹介する際、かならず登場する言葉がある。「薩摩人」。

 こうした報道に接するたびに、違和感をおぼえる。歴史上の人物を語るのに、「薩摩人」や「鹿児島人」と称するのか理解が及ばない。他県の地方紙でも、このような表現をするのかどうか確かめたい気がする。

 同紙の記事で、志學館大学の茶谷誠一教授がインタビューに応えている。

 失敗を繰り返さないためにも、検証するばかりでなく、事実を検証し、教訓として学んでいくことが重要だ。

 茶谷先生、よくぞ述べて下さいました。感謝に堪えない。近現代史からどのような教訓を得るのか。戦前・戦中と戦後は地続きと考える筆者にとって、人物の顕彰は殆ど意味がない。歴史上の人物を顕彰する態度。そこに、どのような考えがあるか。一度、考える必要があると思う。

迫水久常
 同記事は、迫水久常にも触れている。終戦を担った鈴木貫太郎内閣で、内閣書記官長にあった人物である。同職は、事務方トップ。大物官僚である。
日本大学教授・古川隆久さんが、迫水についてこう指摘している。

 優秀な実務家ではあるが、本人が後年語るように終戦の主導的立場にあったとは言いがたい。
戦前の迫水は革新官僚として知られ、天皇支配の下での社会主義体制の実現を思想として持っていた。どちらかといえば戦争には積極的だった。迫水の回想は国会議員だった自身の選挙対策で語った部分もあった。その辺りは割り引いておく必要がある。


 古川先生が述べる「迫水の回想」は、『機関銃下の首相官邸』と思う。

機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで (ちくま学芸文庫 サ 27-1) - 迫水 久常
機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで (ちくま学芸文庫 サ 27-1) - 迫水 久常

同書は、オーラスヒストリー。目を通していると、すこしばかり違和感をおぼえる部分がある。
同先生がおっしゃるとおり。

 戦後80年ということで、さまざまなメディアが先の戦争を取り上げるだろう。
やっかいな時代の理解しにくい日本史である。人気がないのも頷ける。
近現代史の研究者は、一次資料を用いて実証的にアプローチされている。結果を追いかけるだけでなく、アプローチの仕方も学ぶといいかもしれない。

 同郷出身の先達を顕彰するのも良いが、時にはクールな歴史的評価も必要と思う。

参考文献
「終戦へ奔走 2人の鹿児島人」(2025年1月1日付南日本新聞)
『機関銃下の首相官邸』(迫水久常・ちくま学芸文庫・2011年)
posted by 山川かんきつ at 08:46| Comment(0) | 鹿児島と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月30日

子どもたちの問い

 新聞の投稿欄に目を通していると、子どもたちから教えられることが多い。純粋なだけに、鋭い問いと意見を述べている。
12月6日付南日本新聞の「ひろば」に、中学3年生の投稿に目がとまる。こうつづる。

 改憲、憲法9条、台湾有事、ロシア…。私たちに近づく戦争の足音。私はニュースで目に映る「戦争」という文字に恐怖を覚える。

 投稿は、こう結ばれる。

 思考を止めてはいけない。選挙へ向かう足をとめてはいけない。一人一人の思いで、戦争のない平和な未来を守ろう。

 戦争を身近に感じる子がいたことに、驚かされた。この子は、新聞やテレビなどの報道によく接しているかもしれない。この子なりに、理解しているようだ。
投稿文を読んでいて、すこし気になった点がある。
広島市と長崎市に投下された原爆を記すとともに、昭和20年6月17日の鹿児島大空襲についてふれていた。

 鹿児島市の空襲といえば、やはりこの日を指すのだろう。地元メディアやウエブ上でも、6月17日ばかり触れる。鹿児島市は8回の空襲を受けたと報ずるにもかかわらず、この日の爆撃のみである。それは何故だろう? 各メディアに尋ねてみたい。
これまでメディアが、戦争についてどのように報じてきたか、それと繋がる。

 昭和20年6月17日の空襲について、細かいことをふれる。
米軍資料によると、この日の空襲は6月17日から18日にかけて行われている。午後11時06分に初弾を投下。延々106分間にわたった空爆は、日付が変わっても続けられている。
対空砲火も烈しい所もあったようだ。
この日に投下された焼夷弾は3種類。爆撃高度は7000フィートから7800フィート。
空襲に関する報道に接していると、情緒に訴える記事が多い気がする。時には、冷静に分析した報道も必要と思う。

また、投稿主の通う学校区を考慮にいれると、鹿児島市小松原は飛行場に最適地と米軍は見ていたようです。「excellent」と評している。
当時、薩摩半島と大隅半島にあった航空基地について触れるつもりでいる。その際、再度触れることになると思う。

 鹿児島県と戦争を中心に調べる筆者にとって、昭和史に関心寄せる学生がいることに希望を感じる。筆者の周りにいる大人たちは、戦争のあった時代に関心がないようだ。彼らの歴史観をうかがっていると、「島津に暗君なし」と「維新の大業」が鹿児島県の歴史と考えている風がある。戦争のあった時代は、鹿児島県の歴史ではないといいたげである。

 それはなぜか? すこし考えてみる。
要因のひとつに、情報量の差があると思われる。藩政期から明治維新、西南戦争までは、二次史料は言うまでもなく、一次史料までそろっている。鹿児島県立図書館に行くと、一目瞭然である。
一方で、「十五年戦争」に関する書物は、圧倒的に少ない。また、地元メディアも島津氏と維新の志士たちに関する報道が目立つ。十五年戦争に接する機会が少ない。

筆者は、『鹿児島市史』と『鹿児島市戦災復興』に掲載されている空襲の記事について懐疑的だ。その内容が、米軍資料の記述と異なる。また、戦争体験談とも一部異なる。
こうしたことから、戦時中に関心を寄せる子どもたちに、しっかりした資料をもとにした空襲の記録を手渡したい、と思っている。


参考文献
「南日本新聞ひろば」2024年12月6日付
posted by 山川かんきつ at 15:49| Comment(0) | 鹿児島と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月27日

傍観と記録

 いつだって、ただ傍観し、人の痛苦を記録することしかできないことはつらいことだった。 写真家・ロバートキャパ

 今月22日付朝日新聞のコラム、天声人語でキャパの言葉が紹介されていた。
筆者が知るキャパの写真は、スペイン内戦をとらえた「崩れ落ちる兵士」とノルマンディ上陸作戦の2葉。いずれの写真も時代を記録した貴重な資料である。

 冒頭に記したキャパの言葉に、「傍観」と「記録」がある。同じことを書き残した日本人作家がいた。山田風太郎である。『戦中派不戦日記』の“あとがき”でこう記す。

新装版 戦中派不戦日記 (講談社文庫) - 山田風太郎
新装版 戦中派不戦日記 (講談社文庫) - 山田風太郎

 結局これはドラマの通行人どころか、「傍観者」の記録ではなかったかということであった。むろん国民のだれもが自由意志を以て傍観者であることを許されなかった時代に、私がそうであり得たのは、みずから選択したことではなく偶然の運命に違いないが、(途中省略)。
 それに「死にどき」の世代のくせに当時傍観者であり得たということは、或る意味で最劣等の若者であると烙印を押されたことでもあったのだ。


 風太郎は戦後と戦前・戦中を比較する。

 現在の自分を思うと、この日記中の自分は別人のごとくである。昭和二十年以前の「歳月と教育」の恐ろしさもさることながら、それ以後の「歳月と教育」の恐ろしさよ、日本人そのものがあの当時は今の日本人とは別の日本人であったのだ。


 戦後と戦前・戦中の日本人は別物と評する一方で、変わらない面も感じていたようだ。

 日本人もいまの日本人がほんとうの姿なのか。(途中省略)私も日本人も、過去、現在、未来、同じものであるまいか。げんに「傍観者」であった私にしても、現在のぬきがたい地上相への不信感は、天性があるにしても、この昭和二十年のショックで植えつけられたと感ずることが多大である。

 風太郎は、あとがきをこう結ぶ。

 人は変わらない。そして、おそらく人間の引き起こすことも。

 『戦中派不戦日記』は、山田風太郎が医学生時代に書いた日記である。23歳の青年が見聞きし、所感を記す。手を入れずに出版したそうだから、またとない一次資料である。
NHKスペシャル、新ドキュメント太平洋戦争は、庶民の日記をもとに製作されている。
子育て中の若い母親や商売主、工員など様々な人々の視点で描かれる。

 山田風太郎が『戦中派不戦日記』で記す。

 だから、あの戦争の、特に民衆側の真実の脈搏(みゃくはく)を伝えた記録が出来るだけ欲しい。

 鹿児島の空襲を調べていると痛感することがある。それは、当時県や市町村が作成したであろう記録が見当たらないということである。
終戦直後に、記録の焼却処分が命じられたようだが、それを命じた文書も見当たらない。
さまざまな研究者によって、記録の発掘があるだろう。かなりの時間がかかるだろう。

 鹿児島市の空襲にこだわっている。『鹿児島市史第2巻』と『鹿児島市戦災復興誌』が記す空襲の記述を鵜呑みにしてはいけない。記述された根拠に視点をおくと、戦後10年以上経って出版された個人の回想録に拠っている。そこに同時性がない。

別冊 バイアスの心理学 (Newton別冊) - ニュートンプレス
別冊 バイアスの心理学 (Newton別冊) - ニュートンプレス

 認知バイアスに、「事後情報効果」がある。2つの性質があるらしい。
@ 人間の記憶は、後から入ってきた情報に変化する。
A 質問の仕方によって記憶が変わってしまう。

 人間の認知機能に、こういった性質があることも考慮しつつ回想録や体験談などを読む必要があるようだ。


参考文献
「天声人語」2024年12月22日付朝日新聞
『戦中派不戦日記』(山田風太郎・講談社文庫・2019年)
『Newton別冊 バイアスの心理学「認知」のメカニズムと心のクセに迫る』(2023年)
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2024年12月21日

鹿児島検定

 先日、鹿児島市立図書館まで赴いた。書棚サーフィンをしていると、2冊の本に目がとまる。『かごしま検定鹿児島観光・文化検定 公式テキストブック』と『増補改訂版鹿児島観光・文化検定公式テキストブックかごしま検定』。

かごしま検定 過去の試験問題及び模範解答集 マスター(標準クラス)試験編 - 鹿児島商工会議所
かごしま検定 過去の試験問題及び模範解答集 マスター(標準クラス)試験編 - 鹿児島商工会議所


増補改訂版 かごしま検定―鹿児島観光・文化検定 公式テキストブック― - 原口 泉, 大木 公彦, 中村 聡志, 東川 隆太郎, 久本 勝紘, 藤田 聖二, 鹿児島商工会議所
増補改訂版 かごしま検定―鹿児島観光・文化検定 公式テキストブック― - 原口 泉, 大木 公彦, 中村 聡志, 東川 隆太郎, 久本 勝紘, 藤田 聖二, 鹿児島商工会議所


 島津氏の時代から西南戦争までの歴史に関心はない。明治時代以降のページをめくる。
「鹿児島大空襲と敗戦」に目を通したのだが、その内容に首をかしげた。
短い文章に鹿児島市の戦災について記している。実数制限があるなかで、かなり端折っているのは理解している。
そこで、何が分からないのか記してみる。両書の記述は、次のとおり。

 1944年にサイパンが陥落すると、鹿児島への爆撃が始まった。鹿児島市に限らず農山漁村部も攻撃にさらされた。1945年3月に郡元の海軍航空隊(旧・鹿児島空港)が爆撃を受け、6月17日の空襲では、110機以上のB29による波状攻撃で、2316名の市民が犠牲になった。7月には鹿児島駅付近を中心に攻撃を受けた。敗戦までに8回の空襲を受け、鹿児島市街地の93%を焼失した。

 まず1点目。
「サイパン陥落と鹿児島空襲の関係」である。サイパン島の戦闘は、1944年6月15日〜7月9日。本文に「鹿児島への爆撃」とあるが、「鹿児島県」と「鹿児島市」のどちらを指しているのか分からない。すぐ後に来る文章に、「鹿児島市に限らず」とあるから「鹿児島県」を指すのだろうと思われる。1944年10月10日の空襲が念頭にあるかもしれない。

 本文を読んでいると、サイパン陥落後すぐに鹿児島県への空襲が始まったようにとれる。
だが、薩摩半島と大隅半島にあった航空基地が初めて攻撃を受けるのは、1945年3月18日である。根拠は、米軍資料の『AIRCRAFT ACTION REPORT(艦載機戦闘報告書)や第五航空艦隊資料、鹿児島日報などである。
サイパン陥落と鹿児島の空襲との関係性について、今の筆者は答えを持たない。

 2点目。
「1945年3月に郡元の海軍航空隊(旧・鹿児島空港)が爆撃を受け」である。
「海軍航空隊(旧・鹿児島空港)」の記述がわからない。
鹿児島航空基地(旧・鹿児島空港)とあれば、理解できる。海軍航空隊が具体的に何を指すのだろうか。「鹿児島海軍航空隊」か「九州海軍航空隊」を指すと思われる。

鴨池小学校に「海軍航空隊鹿児島航空基地」と記された記念碑が建っている。以前から疑問を抱いているのだが、「海軍航空隊」はどういった意味であろうか。
終戦直後、この地に兵舎が残り教育施設や鹿児島市電の施設として使われている。その際も「海軍航空隊の建物」と、記されている。
つらつら考えるに、「海軍航空隊」とは「鹿児島海軍航空隊」と「九州海軍航空隊」を指していないようだ。
航空基地があったことから、すべてをひっくるめた呼称と筆者は考えている。

 3点目。
「敗戦までに8回の空襲を受け、鹿児島市街地の93%を焼失した」の記述である。

 鹿児島市の空襲は8回とされてきた。米軍資料やUSSBS資料、鹿児島日報などに目を通すと、少なくとも10回。おそらくそれ以上になると思われる。これから、実証されるだろう。

 もうひとつ。本文に「鹿児島市街地の93%を焼失」とある。
戦後につくられた戦災地図をみると、下荒田町や旧郡元町は戦災を免れた地区がある。
その辺りを考慮すると、93%の焼失はどうなのだろう。
93%は、測量をした結果の数字であろうか。ファクトチェックをかける必要がありそうだ。

 来年は終戦から80年経つ。
「しっかりした根拠」を示しながら、鹿児島県と戦争について見直す契機になればと思う。


参考文献
『かごしま検定鹿児島観光・文化検定 公式テキストブック』(鹿児島商工会議所・2012年 南方新社)

『増補改訂版鹿児島観光・文化検定公式テキストブックかごしま検定』(鹿児島商工会議所・南方新社・2015年)
posted by 山川かんきつ at 09:20| Comment(0) | 鹿児島と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月18日

うっちゃり

 秀才の予想を うっちゃる斎藤さん

 兵庫県知事選の結果は、記者さんたちにとって予想外だったらしい。選挙は11月17日に結果がでたのだが、ひと月以上経ったいまも報道される。
記者さんたのような秀才にとって、受け入れがたい選挙結果のようだ。
2024年11月19日付日経新聞社説に、そう思わせる記述がある。

 兵庫県知事選で前知事の斎藤元彦氏が動画配信を駆使し、再選を果たした。事前の予想を覆した異例の選挙戦は、SNS選挙の功罪を如実に突きつけた。

 各メディアが報ずる内容は、SNS動画に原因をもとめる。そこで語られる内容を鵜呑みする危うさを伝える。メディアは、これまでもSNS上に真偽不明の情報があふれる。だから、しっかりした取材をおこなった新聞を読むべきだとする趣旨の記事があふれる。
冷めた目で記事に接していると、新聞購読を勧めるセールストークのようにも感じる。
筆者の場合、違和感をおぼえる記事に出くわすとスルーしている。

朝日新聞(12月17日付)で、メディア史家の佐藤卓己さんがコメントを寄せる。

 今の状況は、SNSだけが原因ではない。感情や情動に左右される『ファスト政治』が加速し、政治家も有権者も忍耐を失ってきた。即断即決を避け、答えの出ないあいまいさに耐える力が求められている。

 ジャーナリストの金平茂紀さんが、朝日新聞の記事でこう述べている。
 「事実をとってくる作業は、そんな甘いものじゃない」

 佐藤先生や金平さんの意見に共感している。
筆者は、鹿児島県の空襲を追っている。金平さんの言葉そのものを体感している。米軍資料は豊富なのだが、被災した側の記録が見当たらない。資料を探し出すのに四苦八苦している状態である。
事実に迫ろうとすると、コスパを無視するほか無いように感じている。

うっちゃり
 「うっちゃり」は相撲用語。鹿児島市立図書館で、『相撲大辞典 第四版』に目をとおした。マニアックな1冊なり。

相撲大事典 第四版 - 金指基 原著, 公益財団法人日本相撲協会
相撲大事典 第四版 - 金指基 原著, 公益財団法人日本相撲協会

 決まり手八二手の一つ。相手に土俵際まで寄り詰められたときに、俵にかかとをかけてこらえながら腰を低く落とし、相手を自分の腹に乗せ、体を反らせながら左右いずれかにひねって相手を後方へ投げ落とす。

 「うっちゃり」の響きは、なんだか笑える。解説を読むと、大技のような気がしてくる。
同書は、この技について次のように結ぶ。

 土壇場で劣勢を逆転する技である。

 兵庫県知事選挙での斎藤さんに思いを馳せる。

ただいまの決まり手は、うっちゃり うっちゃって斎藤さんの勝ち」。

■参考文献
「民意のゆくえ」2024年12月17日付朝日新聞1面
「解答を推論する訓練を」(2024年12月15日付毎日新聞・時代の風)
「戦争をしないを続けるために 戦後80年」(2024年11月28日付毎日新聞)
「報道畑45年「事実」に切り込む」(2022年12月20日付朝日新聞)
posted by 山川かんきつ at 07:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月10日

国策スローガンが おもしろい

SNS上で、「ザイム真理教」なる言葉が流行っているらしい。
なんでも、消費税率を上げることに執着している政治家や財務省の思惑を揶揄する表現の由。

ザイム真理教 - 森永 卓郎
ザイム真理教 - 森永 卓郎

 この言葉、経済評論家の森永卓郎著『ザイム真理教 それは信者8000万人の巨大カルト』が源のようだ。また、財務省の公式X(ツイッター)に批判コメントが寄せられているそうだ。

 財務省といえば、消費税を上げるのに躍起といったイメージを受ける。批判的なコメントを送る気持ちは十分にわかる。消費税を上げる前に、所得税の累進税率の見直しなど考えるべきは他にもありそうなものを。また、税金の使われ方も見直さなくては。
ただでさえ、国民に負担を強いてばかりではないか・・・。そういう感情が渦巻く。

 先だって目を通した書物に、『黙つて働き 笑つて納税 戦時国策スローガン 傑作100選
黙つて働き 笑つて納税 戦時国策スローガン 傑作100選』を読んだ。おもしろかった。


黙って働き 笑って納税」は、昭和12年に登場したらしい。
他にも、「働いて耐えて笑って御奉公」(昭和16年)、「まだまだ足りない辛抱努力」(昭和16年)。
厚生労働省と財務省のエリート達は、今もこの考え方を持っているかもしれない。

 こんな標語もある。
足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」(昭和17年)
 これは、当時の国民に向けて発せられているのだが、財務省の人たちに届けたい標語だ。

 考えさせられた標語もあった。

国策に理屈は抜きだ実践だ」(昭和16年)

 川内原発再稼働や馬毛島などの新聞記事に目を通していると、まさに標語の通りである。
妙に納得した。

 同書に、思わず笑った標語があった。

早く見つけよ敵機とムシ歯」(昭和17年)

 文章を書く際、「並列」というのがある。この標語は、あえて崩している。作者に文章力とパロディさえも感じる。
 同書の作者も述べる。

 なんで虫歯なのか。(途中省略)「敵機」と「ムシ歯」を並べたところに作者の豊かな想像力を感じないではいられない。

 同書に掲載されている標語に目を通していくと、すべて国民に負担を強いるものばかりである。戦時中の標語が、そのまま現代に当てはまるのではないか。
国会で論戦が始まったらしい。これまでのように、チャチャと議論、サクッと採決という訳にいかない。「決められない政治」というフレーズが復活するかもしれないが・・・。


参考文献
『黙って働き 笑って納税 戦時国策スローガン傑作100選』(里中哲彦・現代書館・2013年)
『ザイム真理教 それは信者8000万人の巨大カルト』(森永卓郎・三語館シンシャ・2023年)
posted by 山川かんきつ at 23:22| Comment(0) | 市井だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月04日

エコーチェンバー

 兵庫県知事選挙結果は、マスコミにとって想定外だったらしい。新聞やテレビなどで、さかんに報道されている。「SNS選挙」と題して、マスコミはネット情報の功罪を報じる。

 出口調査によると、SNSを主な情報源とする若い世代が斎藤氏を支持。投票率が大幅に上がった。投票率の向上と番狂わせの投票結果は、注目すべきだろう。若い世代が選挙に参加すれば、従来と異なる結果が出るのがわかった。

 報道に接していると、SNS上の情報の接し方に問題があるらしい。日本経済新聞社説「SNS選挙の功罪突きつけた兵庫知事選」は、こう述べる。

 SNSの情報はアルゴリズムの性格上、自分の好みに偏りやすく、偽情報対策が一層重要になる。

 「フィルターバブル(filter bubble)」を述べているようだ。筆者は同じ内容の情報ばかり接していると、飽きてしまう。他の意見や考えを探す性格をしている。どうもヘソが曲がっているようだ。
その他の新聞をめくると、「アテンション・エコノミー」や「エコーチェンバー」など、初めて目にする外来語が頻出する。理解が追いつかない。

 手持ちの辞書を開くが、当然のごとく記載がない。ネットで用語の解説を調べている。
理解の追いつかない言葉を調べていると、「エコーチェンバー」に目がとまった。

Echo Chamber

 図書館でエコーチェンバーに関する本を探したが、見当たらない。ネットで検索して用語の解説に目を通した。ウィキペディアが分かりやすかったため、引用した。

@自分と似た意見や思想を持った人々の集まる空間内でコミュニケーションが繰り返され、自分の意見や思想が肯定されることによって、
  それらが世の中一般においても正しく、間違いないものであると信じ込んでしまう現象。

A閉鎖的な情報空間において、価値観の似た者同士が交流・共感し合うことで、特定の意見や思想が増幅する現象。

Bエコーチェンバーの閉じた情報環境の内部にいる人間は、何度も同じ情報を見聞きするため、怪しい情報でも信じやすくなる。
 また、自分と異なる考え方や価値観の違う人達との交流がなくなり、自分と異なる意見やデマを訂正する情報が入らなくなる。


 ひと通り読んでみた。エコーチェンバー現象は、ソーシャルメディア上のみで発生するとは限らないのでは? という疑問がわいた。

 筆者の知り合いに、某政党の熱狂的な支持者がいる。党員か否か、それは不明。
選挙前ともなると、熱を帯びた調子で連絡が入る。他党の話になると、敵のような話しぶりになる。その党に対して熱烈な支持を示す一方で、排他性も感じる。連絡があると、はぐらかしつつ話を聞いている。

 昭和初期に目をやると、エコーチェンバーと似た現象を見いだせそうだ。
情報が統制され、政府と軍部が発表する内容だけが市民たちに伝わる。
昭和20年3月19日以後の鹿児島日報に目を通していると、空襲に関する情報が市民たちに伝わっていない様子がわかる。とくに4月8日の空襲で、市民たちは不安を増幅させたようだ。情報がないためだろう、流言飛語が盛んに飛び交っていたようだ。
新聞紙上で、デマを信じないよう促す記事が登場する。一度ではない。

 エコーチェンバーやフィルターバブルなどの現象は、SNS特有と断定して良いのだろうか? その種は、集団や組織、個人のなかに宿しているかもしれない。筆者はまだ、結論をもたない。
これから、社会学者を始めとする専門家が研究発表するだろう。それを待ちたい。

参考文献
「SNS選挙の功罪突きつけた兵庫知事選」(2024年11月19日付・日本経済新聞社説)
「エコーチェンバー現象」(ウィキペディア・2024年12月3日閲覧)
posted by 山川かんきつ at 17:35| Comment(0) | 市井だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月26日

フィルターバブル

 兵庫県知事選は、メディアにとってかなり意外な結果だったようだ。投票日以後、新聞各紙は連日にわたって報道している。
議会から不信任を受け辞職したにもかかわらず当選するとは…と言いたげだ。
しかし、斎藤氏は2位に大差をつけて当選。
各新聞は、独自に分析した記事を連日にわたって報道している。そこに共通する言葉がある。「フィルターバブル」である。

 今月19日付朝日新聞の「天声人語」を引用する。

 何を参考に票を投じたのかと、NHKが出口調査で尋ねたところ、最も多かった答えは「SNSや動画サイト」(30%)。「新聞」も「テレビ」(各24%)も及ばなかった。メディアにとっては悲しく、深刻な数字である。

 斎藤氏が再選された要因のひとつに、SNS上で真偽不明の情報拡散を挙げている。
各紙の報道に目を通していくと、「SNSは、自分好みの情報に偏る危険性がある」と展開していく。「フィルターバブル」である。
こうした傾向は、ネット時代に限った現象だろうか? 疑問を抱くと同時に、清沢洌の評論「現代ジャーナリズムの批判」を思い出した。

現代ジャーナリズムの批判
 外交評論家の清沢洌が、1934(昭和9)年7月10日の講演を活字化した評論である。

清沢洌評論集 (岩波文庫 青 178-2) - 清沢 洌, 山本 義彦
清沢洌評論集 (岩波文庫 青 178-2) - 清沢 洌, 山本 義彦

 元来人間というものは自分のかつて考えておることを他人に依って裏書されることを好むものであります。そういうものを五十銭なり一円也を払って読む興味も感じないし、無論これを排撃する。平生自分が考えておることを、新聞だとか雑誌だとかに依って裏書きされることを多くの読者は欲するのであります。

 今から90年前に、講演された内容の一部分である。
フィルターバブルの要素は、昭和の初めにあったと良いかもしれない。また、情報の接し方は90年前の人々と殆ど変わらないと言ってもいいかもしれない。
兵庫県知事選の記事だけでなく、新聞週間になると、各紙はSNS上の情報は信頼に足りないとステレオタイプの如く報道する。
 
 インターネット環境が整備されたことで、個人が情報発信できる時代になった。これまで、メディアが一方的に情報提供していた時代と異なる。SNS上に玉石混交のサイトが数多ある。メディアは、玉の発掘を行う必要があると思う。在野には、とんでもなく専門性を有する人がいるものである。
既存メディアは、これまで以上に記事の正確性を問われることになると思う。
 
 来年は終戦から80年経つ。新聞もそのことに触れている。
各紙がどのように伝えるか、筆者は心待ちにしているところである。
 


参考文献
 「天声人語」2024年11月19日付朝日新聞
 「春秋」2024年11月19日付日本経済新聞
 「兵庫知事に斎藤氏再選」(2024年11月19日付毎日新聞・社説)
 「兵庫県知事選 真偽不明の情報が拡散した」(2024年11月19日付讀賣新聞・社説)
 「民意のゆくえ」2024年11月21日付朝日新聞
 「SNS有権者を分析」(2024年11月19日付毎日新聞)
 「現代ジャーナリズムの批判」(『清沢洌評論集・2013年・岩波文庫』
 「報道畑45年「事実」に切り込む」(2022年12月20日付朝日新聞・文化)
posted by 山川かんきつ at 10:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月20日

ファクトチェック

 「ファクトチェック」なる言葉を久しぶりに見た。今月3日付毎日新聞の「なるほドリワイド」である。

 アメリカ大統領にトランプ氏が就任すると、「ポストトゥルース」とともに新聞紙面を賑わせていた。その後、バイデン氏就任とともに両言葉を目にしなくなった。
「ポストトゥルース」と「ファクトチェック」の意味を咀嚼しないまま。
トランプ氏が再選された。二つの言葉を目にする機会があるかもしれない。

 毎日新聞の記事によると、「ファクトチェック」は、影響力が大きい政治家の発言や政府の発表、メディアの報道の検証も重視するらしい。
チェックのやり方は3つ。
 客観的な証拠に基づいて検証。
 真実性や正確性のレベルを分かりやすく伝える。
 情報源の資料を明示する。

 同記事は、次のように結ぶ。

 メディアの報道内容への信頼も両極化する傾向は、米国に限らず先進国で広がりつつある。純粋に事実か否かを判定するファクトチェックのような取り組みがさらに重要になるだろう。

 テレビニュースや新聞などの報道に接していると、「?」違和感をおぼえることがある。
とくに、太平洋戦争中の空襲に関する記事に接していると、「?」と思うことが多い。

 ファクトチェックについて、詳しく述べた1冊がある。岩波ブックレットの『ファクトチェックは何か』に目を通した。

ファクトチェックとは何か (岩波ブックレット) - 立岩 陽一郎, 楊井 人文
ファクトチェックとは何か (岩波ブックレット) - 立岩 陽一郎, 楊井 人文

 同書によると、ファクトチェックは、「ニュース性」よりも「事実」に着目するそうだ。
すでに公表された言説を前提に、その言説の内容が正確かどうかを第三者が事後的に調査し、検証した結果を発表する営みです。

 同書は、こうも述べる。
 事件報道の多くが警察、検察の一方的な発表やリークによって新聞、テレビで伝えられ、必ずしも事実とは言えない情報が広がる問題は、これまでも指摘されています。(途中省略)私たちもそれを疑うことなく受け入れています。

 ここまで読んでいて、鹿児島市の空襲を考えた。公式資料とされる『鹿児島市史第2巻』と『鹿児島戦災復興誌』によると、同市の空襲は8回あったそうだ。だが、地元メディアは、空襲について偏った報道をするのみである。
毎年6月17日になると、「鹿児島大空襲」と題して地元メディアは一斉に報じる。
『鹿児島市史第2巻』と『鹿児島市戦災復興誌』の記述そのままに。史の発行は、昭和45(1970)年。半世紀を超えて、両書の記述はそのままに・・・。

 両書に記された昭和20年3月18日、4月8日、5月12日、6月17日の空襲の内容を、米軍と日本海軍の資料で検討してみた。かなり食い違っている。
3月18日、4月8日、5月12日の空襲に関して、当ブログで大雑把に記した。ファクトチェックを意識したわけではないが、違和感をおぼえたために触れたところである。

 もし、ファクトチェックに関心のある方があったならば、各地の空襲について調べると良いかと思う。これまで常識とされてきた記述を、見直す必要を感じるかもしれない。

参考文献
「なるほドリワイド」毎日新聞2024年11月3日付
『ファクトチェックとは何か』(立岩陽一郎・楊井人文・岩波ブックレット982 2018年)
posted by 山川かんきつ at 22:56| Comment(0) | 鹿児島と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月13日

二中通りの事故現場

 昨日の朝、二中通りバス停前にあるタイヨーの前を歩くと、テレビ局の取材班が2組いた。何の取材だろうと訝しがっていると、同僚が事故の話をしだした。
昨日の夕方、大きな交通事故があったらしい。車が歩道にまで乗り上げるほどの。

 勤務先は、事故現場にほど近い所にある。現場は、筆者にとって日常の詰まった所でもある。地元放送局のサイトで、事故の報道をみる。
大破した車が歩道に乗り上げている。映像をみると、大変な修羅場となっている。
その日、筆者は出先から帰宅したため事故現場を目撃していない。

 事故の発生は、午後6時前。帰宅を急ぐ人も多かったろう。現場には、バス停がある。そこにも、少なくない人たちがいただろうに。事故の様子を、つぶさに見ていた人もいるかもしれない。

 現場となった交差点は、6車線もある。横断歩道を渡る人を待っていると、信号が変わり始める。また、救急病院が近くにできたため、救急車も頻繁に走って来る。そのため、交差点を右左折できる車は、数台ということもしばしばある。信号待ちが長く感じられ、イライラすることがある。
そのため、車を運転する際は、同交差点を使わぬようにしている。

 ひょっとしたら、事故を起こした運転手さんは、そうした心理が働いたかもしれない。
報道によると、アクセルとブレーキを踏み間違ったらしい。事故を起こした原因は、年齢も起因しているかもしれないが、帰宅を急ぐ気持ちとイライラがあったかもしれない。

 報道を見ていて、日常の風景が一瞬にして修羅場と化す。その不思議さを考えた。
posted by 山川かんきつ at 07:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする