2024年11月06日

推し活は宗教に似ているらしい

「推し活」は、宗教に似ている面があるらしい。毎日新聞が、「宗教に類似 推し活研究」で報じていた。2024年10月14日付である。記事は次のように始まる。

 アイドルやスポーツ選手、アニメやゲームなどさまざまなジャンルで広がる「推し活」。熱狂的なファンの集団は「ファンダム」と呼ばれ、その心理を利用した経済活動が行き過ぎた消費を生み出す例も少なくない。

 「ファンダム」とはなんだろう? 手持ちの国語辞典に掲載されていない。
ネット上で検索すると、「特定の対象への熱狂的な愛情とそれを共有するコミュニティをさす」とある。
「ファンダム」は、「fan kingdom」の造語らしい。直訳すれば、ファンの王国。
「ダム」とあるから、貯水を目的とした構造物をイメージしていた。ファンを溜め込むといった意味だろうかと考えたりもしたが、まったく違った。

 「推し活」を、心理学の視点から研究する学者さんがいるそうな。関西学院大学准教授の柳澤田実さん。

 推し活をする人は自らの推しを「神」、グッズを並べた自宅の棚を「祭壇」と呼ぶなど宗教と同じような言葉を使います。

 YouTubeで公開中の漫画、「ラブ恋漫画」を視聴している。同漫画に、「推し」や「推し活」なる言葉がよく出てくる。お気に入りの漫画家の作品を「布教用」に持ち歩くキャラクターがあった。柳澤先生が述べる「宗教との類似性」は、頷くところがある。

 先生は分析する。
「推し活」に、特定のものを神聖視し、献身する人間の心理があるらしい。また、人間は金銭に還元できないものに「神聖さ」を感じる心理もあるそうだ。
鹿児島県内の歴史ある神社を訪れると、「神聖さ」を感じる。例えば、指宿神社は巨大な楠に囲まれている。また、日置市の大汝牟遅神社近くに、巨大な楠が何本もそびえる森がある。三国名勝図絵は「古樟樹」と記している。西行法師の句を彷彿とさせる場所である。

 何ごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる

 これらの神社の森は、聖なる価値があるといってよい。最近の新聞記事で知ったが、明治神宮外苑は開発されるそうだ。都心の一等地にあるから、「聖なる価値」よりも「算盤的な価値」が上回っているかもしれない。

 西澤先生はつづける。
 推し活でも、コンテンツを提供する側が単に時間とお金を奪って消費させ続けるのではなく、人びとが推しを通じてもっと大きな価値を共有できるような仕組みを作ることが必要なのではないでしょうか。

 このブログで、推し活について2度ふれた。いずれもマーケティングからの視点だった。
記事を書いた記者は、こう結ぶ。

 私たちメディアも推し活の裏側に目を向ける必要があると感じた。

 メディアの傾向として、エンタメ化して報道する場合がある。「推し活」を社会学や行動経済学などの研究もおこなわれるかもしれない。

「推し活」に関する記事を読み進めると、以前からあった現象のように思う。「推し」や「推し活」なる言葉が登場する前は、「マニア」や「コアなファン」と、表現していたように思う。「推し」や「推し活」などの言葉は、これから定着していくのだろう。

関連記事
 「概念推し」
 http://burakago.seesaa.net/article/505507096.html

 「オシノミクス」
http://burakago.seesaa.net/article/505259866.html

参考文献
「宗教に類似 推し活研究」 毎日新聞2024年10月14日付
posted by 山川かんきつ at 17:01| Comment(0) | 市井だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月02日

概念推し

「推し活」に「概念推し活」なる言葉があるそうだ。2024年10月30日付日経MJが、取り上げていた。リード文は、こう記す。

 「推し」をほうふつとさせる色や形、雰囲気といった概念を楽しむ「概念推し活」が活況だ。(途中省略)公式グッズを買うだけでは満たされない思いを補完できるのが魅力だ。

 東京原宿に、推し活専門店「オシアド」があるらしい。客はオーダーシートに、推しの特徴を記入する。それを元にスタッフは、飲み物を提供するそうだ。
客はドリンクを受け取ると、推しのぬいぐるみやアクリルスタンドを並べて、撮影する。
来店客にインタビューすると、「自分の中で推しについての解釈を深めていく時間が楽しい」らしい。

 インタビューを受けた女性は、推しに似た動物のぬいぐるみを集めたり、推しの好物のスイーツを街中で見つければ足を運んだりと、関連する要素にも推しを見いだす「概念推し活」のプロとのこと。
記事を読んでいて、筆者には理解の及ばぬ領域である。

 ちなみに、「概念推し活」の対象は、キャラクターやアイドルに限らない。そこがポイントなのだそうだ。

イマジェニカボックス
 バンダイナムコアミューズメントは、「イマジェニカボックス」なるサービスを始めた。

 もし、推しが主演する映画があったらどんなチケッになる?」をテーマに推しのイメージカラーなどの質問に答えると架空の映画チケット風シールが作成される。
同社は今後も概念推し活の可能性を探っていくという。


 日経MJの記事は、こう締めくくる。
 どの概念推し活でも共通するのは、推しにぴったりの選択肢を考える「体験自体」がエンタメになっている点だろう。推しへの想いの表し方は今後も多様化していきそうだ。

 やはり、「コト」は消費動機を考えるうえで要因のひとつのようだ。「推し活」の内容は、今後も細分化されていくような感じを受ける。そこに、嗜好がパーソナライズされる傾向があるかもしれない。消費動機は、いよいよ「個」の時代に入ったといえようか。

参考文献
 2024年10月30日付日経MJ
posted by 山川かんきつ at 23:58| Comment(0) | 市井だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月29日

「ガチャガチャ」は「カプセルトイ」と呼ぶらしい

 先日の新聞を眺めていると、与党が過半数割れした旨の報道でにぎわっていた。
立憲民主党や国民民主党は、議席を大幅に増やしたそうだ。野党を見渡すと、「生粋の野党」があって、「なんとなく野党」「なんちゃって野党」まである。これは、あくまで筆者の主観である。国会がこれからどうなるのか。魑魅魍魎とした世界のことゆえ、この先になにが起こるか分からぬ。
国会で論戦が復活するかもしれない。チャチャっと論議を終えて多数決。これまで通りにいかないだろう。

 選挙結果の報道にうんざりしているところに、極めて異色な報道を目にした。2024年10月28日付・日経MJ1面である。

 カプセルトイ一等地に出た 池袋に巨大店 女性が6割 市場10年で倍増 
60年を経て、カプセルトイはカルチャーに


 リード文はこう記す。

 「カプセルトイ」が一等地に踊り出てきた。1500台超の自販機を持つ駅前路面店が6月、東京池袋に誕生した。2025年は日本上陸60年の節目の年で、市場規模も23年度に640億円と過去最高記録。スーパーカーやキン肉マンの消しゴムといった「男の子の玩具」の枠を超え、幅広く支持されるコンテンツに成長。企業も販促品の一つとして評価し始めた。

 筆者が子どもの頃は、「ガチャガチャ」と呼んでいた。「カプセルトイ」の方が、なんだかカッコいい。
リード文にある通り、スーパーカーが流行っていた。小さなカプセルに、ゴム製の車が入っていた。消しゴムと言われていたが、文字は消えずにゴムが黒くなるだけといった記憶しかない。
そのためであろうか、集めた覚えがない。

 今年の夏に、センテラス天文館へ行った。カプセルトイのフロアがあり、「どんだけあるんだよ」とあきれつつ見て回った。来店客のほとんどが、若い女性であった。
新聞記事の見出しに「女性が6割」とあるのにも、頷いたところである。

 まんが倉庫鹿児島店もカプセルトイが、ところ狭しと並んでいる。見て回っていると、マニア心をくすぐる商品が多い。「お弁当シリーズ」や「昔の家電」などもあり、目の付け所に脱帽する。
気になったのは、YouTubeに登場する「霊夢」と「魔理沙」のカプセルトイがあった。思わず購入しようかと考えたのだが、少しばかり理性が働いた。

 購入するかどうか、かなり迷ったカプセルトイがあった。セイカ食品のアイスクリームを再現した商品である。「デカバー」あり、「ジャムもなか」あり。
さんざん迷った挙句、購入を控えたのだが、いまだに気になって仕方がない。

 日経MJの記事にある通り、企業の販売促進用に役立つかもしれない。市場規模は2023年度に640億円を記録したらしい。「コンテンツに成長」とある。大げさな表現ではないようだ。

参考文献
 日経MJ 2024年10月28日付
posted by 山川かんきつ at 09:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月27日

選挙投開票日のすごし方

 わが輩は無党派層の一員である。支持政党はまだない。
 いつ頃からこうなのか、とんと見当がつかぬ。

 昨日付け日本経済新聞の「春秋」は、おもしろかった。民俗学者・柳田國男の論考に関する記事だった。記事は、柳田の論考を引用しつつ述べる。

 政治家は事実と違うことを述べることがあるから、国民は批評の力を養わねばならぬ。国に賢明な政治をさせるには、賢明な政治家を選ぶほかない。帳簿に基づき選挙費会計を候補者に公開させろ、とも訴えている。

 政治に関して考えるに、柳田が生きた時代と現代は殆ど変わっていない印象を受ける。
外交評論家の清沢洌は、1934年の講演で「今の日本にはディスカッションがない」と述べている。
ここ数年に起きた鹿児島の事例を挙げてみる。馬島島の問題、川内原発に関する住民投票などをみると、ディスカッションはなかった。柳田と清沢が指摘は、現代にも生き続けているようだ。

 「春秋」は、柳田の論考をつづける。

 折り入って人に頼まれたからと投票先を決めるようでは国は改まらない。

 選挙前になると、こうした体験は多々ある。そのたびに、「了解しました。頑張ってください」と大人の対応をとる。
記事はつづける。

 自分の利益しか考えない人。責任を重んじない人。「もしも、こんな人たちが政治にたずさわったら、どうなるでしょう」
「もしも」を繰り返さないために。考え抜いた1票が要る。


 差別的発言をつづける議員や政治資金の虚偽報告をした議員など、今年の新聞記事は紙面を賑わせていた。新聞報道によると、今回の選挙は自公の過半数をとれるか否かが争点らしい。それでいいのかねと、思いつつ新聞をたたむ。

 今日は衆議院議員選挙の投票日。
テレビ欄に目をやると、午後8時から開票速報番組が目白押しである。鹿児島の選挙区は、午後8時半ごろまでにカタがつく。開票率0%なのに。ヘソの曲がった筆者は思う。
時には、「当選確実」が外れればいいのにと。

さて、午後8時半以後の過ごし方をどうするか。Eテレだけが、選挙を扱わない。
テレビ欄をのぞくと、午後9時から「古典芸能への招待」とある。

う〜ん、今回も「YouTube」かな。

参考文献
「春秋」2024年10月26日付・日本経済新聞
『柳田国男民主主義論集』(大塚英志・平凡社ライブラリー・2020年)

柳田國男民主主義論集 (平凡社ライブラリー0885) - 柳田 國男, 大塚 英志
柳田國男民主主義論集 (平凡社ライブラリー0885) - 柳田 國男, 大塚 英志



posted by 山川かんきつ at 19:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月23日

昭和19年10月10日の空襲 那覇市

 今月10日の新聞を読んでいて、腑に落ちない記事を目にした。2024年10月10日付朝日新聞「10・10空襲 那覇市街9割焼失」である。
記事は、次のように記す。

 10・10空襲は、米軍による日本への初めての本格的無差別爆撃で、翌年の沖縄戦や日本本土空襲の先駆けとなった。「沖縄県史」によると、44年10月10日、艦載機や爆撃機など延1396機が奄美大島以南の南西諸島各地を攻撃。

 この記事で腑に落ちぬ点が2つある。
 ひとつは、「爆撃機」である。艦載機に関する記述は問題ない。この日の攻撃は、ハルゼー大将率いる第3艦隊が行っている。この空襲の特徴は、米軍艦載機が初めて日本国内の領土を攻撃したことである。

 「爆撃機」が分からない。どこの基地から飛来したのであろうか。また、どのような機種であったろうか。可能性として、中国大陸は成都基地から飛来かもしれない。国会図書館デジタルレクションで、20爆撃機集団の報告書を探してみる。攻撃目標が「沖縄」と記された文書を見いだせない。
この日、覇市を攻撃した爆撃機について御存じの方がありましたら、一報くださるとありがたい。

 この空襲、奄美大島や徳之島も攻撃されている。鹿児島県の空襲として考えるに、軽視できない。

 ふたつ目は、「無差別爆撃」の記述である。
太平洋戦争中の空襲に関する新聞報道で、「無差別爆撃」の文字を目にするようになった。
「無差別爆撃」の定義をしっかり整えてから論じるべきであろう。この言葉を使う背景に、被害者」の視点が透けて見える。日本人にしか分からない、内向きの論理のひとつかもしれない。
無差別爆撃を論じる際は、海外の人々にも理解されるような内容にすべきと考える。

 昭和19年は、とても忙しい歴史である。軍事史をはじめ、政治史、経済史など。ありとあらゆる戦闘や事件が発生しており、筆者はうまく整理できていない。
この年について少しばかり触れてみる。当時の新聞にめくると、外地からの物資が滞り始めた印象をうける。
軍需工場で物資が不足して、代用品を使い始めたとする記事が目立つ。船舶を集中的に攻撃した米軍の狙いは、昭和19年に成果が表れたようだ。

この年は自然災害も発生している。昭和東南海地震が最大の自然災害であろう。内田百閧竦エ沢洌が、日記に書き残している。
また、昭和19年後半から寒さが厳しかったらしい。徳川無声が、日記に書き残している。

 とにかく、昭和19年は事件が目白押しである。その辺りも念頭に置きつつ、戦争のあった時代を見つめる必要があると思う。




■参考文献
「10・10空襲 那覇市街9割焼失」(2024年10月10日付朝日新聞)
posted by 山川かんきつ at 14:55| Comment(0) | 各都市への空襲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月18日

オシノミクス

最近の日経MJに目を通していると、「推し活」「推し」に関する記事が目につくようになった。専門紙が報道するくらいだから、見過ごせない事象なのだろう。
同紙10月11日付の記事に注目した。「推しノミクス6つの顔 おかげで幸せ73%」である。

 ここ数年で推し活という言葉が一気に一般化し、「OSHI」という言葉が使われるほどになった。博報堂とSIGNING(東京・港)は、人が能動的に熱中する心理と行動を「オシノミクス」と名づけ、推し活の実態、背景にある心理や社会的価値を考察するリポートを発刊した。

推し活 6つのクラスター
 「推し活」を分析すると、大きく6つのタイプに分けられるらしい。
ただし、一つのクラスターに完全に属するというのではないらしい。場面によって、いろいろな人格になり得るそうだ。それは頭に入れておく必要がある。
@探求型
A憧憬型
B応援型
C共有型
D紐帯型
E所有型
 これら6つのタイプの性質を見ていく。@からEへと進むにつれて、マニア度が濃くなっていく。それぞれのタイプを説明してみる。

@探求型
 推し活はほどほどに、気軽に楽しみたい派。推し活に全力を注ぐといよりも、コンテンツ視聴や体験に重きを置いている。

A憧憬型
 「推し」は遠くから眺めたい。推しと少し距離をとって、テレビなどでひと目みるだけで幸せを感じる。推し活への支出は少なく、無理のない範囲でひとりで楽しんでいる。

B応援型
 日常の疲れを吹き飛ばすのは推しの存在! ライブやイベントは推しを応援し、生活にメリハリをつける大事な機会。家事や仕事のストレス発散の場としている。

C共有型
 推し活はみんなで楽しむもの! ライブやイベントに積極的に参加し、推しの成長を仲間と共有。推しとファンの一体化が最大の魅力。

D紐帯型
 推しは生きるためのエネルギー源。推しのグッズやSNS更新をお守りにして毎日頑張れる! 推しが生きる力を与えてくれる存在。「オタク」の自覚あり。SNSをフル活用して情報収集したり、推し仲間とつながったりするなど熱量が高い。

E所有型
 推し活にすべてを捧げる覚悟! 推しに全力で投資し、遠方でもリアルイベントには必ず駆けつける。どこまでも推しに全身全霊で向き合う究極のファン。所有型は自分よりも推し中心に毎日を送っている。

 どうやら、紐帯型と所有型は危ない香りが強くなるようだ。もはや、両タイプにとって推しは、信仰の対象になっているのではないかとさえ思えてくる。
テレビ東京の「YOUは何しに日本へ」を見ていると、究極のマニア精神をもった外国人が登場する。彼らもまた、推し活6つのクラスターに属するのだろう。おそらく、E所有型だろう。「OSHI」という言葉もあるそうだから、いよいよ世界語になるかもしれない。

 筆者は生まれも育ちも、昭和である。記事を読みながら、マニア度の高い友人たちを思った。O君は当時、河合奈保子の熱烈なファンだった。彼の部屋を訪れると、壁にポスターが何枚も貼られ、写真集からCDまでコレクションしていた。話には聞いていたが、これほどまでとは・・・。感心するやら、怖さを覚えるやらなどの複雑な感情を持ったのを思い出した。

 その他、矢沢永吉氏や長渕剛をこよなく愛する友人たちは、それこそ「紐帯型」や「所有型」に当てはまるだろう。いまだにライブやコンサートに出かけるようだから、相当に長いファン歴である。
つらつら考えるに、「推し」や「推し活」は以前からあった。ただ、それを表現する言葉がなかっただけ。おそらく当時は、「マニア」という言葉で片づけられていたのだろう。

 「推し」や「推し活」。これらの言葉は、若い人たちが作ったのだろう。おかげで、「マニア」よりもポジティブな印象を受ける。また、消費者行動を分析するにも有効な言葉にだろう。
「推し活」6つのタイプを見ていくと、「こだわり消費」や「応援消費」、「コト消費」、「聖地巡礼」などを思い浮かべた。鹿児島県は観光を重視しているようだから、「聖地巡礼」は欠かせない要素だと思う。「共有型」や「紐帯型」、「所有型」などに属する人たちに、どのような方法でアプローチするか。一考してもよさそうだ。
 

参考文献
「推しノミクス6つの顔」(2024年10月11日付日経MJ)
「OSHINOMICS REPORT」(博報堂HPより)
posted by 山川かんきつ at 09:44| Comment(0) | 市井だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月12日

あやまった正義感

 伊丹万作に、「戦争責任者の問題」と題する随筆がある。昭和21年4月28日に記されたようである。伊丹は戦争責任の所在について、筆をすすめる。そのなかで、気になる記述がある。

伊丹万作エッセイ集 (ちくま学芸文庫 イ 42-1) - 伊丹 万作
伊丹万作エッセイ集 (ちくま学芸文庫 イ 42-1) - 伊丹 万作


 最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこっけいなことをしてしまったのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だったのである。

 たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶって出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であったことを私は忘れない。

 もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであって、思想的表現ではないのである。しかるにわが同胞諸君は、服装をもって唯一の表現なりと勘違いしたか、そうでなかったら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。

 そしてたまたま服装をその本来の意味に扱っている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによって、自分の立場の保鞏(ほきょう)につとめていたのだろう。


 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき(途中省略)
我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であったということはいったい何を意味するのであろうか。

 読み進めるうちに、「自粛警察」を思った。マスクを付けていない人を糾弾する。コロナが流行している県の自動車ナンバーを見つけると、非難する。「県外ナンバーですが、地元に住んでいます」と書かれたプレートを付けた車を目にもした。暗澹たる気分になった。
伊丹の述べる服装の問題は、自粛警察と通底していると思われる。

 法務省のホームページに、「自粛警察とあやまった正義感」と題するコラムが掲載されている。同省人権擁護局のページである。コラムはこう述べる。

 しかし,健康上の理由等でマスクをつけることができない人やワクチンを接種することができない人など,人によって事情は様々ですから,「感染症対策をしない人」などと一律に他人にレッテル貼りをしてしまうことは,合理的ではないのではないでしょうか。そして,いかなる理由があったとしても,自らの主張を実現するために他人を傷つけることは,絶対に許されません。

 レッテル貼りは、15年戦争時に盛んにおこなわれた。「自由主義者」や「社会主義者」は、相当に糾弾されたらしい。それに耐えられず、「転向」をした者たちがある。鶴見俊輔氏や半藤一利氏の著作にもある。

 法務省人権擁護局のコラムはつづける。

 自らの主張の実現のために他人を傷つけるという点では,ヘイトスピーチも同じです。

 鹿児島でヘイトスピーチを目にした覚えはない。某県にあっては、凄まじいらしい。神奈川新聞社の『時代の正体』に記されていた。
先述のコラムは、こう結ぶ。

社会生活の中で,自分とは違う行動をする人,自分とは異なる考え方の人に出会うことも,少なくありません。そのような場面に遭遇すると,違和感を覚えたり,釈然としない気持ちになってしまうこともあります。ただ,そこで少しだけ立ち止まって,そのような人たちに対する自分のそうした感情が,誤解や思い込み,無自覚な差別意識・偏見などによる過剰な反応から生まれたものではないかを考えてみることが,お互いを尊重し合う社会であるために必要なことなのではないでしょうか。

 伊丹万作と人権擁護局のコラムは、どこかで繋がっている気がしてならない。「無自覚な差別意識・偏見」と「過剰な反応」は、関東大震災時にもあったと思われる。
最近の報道や出版物で、「同調圧力」なる言葉を目にすることが多かった。同調圧力だけでは、説明不足かもしれない。もっと根深いところもえぐる必要があると思う。

 タレントのタモリ氏が述べた「新しい戦前」を考える。戦前・戦中から変わらぬ思想や常識が露わになったのかもしれない。伊丹万作は、「政治に関する随想」で述べる。

 昨日までの善は、実は今日の悪であり、昨日までの悪が実は今日の善であると思い直すことは、人間の心理としてなかなか容易なことではない。

参考文献
『伊丹万作エッセイ集』伊丹万作・ちくま学芸文庫・2010年
「自粛警察と誤った正義感」(法務省人権擁護局ホームページ、2024年10月8日閲覧)
posted by 山川かんきつ at 11:31| Comment(0) | 作家と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月06日

伊丹万作の随筆

 私は生まれてこのかた、まだ一度も国民として選挙権を行使したことがない。


伊丹万作エッセイ集 (ちくま学芸文庫 イ 42-1) - 伊丹 万作
伊丹万作エッセイ集 (ちくま学芸文庫 イ 42-1) - 伊丹 万作

 映画監督の伊丹万作が、昭和21年4月に書き下ろした随筆である。主に、戦前・戦中の政治と選挙に関する内容だが、読み進めると、現代も変わらぬような気がしてくる。
伊丹は、筆を進める。

 「選挙は国民の義務である」ということは、従来の独裁政治、脅迫のもとにおいてさえ口癖のようにいわれてきたが(途中省略)
 選挙が国民の義務であるためには、その選挙の結果が多少でも政治の動向に影響力を持ち、ひいては国民の福祉に関連するという事実がなくてはならぬ。そんな事実がどこにあったか。
 政治をしない議員を選出するための選挙が国民の義務であり得るはずがない。


 選挙のたびに、投票率の低さが言われる。とくに、若い世代の投票率が低いらしい。
政治への関心度が低いことも原因だと言われる。伊丹は、政治への関心の低さをこう指摘する。

 我々が今まで政治に何の興味も感じなったのは、政治自身が我々国民に何の興味も持っていなかったからである。
そもそも「国民の幸福」ということをほかにして、政治の目的があろう道理はない。


 伊丹はこうも言う。

 今までの我国の歴史をつうじて一貫している事実は、支配階級のための政治はあったが、国民のための政治はただの一度も存在してなかったということなのである。
 次に注意しなければならぬことは、支配階級のための政治は必ず支配階級のための道徳を強制するという事実である。ただ、支配階級の利益のために奉仕することがなによりも美徳として賞賛される。


 戦時中の愛国精神や殉国精神などを指しているだろうか。前線で命を落とす、特攻で命を落とす、など。戦時中は、メディアを通して賞賛された。
伊丹は戦前戦中の選挙を振り返りつつ、終戦直後に行われた選挙について記している。

 しかし、今は事情がすっかり違ってきた。国民の選んだ人たち、すなわち国民の代表が実際に政治を行うという夢のような事態が急にやってきた。

 国立国会図書館のサイトに、「史料にみる日本の近代」と題するページがある。こう記す。

 戦後最初の総選挙は昭和21(1946)年4月10日に行われた。これは前年12月17日の選挙法改正で20歳以上の男女が投票権を得て、はじめての選挙であった。

 伊丹は新しい選挙に希望を見いだす。同時に、立候補者の演説を聞くうちに、違和感をおぼえ始める。

彼らは、蓄音機のようにただ、民主主義という言葉を繰り返しさえすれば、時代について行けるように考えている。したがってその抱懐する道徳理念は、支配階級に奉仕する奴隷的道徳をそのまま持ち越したものであり、いまだにこれを他人にまで強要しようとしている。
このような候補者たちの現状を見るとき、我々は制度としての民主政体を得たことを喜んでいる余裕がないほど、深い、より本質的な憂鬱に陥らずにはいられない。


 この論考は、鶴見俊輔氏の「転向」と関連する。半藤一利氏も、豹変する大人たちを見て呆れた旨を著書に記している。
伊丹は立候補者だけでなく、投票する人々にも厳しい目を送る。

 自分の行為が何を意味するかを知らないで投票している。その結果、彼らは自分たちとはまったく利害の相反した特権階級の御用議員どもを多数議会へ送り込み、いつまでも国民大衆の不幸を長続きさせる政治をやらせようとしているのである。

 現在のごとき粗悪な候補者どもを退治する唯一の道は、国民一般の政治教養を高め、もって彼らの足場を取りはらってしまうこと以外にはないのである。

 伊丹のエッセーを読み進めていると、選挙に関していえば現代も変わらぬような気がしてくる。そして、伊丹は重要なことを、サラッと述べる。

 昨日までの善は、実は今日の悪であり、昨日までの悪が実は今日の善であると思い直すことは、人間の心理としてなかなか容易なことではない。

 半藤一利氏は、『あの戦争と日本人』で昭和20年9月4日付毎日新聞の記事を引用する。

 夷狄の言葉だという英語が氾濫する。国体とは相容れぬというデモクラシイが風靡する。愛国心の鑑札であるような国民服が急に姿を消す。結局はそれでよいのかもしれないが、いったいそれでは何が本当なのか。前の方が本当であったのか。それとも今度こそ、本当だというのか。

新装版 「常識」の研究 (文春文庫) (文春文庫 や 9-13) - 山本 七平
新装版 「常識」の研究 (文春文庫) (文春文庫 や 9-13) - 山本 七平

 山本七平は『常識の研究』で、こう指摘する。
 
 常識に関する限り、戦前も戦後も大差はない。

 教科書通りに解すれば、戦後に新しい日本が誕生したイメージを持つ。どうやら、錯覚していたようだ。国民の意識や常識は、ほとんど変わっていないらしい。国民服とモンペを脱いだだけかもしれない。中身はそのままに。
 今月27日に衆議院選挙がある由。報道に接しながら伊丹万作の随筆を思い出したため、触れてみた。

■関連記事
 「コロナ敗戦」
 (http//burakago.seesaa.net /article/183109322.html)

■参考文献
『伊丹万作エッセイ集』(伊丹万作・ちくま学芸文庫・2010年)
『常識の研究』(山本七平・文春文庫・
『あの戦争と日本人〈上〉』(半藤一利・社会福祉法人埼玉福祉会・2019年)


posted by 山川かんきつ at 19:50| Comment(0) | 作家と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月29日

実証的手法

 今月13日付朝日新聞の「近現代史、実証的手法で開拓」に、目がとまる。

 歴史学者の伊藤隆氏に関する記事である。筆者は存じ上げないのだが、近現代史研究に実証的手法を開拓した先生だったそうだ。
国語辞典で、「実証的」を引いてみる。「確かな証拠に基づいて研究を進める様子」とある。記事は、先生の研究方法をこう記す。

 一次史料(日記、書簡、書類など)の発掘と当事者への聞き取り調査を徹底し、同時代の全体状況を踏まえて読み込むことで、(途中省略)「当時そうであった」状況を知ることを可能にした。

 記事は一次史料の重要性について、こうも述べる。

 人は、どうしても過去の自分を美化しがちである。(途中省略)
結果を知らないうちに書いた日記、手紙、業務日誌や書類、当時刊行された新聞、雑誌、書籍、当時の画像、録音は歴史研究では必須の史料である。

 伊藤先生は史料を発掘しながら、聞き取りも徹底されたそうだ。
この手法は、澤地久枝氏や半藤一利氏、保阪正康さんなど昭和史研究の第一人者と同じである。澤地久枝著『記録ミッドウェー海戦』は、一次史料の塊である。


記録 ミッドウェー海戦 (ちくま学芸文庫 サ-52-1) - 澤地 久枝
記録 ミッドウェー海戦 (ちくま学芸文庫 サ-52-1) - 澤地 久枝

 NHKスペシャル「新ドキュメント太平洋戦争」も、一次史料に徹した番組だ。個人の日記や手記などをベースに構成されている。市井の人々の暮らしぶりや思いが、伝わってくる。良い番組と思う。

 前述した一次史料について、鹿児島の昭和史を考えてみる。
「鹿児島女子興業学校学務日誌」が発見された記事があった。その日誌は、明らかに一次史料である。その日誌は3年前に発見されたのだが、南日本新聞が今年に報じた記事によると、研究はいっこうに進んでいないらしい。
鹿児島市は、昭和史に興味がないらしい。これが島津氏や明治維新で活躍した人物であれば、即対応するだろうに。

 伊藤先生は、「当事者への聞き取り調査を徹底」されたと記事にある。鹿児島の空襲体験に思いを馳せる。かなり困難な時代になった。このことは、以前から指摘されていたのだが、今や現実となった。

 伊藤先生は、「同時代の全体状況を踏まえて」一次史料を読み込んだそうだ。戦争体験談を読むとき、伊藤先生の手法が有効だと思う。だが、かなり面倒な作業になる。

朝日新聞の「近現代史、実証的手法で開拓」を読みながら考えた。

参考文献
「近現代史、実証的手法で開拓」2024年9月13日付朝日新聞
『記録ミッドウェー海戦』澤地久枝・ちくま学芸文庫・2023年)
posted by 山川かんきつ at 08:33| Comment(0) | 作家と戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月19日

昭和20年8月15日の神話

 昭和20年8月15日は終戦記念日。疑う余地がないほどの常識である。
昭和史に関する書物に目を通していると、違和感をおぼえ始めた。
太平洋戦争は、いつ終わったのだろうか?

8月15日 昭和天皇の玉音放送がラジオから流れる。
8月19日 降伏条件受取の使者を乗せた緑十字機が、木更津飛行場を出発。沖縄県の伊江島で米軍機に乗り換え、夕方にマニラに到着。
8月20日 連合軍最高指揮官要求第二号を交付。マニラを出発し伊江島に到着。
8月21日 東京に到着
9月2日  ミズーリ艦上で降伏文書調印式

 京都大学名誉教授・佐藤卓己先生の論考が参考になった。2024年7月27日付朝日新聞である。先生は述べる。

 1945年8月15日に終わった戦争は存在しないからです。
『終戦』は相手国のある外交事項です。降伏文書に調印した9月2日が国際法上の終戦日であり、翌3日をロシアも中国も対日戦勝日としています。交戦国ではなく、あくまでも『臣民』に向けた『玉音放送』があった日を節目としていること自体、極めて内向きの論理に基づいています。




 昭和日本史〈8〉終戦の秘録 (1978年)
『昭和日本史〈8〉終戦の秘録 (1978年)』に、元外交官の加瀬俊一さんが著した「ミズリイ艦上の降伏文書調印」と題する文書が掲載されている。同氏は、外務大臣重光葵とともに調印式に立ち会っている。式典にむかう心情をつづっている。

 いまでこそ実感は湧かぬが、われわれ一行は、あるいは生きて帰れまい、という気持ちだったし、見送る人々も同じ思いだった。なにしろ、八月十五日の終戦決定から、まだ日が浅く、意気盛んな少壮軍人のなかには、なお抗戦を叫ぶ者もあったから、一行が途中で襲撃を受けることも十分にあり得ると考えられた。

 8月15日は日本政府が終戦を決定した日であったと、外交官は記す。終戦を決め、日本臣民に広く知らしめたのが8月15日だったと言ってよいかもしれない。佐藤先生が述べるように、「内向き論理」に基づいているようだ。
 先生は、内向きの論理がもたらす弊害について述べる。

 8・15終戦記念日は、周辺国との歴史的対話を困難にしてきました。いくら私たちが平和憲法にコミットする姿勢を示しても、その前提となる内向きの『あしき戦前』と『良き戦後』の断絶史観は外国と共有されていない。他者に開かれていない空間で、いくら自己反省を繰り返しても、対話なきゲームです。

 歴史戦や情報戦という不穏な言葉を使うのは適切ではないでしょうが、私たち自身が内向きな『記憶の55年体制』に閉じこもっている限り、こうした他国の歴史利用に対峙できません

 新聞紙上で、戦闘のつづく地域の記事に目を通していると「プロパガンダ」や「情報戦」といった言葉が目につく。しっかり反論するために、しっかりしたデータや記録を示すほかない。第二次大戦中の日本側の公的記録は、数が少ない。終戦前後に文書を焼却したといわれる。
当時の記録が少ないことが、情報戦にしっかり対応できていない要因のひとつかもしれない。また、歴史修正主義に対しても同様である。

 先の戦争が終わった日は、いつだろうか? 
筆者の場合、長く刷り込まれた影響だろう。終戦日は、昭和20年8月15日の意識が強い。9月2日の降伏調印式が頭にあっても。
先の戦争が終わった日はいつか? 考え直して良い時機かもしれない。


参考文献
「戦争認識 抜け落ちたもの」(2024年7月27日付朝日新聞・耕論)
『昭和日本史8 終戦の秘録』(暁教育図書・昭和51年)
posted by 山川かんきつ at 23:32| Comment(0) | 逆縁の時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする