「戦争体験 読む時代へ 福岡の団体記録をもとに意見交換」である。
福岡市の市民団体「福岡・戦争を記録する会」が、戦時中に福岡県内で起きた出来事や証言を冊子にして、学ぶ会を始めたそうだ。
代表者によると、「福岡での戦争の記録がまとまった形で残っていない」という問題意識があったらしい。
これは意外だった。
大牟田市や北九州市などの空襲に関する書籍が出ているため、福岡県は研究が進んでいるものと思っていた。
米軍資料に「ISLAND OF KYUSHU」と記された文書がある。同軍は九州をひとつの島と見立てて、地勢や飛行場、発電所、産業などを調査している。公開資料や捕虜などの証言などから、情報を積み上げているようだ。
米軍の動きを知るために、九州島として考察したほうがいいかもしれない。
地図に、九州各地の飛行場施設と防御施設が記されている。
福岡戦争の記録を読む会と似た活動を行っている人たちが、鹿児島市にもある。
戦争体験談について語り合っているそうだ。良い活動を行っている。
これまで集められた戦争体験談を、どのように活用するか?
毎日新聞の「黒い雨 定説覆した100歳 気象学者増田善信」が、参考になる。
増田さんは、原爆投下後の広島市に降った「黒い雨」の範囲を見直す調査をひとりでおこなった。36年にも及ぶ調査は、健康被害に苦しむ人々を救う助けになったそうだ。
調査のきっかけは、「雨域がおかしい」。ひとつの疑問から始まった。36年間、ひとり黙々と調べる。
その際、増田さんは証言集を読み込み、資料と照合する作業を行ったそうだ。
証言の裏づけをとり、客観的に雨域を特定されたのだろう。
同氏の姿勢は、各地の空襲を調べる際にも有効である。
鹿児島市を例にあげる。
『鹿児島市史』と『鹿児島市戦災復興誌』によると、同市が受けた空襲の回数は8回。
それぞれの空襲に関する、当時の記録が見当たらない。
鹿児島市史に記された参考文献に目を通すと、戦後10年以上経って出版された個人の回想録や建設省の書籍をもとにしている。
これらの書籍が、裏づけ資料といえるだろうか。はなはだ疑問である。
それでも、今年の戦争報道は従来通りだった。鹿児島市の空襲は8回。
現在は情報公開が進み、日米両軍の資料をネット上で閲覧できるようになった。
両軍の資料をもとにしつつ、戦争体験談をすり合わせる必要がある。
体験談は、終戦から数十年経って活字化されている。時間の経過は、案外長い。
記憶にまつわる認知バイアスを考慮する必要があるだろう。
虚記憶や事後情報効果、圧縮効果、バラ色の回顧、後知恵バイアス、ピーク・エンドの法則など。人の記憶に、こうしたリスクがあることも頭にいれておく必要がある。
鹿児島市の空襲を調べる際、もうひとつ厄介なことがある。それは、『鹿児島市史第2巻』にしるされた空襲の記述が常識化していることである。
同書は昭和45(1970)年に出版されている。これ以後に集められた空襲体験談は、同書の記述に沿う形で記されたものが多い。
メディアは同書に基づいて報道してきた。
毎年6月になると、鹿児島大空襲が報道される。その際、「鹿児島市の空襲は8回」と繰り返し報道されれば、刷り込まれる。
最近、米軍資料の公開もあってこれまで知られなかった空襲が明らかになった。
昭和20年3月29日、4月16日、7月17日など。
知られていなかった空襲と表現よりも、「黙殺されてきた空襲」と呼んだ方がいいかもしれない。
戦後80年とメディアは報道してきたが、これまでのところ従来とほとんど変わらない。
期待しすぎた自分が悪いのだろう。
■参考文献
「戦争体験読む時代へ 福岡の団体記録もとに意見交換」2025年5月11日付毎日新聞
「黒い雨 定説覆した100歳 気象学者増田善信」2023年10月1日付毎日新聞




