アイドルやスポーツ選手、アニメやゲームなどさまざまなジャンルで広がる「推し活」。熱狂的なファンの集団は「ファンダム」と呼ばれ、その心理を利用した経済活動が行き過ぎた消費を生み出す例も少なくない。
「ファンダム」とはなんだろう? 手持ちの国語辞典に掲載されていない。
ネット上で検索すると、「特定の対象への熱狂的な愛情とそれを共有するコミュニティをさす」とある。
「ファンダム」は、「fan kingdom」の造語らしい。直訳すれば、ファンの王国。
「ダム」とあるから、貯水を目的とした構造物をイメージしていた。ファンを溜め込むといった意味だろうかと考えたりもしたが、まったく違った。
「推し活」を、心理学の視点から研究する学者さんがいるそうな。関西学院大学准教授の柳澤田実さん。
推し活をする人は自らの推しを「神」、グッズを並べた自宅の棚を「祭壇」と呼ぶなど宗教と同じような言葉を使います。
YouTubeで公開中の漫画、「ラブ恋漫画」を視聴している。同漫画に、「推し」や「推し活」なる言葉がよく出てくる。お気に入りの漫画家の作品を「布教用」に持ち歩くキャラクターがあった。柳澤先生が述べる「宗教との類似性」は、頷くところがある。
先生は分析する。
「推し活」に、特定のものを神聖視し、献身する人間の心理があるらしい。また、人間は金銭に還元できないものに「神聖さ」を感じる心理もあるそうだ。
鹿児島県内の歴史ある神社を訪れると、「神聖さ」を感じる。例えば、指宿神社は巨大な楠に囲まれている。また、日置市の大汝牟遅神社近くに、巨大な楠が何本もそびえる森がある。三国名勝図絵は「古樟樹」と記している。西行法師の句を彷彿とさせる場所である。
何ごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる
これらの神社の森は、聖なる価値があるといってよい。最近の新聞記事で知ったが、明治神宮外苑は開発されるそうだ。都心の一等地にあるから、「聖なる価値」よりも「算盤的な価値」が上回っているかもしれない。
西澤先生はつづける。
推し活でも、コンテンツを提供する側が単に時間とお金を奪って消費させ続けるのではなく、人びとが推しを通じてもっと大きな価値を共有できるような仕組みを作ることが必要なのではないでしょうか。
このブログで、推し活について2度ふれた。いずれもマーケティングからの視点だった。
記事を書いた記者は、こう結ぶ。
私たちメディアも推し活の裏側に目を向ける必要があると感じた。
メディアの傾向として、エンタメ化して報道する場合がある。「推し活」を社会学や行動経済学などの研究もおこなわれるかもしれない。
「推し活」に関する記事を読み進めると、以前からあった現象のように思う。「推し」や「推し活」なる言葉が登場する前は、「マニア」や「コアなファン」と、表現していたように思う。「推し」や「推し活」などの言葉は、これから定着していくのだろう。
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■参考文献
「宗教に類似 推し活研究」 毎日新聞2024年10月14日付
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